2014年5月 のアーカイブ
らんらん
とあるイベントごとで入手したコチョウラン。
花が落ち、
ひとシーズンを終えてしまってからというもの、
だるんとした葉と針金みたいな茎がにょきり一本、という
ずいぶんと淋しい状態が続いていたのですが、
このたび花が咲きましたーーー!
せっせと鉢替えをしたり、
水苔の乾きを気にしたりという地道な努力が
とうとう実を結んだようです。
コチョウランとは長い付き合いで、
このラピスラズリに入社した当時(かれこれ6年前くらい)
吉右衛門さまから仰せつかった植物係で
世話をしていたのが、今思えば初コチョウランでした。
ほっといてもニョキニョキ育つ観葉植物くらいしか
扱ったことがなかったので、
それはそれは毎日ハラハラしながら育てていました。
その子は何回か同じ株でつぼみをつけたのですが、
2011年の震災時に鉢ごと棚から降ってきて
(なんてバイオレンス!)
ボッキリ折れてダメになっちゃったんでした。
コチョウランですから祝いごとで頂くことも多く、
その度にあーしてみたりこーしてみたり。
そしてようやく、
ランのことがほんのり分かってきた気がします。
何代もつき合ってもらって感謝ですな。
それにしてもランって
とっても高価なものなのに、(特にコチョウランって)
それも他の植物とは比にならないくらい!
あーしたりこーしたりって。
お久しぶりのう太郎です。
こんばんは。
お久しぶりの、OGう太郎でございます。
先日吉右衛門様との嬉しい再会を果たし、
今後ちょくちょく書かせていただきます。
ひこうき雲のシネマメモ(^2^)
第2回目は吉右衛門様ついに
読破の「八日目の蝉」です。
あらすじは、衝撃的なキャッチフレーズである
「優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした」が
全てを物語っていると思います。
この映画の冒頭は、裁判での
本当の母親の独白で始まります。
私はその始まり方が好きで、
理由は舞台のようで、とても質素だからです。
希和子は法廷で
「四年間、薫(かおる)を
育てさせて頂いたことに
とても感謝している」と言い放ちます。
薫というのは、希和子が勝手に付けた
誘拐した赤ん坊の名前です。
彼女たちがどのような逃亡生活を送ったか。
また、それから10数年後の
現在の薫(本当の名前はエリナといいます)を同時に描きます。
エリナはあの事件の事を聞きたいと
尋ねてくる自称ライターの女と
誘拐犯である野々宮希和子と四歳までの自分が
辿った軌跡を追うことにします。
誘拐した母親を演じたのは永作博美さん、
大きくなった子供を演じたのは、井上真央さんです。
永作博美さんの演技は、よく言われる、
まさに体当たりというものだったと思います。
トイレで髪を鋏で切り落とし、
ホテルで泣き止まない
薫に出ない母乳を与えようとして泣く。
私はこういう女の人の鬼気迫る演技が好きなので
暗い話が好きじゃない方にはお勧めしません。(笑)
大学生になったエリナは
結局本当の両親の元から離れ、一人暮らしをしています。
四歳の薫は、両親を本当の親だと認識できなかったのです。
その溝は埋まらず、更にエリナは希和子と同じように
不倫相手の子を身籠ることになります。
NHKの明るいヒロインを演じた井上真央さんが
こんなに暗く、無愛想な役をやるとは思いませんでした。
笑わない彼女のはっきりとした顔立ちを見たとき
変な言い方ですがすごく綺麗で男性的なのだなぁと感じました。
お子さんのいる人には
この話はただ悲惨に映るかもしれません。
自分が他人行儀で観られるのは
親になれていないからかもしれません。
ただ!私がこの映画で
どうしてもイチオシしたいのは!!
二人の女優に負けず劣らず、
寧ろ色んな意味で食ったかもしれない、
フリーライターを演じた小池栄子さんです!!
