2014年3月17日 のアーカイブ
「ジャイアントコーン」の巻。
あれは、東品川のコンビニエンスストアであった。
私は愛車、ベガ号の助手席にニコタマゴゴロウ乗せて彷徨していた。
北品川、八潮、鮫洲…。あまり土地勘の無い所だった。
14時46分。
あの日、私は港区にある文化施設への出前を頼まれていて、
出発予定の十五時を前に事務処理をしている最中だった。
普段と何も変わらない日常に、あの未曾有の天災に遭遇した。
16時半。
社内の応急的な処置を済ませると社員さんを自宅まで送ることにした。
私が受け持ったのは事務所より南側に住んでいた三名だ。
ベガに定員の四名が乗車したのはこれが最初で、その後もない。
コースは大田区を経由して川崎まで行く。
普段ならどうということのない道程だが、異常事態だった。
私は道に詳しい方ではないが、そこそこなら知っている。
主要道路が動かなくなっているのを察知し、ベガを裏街道に走らせた。
機転を利かせたのだ。
隅田川に架かる清洲橋を渡河し清澄通りから月島を経由して、
勝鬨橋から隅田川を渡り戻ってきた。
築地の渋滞を越えると混雑は割と緩和され、
汐留から突入した海岸通りもスイスイと走り抜ける事が出来た。
18時50分。
順調に走れていた海岸通りも天王洲を越えた辺りで動かなくなった。
痺れを切らしたのか、大田区在住の二名はココで降りた。
そして、ここからは二コタマゴロウと二人に成ったのだが、
過去に経験をしたことのない渋滞に嵌り、彷徨が始まった。
行けども行けども、ベガの行く手には車が溢れている。
ラジオから流れるニュースも、
この世の出来事とは思えないような事ばかりだった。
22時。
あの時、ニコタマとは車中でどんな話をしていたのか…?
話の内容は覚えていないが、空腹が襲ってきた。
それは彼女も同じだった。
そんな時、八潮の辺りをふらふらと彷徨っている最中、
彼女が見つけたのが冒頭の店であった。
強引とも言える右折をして店の脇の路地に車を停めた。
さすがにくたびれていた。
考えてみれば事務所を出立してから、五時間半。
初めてとる休憩であった。
彼女に食料の調達を頼み、
ベガから出て体操を始めると硬直していた身体がほぐれてきた。
彼女が戻ってきた。
そして手にしていたのが、「ジャイアントコーン」であった。
以来、ジャイアントコーンを見るとあの日を思いだす。
あの私が出来た事は、社員さんを無事に送ることだけだった。
それは篠やかな貢献だったかもしれないが、私なりに必死だった。
2014年03月11日、14時46分。
職場に居合わせた3名のスタッフと1分間の黙祷をした。
そしてジャイアントコーンを配った。
このことは来年も再来年も、その先もずっと続けて行きたいと思う。
合掌。
お仕舞い。
2014年03月16日(日)。
吉右衛門。
次回は「いつでも夢を」の巻です。