2013年4月2日 のアーカイブ
ライムライトの巻、中篇。
2.009年の年明けであった。
会社は業務拡張の為、求人をしていた。
前年の暮れにリーマン・ショックがあったせいか、
求職者の数は過去最高の269名を数えた。
この中から、私が選んだのが彼女だった。
私が面喰いだからではない。
気弱そうな中にも、凛としたところがあり、
そこに惹かれ、ひと目見て決めた。
文化チームの将来を担わすべく人事であった。
そこから彼女の事務所での生活がスタートしたわけであるが、
決して順風満帆というわけにはいかなかった。
2010年秋。
彼女を営業デビューさせた。
最初は意気軒昂だった彼女だが、
その意気込みは長く続かなかった。
不幸が彼女を襲い、意気消沈した。
前任者の不始末やら制作の失敗やらで、
いきなり窮地に立たされた。
内情を知るものには理解を得られるかもしれないが、
世間は窓口である彼女の失敗だと、誤解をするだろう。
それを恐れていたが、案の定であった。
あちこちから叱責が飛んできて、袋にされた。
六本木へ向かう車中、彼女は声をあげて泣いた。
号泣であった。
こんな筈ではなかった。
このままでは、資質が開花する前に潰れてしまわないか…。
そんな映像が私の、網膜をかすめた。
それからというもの毎朝、彼女を部屋に呼んだ。
大した事は出来ないが、勇気づける言葉をかけ続けた。
ちょうどその頃のことだ。
尾張に出張があった。
尾張は彼女が一時期を過ごした地だ。
連れて行き、気分転換をさせてやろう…。
そう思い。彼女を誘って、清洲城、徳川美術館へと出向いた。
これがよい転機になってくれたか、彼女に笑顔と生気が蘇った。
蓬萊軒に連れて行ってくれたり、
女学校時代の後輩の制服を見つけては、はしゃいだ。
友人との旧交を温めるとかで、彼女とは名古屋駅で別れたが
帰路の車中、私は安堵した。
暮れ。
私は彼女を日本橋人形町の飯屋に呼んで、
直属の部下にしたい旨を告げた。
私自身、営業生活の集大成として
もう一度飛込みの営業がしたくなったのだ。
即答で快諾を得る事ができ、私は喜んだ。
年が明けるのが楽しみであった。
明日は、後編です
2013年04月02日、
吉右衛門。