2013年10月27日 のアーカイブ
「板前への旅立ち、お粥を作った」の巻。
来世では板前になりたいと思う。
いろいろな食材を勉強して献立を作る。
それを客に出して喜んでもらう。
そして夢を語れば、
その料理を食べに遠くから足を運んでもらうのだ。
毎月、通っている鮨屋がある。
完全予約制なのだが、評判が評判を呼びすごい事になってきた。
通い始めた去年の春頃は二ヶ月待ちであったが、
今は半年待たないと、そのカウンターには坐れない。
自分は運がよく、何度も接待の席を設けさせてもらっているが、
お連れした誰もが喜ぶ。
接待してよかったと思う。
そんな風に誰からも喜ばれる仕事をしたいのだ。
白状するが、実はオレ。調理が出来ない。
しかも、まったく出来ない。
所帯をもってからというもの台所に立ったのは、
女房が入院をした時だけだ。
スーパーで隣り合わせた奥さんからレシピを訊いて味噌汁を作った。
人生初の味噌汁作りであった。
酷い味だった。
この世のものとは思えない味であった。
当時小学生だった子供たちも呆れていた。
以来、自分に調理は不可能と思い、台所からは遠ざかった。
それから数年後、魚釣りをするように成った。
へら鮒を釣りに行くのだ。
この釣りの妙味は餌の巧拙が釣果に影響を及ぼすことだ。
餌には麩餌を使う。
何種類もある餌から釣具屋で数品を選んで釣りに行く。
この魚は生意気にも日によって、好みが違う。
それを麩の配合と水加減で、その日の好みを探るのだ。
そして一番のよい餌を作った釣り師が、竿頭となる。
竿頭になった快感といったらない。翌日の新聞にも載るからだ。
女房が病気に成った。
オレの出番がやってきた。
釣りの要領でお粥を作ってみたくなった。
女房もへら鮒も、たいしてかわらないだろう…。
そう高をくくって、数年の時を経て台所に立った。
冷凍してあったご飯に味噌と玉子を加えた。
出汁も投入したかった。
鰹節を削りたかったが、そんな気の利いたものは我が家にはなかった。
仕方なく、パックの振りかけ状のものを使った。
加減はわからないが、まあいい。
お粥を食って死んだ話は訊いた事がない。
材料のすべては几帳面にメモに残した。
計量はカップも匙もすり切れで計った。次からの資料にする為だ。
本来は何度も試作をしたかったが、ぶっつけ本番で作った。
彼女はオレを気遣って、美味しいとはいってくれたが、
ホントはどうだったのだろう。
次回は肉を焼いてみたい。
写真、キャプション。
今回世話になった、お粥くん。
目と頬っぺのグルグルは、
カッティングシートを貼って顔に仕立てた。
お仕舞い。
吉爺。