彼女も実は秘密を抱えているのですが
脛をかじってライターをやっているという設定、
のっけからの挙動不審な態度に
清々しいまでの気持ち悪さを
感じるのです!(めっちゃ、褒めてます)
お気に入りのシーンはやはり
希和子と薫が別れる時ですね。
捕まるってことなんですけど。
「その子は、まだご飯を食べていません。
よろしくお願いします」って言うんですよ。
その子は私の娘です、とか
幾らでも泣き喚く事は出来たと思うんですけど
心の底から母親になりきっていたと感じる悲しいシーンです。
うわあ・・やめてくれーと思いながら(笑)
どわーっと泣きました。
私はあんまり映画館で
泣かない方だと思います・・・。
でもこれは堪え難かったです。
終始不安な緊張が走る映画ですが
とても明るい方向が見える終わり方をします。
そして、それは少しだけ小説とは
違う終わり方なのだそうです。
私は小説を読んだことはないのですが
映画にそのシーンをいれなくて正解だなあと思いました。
他人の子を誘拐するというのは許してはいけないことですが
希和子の姿は必死で、何故か感情移入してしまいます。
これもまた自分の為じゃないから
嫌悪感を感じないのかもしれませんね。
(言い換えれば自分のエゴの為に誘拐してるんですけど)
エリナの母親は、母親なのに
親になれなかった苦しみの所為で
自分のことばかりに重心を
置くことになってしまいましたから。
-『八日目の蝉』★★★★★
タイトルの意味は、蝉の寿命が七日間であることに関係しています。
映画を見るとその意味が、分かるんじゃないかと。
次回は洋画で、好きな映画
「羊たちの沈黙」を予定しております(^-^)
満腹放浪記《第二章》
白鳥ダンクでございます。
日が暮れるのが、だいぶ遅くなりましたねぇ。
夕方になっても外が明るくて、時間の感覚が分からなくなります。
はてさて、話は変わりますが、こんな私も先月に誕生日を迎えまして。
吉右衛門様にお祝いにと、お昼に銀座にあります、
焼き鳥屋さんに連れてっていただきました。
もう、焼き鳥の次元を超えていました…。
焼き鳥といえば、居酒屋さんとかで、おつまみとして食べたり、
小さい頃、1本いくらとかで帰り道に買って食べたりしていたのですが、
ここは違います。
本物の焼き鳥屋さんです。
1本1本が本当に美味しくて、さすが老舗の味だなと感心させられます。
特に手羽先はパリッと香ばしくジューシーで、塩加減が絶妙でした!
野菜焼が椎茸かアスパラか選べて、私はアスパラをチョイスしたのですが、
またそのアスパラも、香ばしくて美味しかったです。
ドライカレーも、お米がもちもちであと引く美味しさでした!
一緒についてくるスープも美味しかったなぁ〜。
カウンター席だったので、焼いている様子が見えました^^
もう、満点の星5つです!★★★★★
いつもいつも、美味しいお食事に連れてっていただき、
ありがとうございます。
またひとつ、大人の階段を上った気がしたダンクなのでした。
「三年ぶりに会った福田う太郎はきれいになっていた」の巻、後編。
続き。
この階段を登ると改札がある。
彼女はそこで私を待っている。そして笑顔で迎えてくれるだろう。
それに対して、この緊張感はなんだ。
昔、別れた恋人にでも逢いに行くような気分ではないか。
彼女の姿が視界に入った。
矢張りだ。
彼女も私を見つけたらしく、満面の笑顔で手を振ってくれている。
まずい…。
そう思うと体制を整えるべく、トイレに逃げ込んだ。
鏡の前で息を吸ったり吐いたりを数回繰り返すと、
大分気分がほぐれてきた。
やれやれ、これなら大丈夫。
何事もなかったのように、トイレから出て、
「待った?」
何食わぬ顔で挨拶する、オレ。
駅舎を出て、彼女の後ろを歩く。
素敵な並木道だ。
少し前には桜の花が満開だったらしい。
サクラのアーケードか…。
爽快な気分に満たされながら、尚も歩く。
何処に連れて行かれるのだろう…。
てっきり、駅前のファミレスかハンバーガー屋にでも
行くのかと思いきや、どうもそうではないらしい。
何処に行くの?。疑問を吐き出すと、
ウチですよ。簡潔な応えが返ってきた。
そう言えば彼女は新築の家を手に入れたといっていた。
大したものだ。
オレの新婚生活といえば、
木造プレハブアパートを転々としていたものだ。
並木道が途絶えると、彼女のお宅があった。
新築のきれいな家だ。
招き入れてもらうと、新築のよい匂いが漂っていた。
そして通されたリビングはキチンと整頓してあり、
端の方には産まれたばかりの坊やの遊具が置いてあった。
彼女が私のために茶と菓子を並べてくれた。
私はそれを待って、居住まいを正す。
そして改めて、在職中に私を支えてくれたこと。
今回は快く迎えてくれたことへの礼を述べたのだが、
彼女は訊いていたのか、いないのか、笑顔を絶やさない。
そこで出てきた言葉は、昔とちっとも変わりませんね、だって。
それからであった。
昔話に花を咲かせ、近況話にも花を咲かせた。
二時間ばかり、お邪魔しただろうか。
楽しい時間は、あっと言う間だった。
「二コタマゴロウが待っているから、帰らなくちゃ」
そう言って辞すと、ほんのりと暖かい気分に包まれた。
お宅を後にしてから思った。
彼女の明るさと優しは昔のままだったが、
とてもきれいになっていた。
それは幸せをガッチリと掴んだ余裕からだろう。
昨秋には名古屋へ画伯を訪ねた。
そして念願のマリちゃんとも20年ぶりの再会を果たし、
今春にはヨッちゃんも交えて食事をすることが出来た。
思えば多くのよい人と巡り会えた。
オレの人生も捨てたものではないと思った。
お仕舞い。
文末に、
福田う太郎の幸せそうな近況写真と
私との記念写真を掲載します。
お仕舞い。
2014年05月05日(月)こどもの日。
吉右衛門。