2012年7月 のアーカイブ
吉右衛門の回想記(1975-1985)、の巻。
この夏、孫が生まれる。
初孫だ。
この報せが長女から届いたのは、桜の花が満開だった頃。
嬉しいような照れくさいような、何ともいえない気分であった。
あの娘がねえ…。
娘の幼少期に思考が流れると、結婚当時の事までも思い出した。
私が女房と所帯と持ったのは、1.975年の春。
私も女房も二十一の時であった。
町の公民館で篠やかな式を挙げ、練馬の上石神井に在ったアパートの一室で新たな生活のスタートをきった。
あの頃、街には、南こうせつとかぐや姫の「神田川」が流れていて、私も小さな石鹸をカタカタならしながら、風呂屋へと通ったものだ。
その時の私の職業は、池袋に在った町工場の、工員。
そんな年端もいかない工員が何のビジョンもなく、共働きで適当にやろうとしたが、青すぎた。
直ぐに子供が二人も生まれて、家計は火の車に陥った。
大変であった。
然し、一家団欒は楽しく、笑いが絶えることはなかった。
今、思い出しても、あの頃が一番楽しかったような気がする。
私は浅学非才の典型だが、家族を守る為、頑張って体を張った。
賃金に釣られて職を二度も変えた。
工場勤務では残業に汗を流し、営業職では少しでも多く売り歩いた。すべて家に金を持って帰る為だ。
こんな事を書き並べていると、悲惨な生活を連想されそうだが、この時代が幸運であったのは、私のような出来悪も、体さえ動かしていればなんとかなったし、飯が食えたことだ。
然し、これから誕生する子供たちは、この難解な二十一世紀を生きていかねばならない。
それを考えると忸怩たる思いもするが、女房と娘がハシャギ廻る姿を見ていると、そんな思いは消し飛んでしまう。
それにしてもだ。
「おじいちゃん」と呼ばれたら、何と答えればいいのだろう。
感激して泣かないようにしないと、笑われる。
吉右衛門。
今回の回想記は今週末に更新を予定しています、
釣行記から引用しました。