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無題
高畑充希さんなる歌い手さんがいる。
わたしは俄ではあるが、この方のファン。
本職は役者さんのようだが、こちらの方はとんと縁がない。
兎にも角にも歌唱が好きなのである。
ファンにったのは彼女が唄う、何日君再来に出会ってから。
歌詞の合間の息遣いが妙な臨場感になって心の臓に迫ってくる。
しばらく虜になりそうだ。
零和元年10月20日
吉右衛門
ツイッター
ツイッターを始めた。
と、いっても上っ面だけでも習得しようとしてのこと。
マーガレットを師に日々、更新をしている。
やり始めの頃は140文字にまとめることができなくて、(続く)だの(続き)だのと禁じ手を使っていたが、最近、漸く要領を得つつある。
未習得ではあるが画像の取り込みも、真似事ながらやってみた。
短文だけに味気ないが、スラスラと書き終えることができる。
今しばらく、続けてみようと思う。
零和元年9月15日
吉右衛門
無題
街へ出ると外国人と行き交うことが多くなった。
漢字圏や欧米は無論のこと、近頃は東南アジア、印度、中近東と思われる方々も数多く目にする。
目的として従来の就業や留学は言うに及ばず、ひと目で観光目的と分かる方が多い。
その観光であるが、わたしの少・青年時代といえば、1ドル、360円の時代。
今では信じ難い円安の時代であったが、街で外国人と行き交うことなど殆どなかった。
その所為ばかりではないが、わたしは外国人への対応がどうにも苦手。
それは置いておいて、観光に来られた方々は実に楽しそうだ。
ご家族や友人と日本の文化に触れられている。
それを見るにつけ洋の東西を問わず、よい旅をしてもらいたい、と願わずにはいられない。
それ故、わたしも日本人として彼らには出来るだけ、優しく親切にしたいと心掛けている。
が、わたしは外国語がまったく喋れない。困ったことだ。
道を尋ねられても指を差すばかりで会話はおろか、筆談すらもできない。
悲しいばかりである。
言葉が喋れたらな…。
別れ際に、「お気をつけて」「素敵な旅を」と笑顔で伝えることもできる。
こんな言葉を添えるだけで、彼らの旅が楽しくなればこんなにも嬉しいことはない。
来月からは時間ができる。
今更であるが、外国語の勉強でもしてみようかと思う。
零和元年7月7日
吉右衛門
無題
わたしには出勤する前に立ち寄る処がある。
馬喰町駅から江戸通りを南西の方角に歩き、小伝馬町の交叉点を右に折れたところにある風情のある公園だ。
その名を、十思公園と云う。
この公園は数多くの歴史愛好家が訪れる由緒ある公園であるが、その説明は次回に廻すとして、こちらで今日の一日を思案したり、取引先等に電話を入れてから事務所に入ることを常としている。
前置きが長くなったが、五月の或る晴れた日のこと。
こちらの公園で例によってボンヤリと思案に耽っていると、保育士さんが(お散歩カート)で幾人もの園児を乗せてやってきた。
ふた組くらいの人数であろうか。結構な人数であった。
保育士さんが、その子等をカートから降ろすと、ひとりの坊やがわたしの座るベンチに駆け寄ってきた。
何をしようとしているのか…。
気になって注目していると、その子につられたかのようにお友達も集まりだした。
結句、あっと云うまに数人の園児に囲まれてしまった、わたし。
おそらく最初の子がリーダーだったに相違ない。
おじちゃん、なにをしてるの?。
片言での問いかけに、
おてんきがよいから、おそらをみていたのだよ…。
ぼくはなにをしにきたの?
おゆうぎをしてから、すなばであそぶの…。
そう、いいなあ…。
このような会話を始めると、次々に他の子らが話しかけてくる。
こうしていると、何やら妙な嬉しさがこみ上げてきた。
昔、夢中で仕事を追いかけていた時には、このようなことは一切なかったのだから。
こうした幸せ感に浸っていると、
そんなわたしの心中など知る由もない保育士さんが恐縮しながら駆け寄っていた。
すみません、お仕事の邪魔をして…。
いえいえ、ボンヤリを空を眺めていただけですから…。
と、言ったものの。
○○ちゃん!ダメでしょっ!お仕事の邪魔をしては。
こう言ってわたしに笑顔で会釈をしながら、園児らに振り向き、
おじゃちゃんにバイバイしなさい。
おじちゃん、バイバイ。
聞き分けのよい園児らはわたしに手を振りながら 、素直に公園の中央に方に歩きだした。
みんなもバイバイね。
立ち去る園児に、精一杯の笑顔で手を振るわたし。
突然、お訪れた幸せは、数分のできごとだった。
そして変われば変わるものだと思った。
ひと昔前には、幼児が集まることなど有り得なかったのだから。
還暦を過ぎ孫が生まれ、わたしも少しは穏やかになれたのだろうか。
風雪は人を鍛える。
零和元年6月20日
吉右衛門