2015年6月13日 のアーカイブ
「横浜でお別れ」の巻。
記事を書く前に、お詫びです。
平成二七年六月五日。
この日、わたしは彼女と逢うために仕事を休みました。
それにより、
歌姫と千葉さな子さんには大変なご迷惑をお掛けしました。
そのことを心よりお詫び致します。ごめんなさい。
昼前、横浜駅に着いた。
普段横浜とは縁のない私だが、今年はある。
数日前には愛妻と演歌歌手のコンサートを聴きにきたし、
営業にも何度か訪れた。
どちらも楽しかった思い出だが、
今回はちょっとばかり、センチメンタルな気分でもある。
それは今日が彼女の旅立ちを祝う、送別会となるからだ。
彼女と待合わせした時間は、午後一時。
時計を見ると、まだ一時間ほどある。
そこで始めて見る赤レンガの倉庫や港の光景やらを
カメラに収めていると、
約束の五分くらい前だろうか、彼女が笑顔でやってきた。
これから中華街で食事をする予定だが、
横浜という街は、お洒落にできている。
観光の名勝をつなぐ遊歩道がある。
その遊歩道をふたりで、とぼとぼと歩いて行くと、
氷川丸が見えてきた。
わたしは遠い昔に、この戦時中の病院船に乗ったことがある。
あれは小学三年生の遠足の時と記憶しているから、
五十年も前のことだ。
その時のわたしは、五十年後、
年の離れた女性と横浜の街を歩こうとは考えてもみなかった。
また、そんな想像ができる、ませた餓鬼でもなかったと思う。
中華街には多くの店が連なっている。
どの店に入ればよいのか、わかりやしない。
そこでとりあえず、名の売れた店、行列が長い店を探して歩いた。
無難な店に落ち着いて食事が並ぶと、いろいろな話をした。
過去のこと、最近のこと。そして未来のこと。
思い出話が尽きると話題は、未来のことになった。
夢が大きいのだろう。
満面の笑顔で熱っぽく語ってくれた。
そんな彼女の横顔をみていると、彼女の成長が嬉しくて、
こちらも惹き込まれそうになったが、一抹の寂しさも覚えた。
そして二時間ばかりの時を過ごし駅に戻ると、別れの時がきた。
二年前の湘南では、彼女から丁重な挨拶をされて、
あやうく落涙しそうになった。
今回は笑顔で別れよう。
さて、なんと言おうか。
気をつけて…。
頑張って…。
元気で…。
さよなら…。
どれもよくない。
こんなことなら、若い頃にキザな洋画でも観ておけばよかった。
ヤクザ映画ばかり観てたから、気の効いた台詞がみつからない。
とりあえず、彼女の小さな手を握ると、
高倉健さんが、ふと脳裏をよぎった。すると、
じゃあな…。
思わず、こんな言葉が、出てしまった。
この台詞。
健さんが言うとカッコいいが、わたしが言うと色気がない。
それでも笑顔だけは、しっかりと作れたつもりだ。
わたしが今、この記事を書いているのが、六月十三日。
明後日、彼女は異国へと旅立つ。
わたしは、ペンキ屋の永遠の幸せを祈ってやまない。
お仕舞い。
吉右衛門。