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「孫娘とガチャガチャ」の巻。
正月、孫娘と近所のゲームセンターへ出掛けた。
ガチャガチャをやるためだ。
私は彼女とふたりきりで出掛けるのは三度目で、
未だ、乗り物には乗ったことはない。
それに彼女もオートンは乗ってことがないようだ。
それならと、自宅までオートンに来てもらった。
近所のモールまでの僅か五百m程度を乗せてもらうだけだから、
運転手さんにはとても悪い気がしたが、仕方がない。
彼女の小さな手を引いてオートンに乗ると、
彼女の緊張が私の無骨な手にも伝わってきた。
いつも彼女と二人でいると思うのだが、
この小さな命を守らなければならないと、
強い強迫観念に駆られるのは、何故だろう。
ゲームセンターへ着いて、ガチャガチャを始めた。
彼女は力がないのでレバーを廻しきることが出来ない。
しかし、助太刀を必要とするのはそこだけで、
あとは好きな景品を選んで始めている。
そして景品が出るたびに、笑顔で話しかけてくる。
私は幼児語を理解するには修行が足りていないから、
悲しいことに、何を言っているのか半分位しかわからない。
それでも何となく通じ合えるのは、血がなせる業だろうか。
家を出る時、家内が持たせてくれた、
景品を入れる袋がいっぱいになった。
これだけやると、さすがに飽きてきたのだろう。
今度は、橙色の猫が欲しいという。
これはクレーンキャッチーにある景品だ。
幼児には到底出来ないので、私が挑むしかない。
しかし、恥ずかしながら私はこの手のゲームには縁が無い。
六十年の人生で、やったことは数回きりだ。
案の定、初めてみたがかすりもしなかった。
お店の方からレッスンを受けてみたが、だめ。
不器用だし、センスが無いし、頭が悪いからどうにもならない。
こんなことなら若い時から、この日に備えておればよかった。
後悔してもはじまらない。
泣きそうになって途方に暮れていたら、店員さんが、
「よろしければ、差し上げます」
そう言ってくれるのを横目で期待したが、言わない。
あまりの下手さに呆れて、向こうへ行ってしまった。
「ココちゃん。ごめんね」
「うん…。また、こんどね」
彼女に慰められて誓った。
今年の目標を、クレーンキャッチーの上達にしようと。
お仕舞い。
追伸。
今年も大した記事は書けませんが、よろしくお願いします。
2015年01月08日(木)
風邪で仕事を休んでいる昼。自宅にて。
吉右衛門
オマケ、
この時の写真。
上から、
孫娘、
このスタイルで出掛けた。
何とか取ってやりたかった、橙色の猫。
※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。
誤字脱字、またブラウザーの違いによる不自然な改行等に関しまて
も寛大にご処理くださいませ。
「今年最後の更新。二十数年ぶりの食事会」の巻。
平成二十六年が暮れようとしている。
六十年以上も生きていると、
年の瀬など慣れっこになっていそうなものだが、
これがそうでもない。
矢張り幾つになってもケジメとして振り返りたくなるものだ。
ひと昔前は必ず温泉に浸かって過ぎ行く一年を惜しんだものだが、
幼い子等と暮らすようになってからは、そうもいかなくなった。
そこで数日前から、今、ブログを書いているこの部屋で、
仕事、釣り、野球、日常生活等々…。
この一年を思い返していた。
私にとって今年一番の出来事は、仕事でも釣りでも野球でもなく、
昔のスタッフとの食事会であったと思う。
今では幸せな家庭を築かれている二人の女性をお呼びだてし、
三月は根津で、今月には人形町で再会を果たすことが出来た。
二人は二十数年前のスタッフであった。二十数年前と言えば、
私が三十代の後半から四十を過ぎたばかりの頃。
粋がって肩で風を切っていた時代だったから、
さぞかし大変だったと思う。
そんなヤクザな私だっただけに、逢ってもらえるか心配だったが、
誘いには気持ちよく応じてくれた。
今、職場に在籍してくれているスタッフとの時間も楽しいが、
彼女等との時間は大人の時間だけに楽しさが違った。
二回とも時の経つのを忘れるほどの三時間の席であった。
その時の様子を、
ひとリの彼女が見事な文章で二本の記事に纏めてくれたので、
よければ読んでみて欲しい。
ちなみに彼女は、飛行機雲の大学の先輩でもある。
それが為か、飛行機雲と話しているとタイムマシーンに乗って
当時の彼女に逢っているような錯覚に陥ることさえもある。
http://costacourt26.sblo.jp/ar……82943.html
http://costacourt26.sblo.jp/ar……83369.html
これを読んでもらった処で、そろそろお開きにするが、
この記事を書いていながら思った。
あと二十年以上長生きして、今のスタッフに逢ってみたいと。
追伸。
来年も。昔の名前で出るつもりです。
それでは、みな様よい年をお迎えください。
お仕舞い。
2014年12月23日(火)
吉右衛門
オマケ、
食事会の写真。
キャプション、上、
左側の女性がブログを書いてくれたNさん。
右側の女性が私の初代の女房役のMさん。
二人とも、二十年以上の時が流れているのにとてもお奇麗だ。
※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。
誤字脱字、またブラウザーの違いによる不自然な改行等に関しまて
も寛大にご処理くださいませ。
「歌姫の写真を公開」の巻。
利根川がゆるりと流れている。
秋晴れのこの日。
私は二人のスタッフを連れ、千葉と茨城の県境に出張できていた。
午前中に仕事の取材を済ますと午後の営業まで、空いた時間を潰しに寄ったのだった。
私は釣りをする。
それだけに近くに河川があると居ても立っても居られなくなる。
最近覚えた言葉で言うと、辛抱堪らなくなるのだ。
暫し川面を眺めていたら、ふいに写真を撮りたくなった。
営業の相棒である、歌姫を撮るのだ。
私は彼女のポートレートを撮り始めて長い。
ポートレートと言っても商売人が撮るようには撮れないが、彼女は私のレンズを怖がらないでくれる。
それにこれは彼女と供に歩んだ営業の記録だから、貴重な資料でもある。
今回はその写真を後輩にも見てもらおうと整理を始めた。
すると様々な彼女との思いが去来してきた。
思えば数年前に私の直属になった彼女は可愛いだけのお嬢さんだった。
それが、今ではちょっとした企画営業は元より、新規営業すらも単独で行けるようになった。
随分と成長してくれたものだと思う。
ここに並べるのは数枚だけだが、ちょっと見てもらっただけで彼女の変わりようがわかると思う。
前述した可愛い彼女の貌に、自信が現れてきているのだ
そうそう、前置きが長くなるが、彼女のHNが何故「歌姫」なのか。
それは営業への移動の車中、演歌を口ずさんでいるからだ。
この日は後輩のかぐや姫を気遣って歌わなかったが、彼女は筋金入りの唄うたいでもあるのだ。
キャプション、上から、
十三年秋、
利根川を背景に、現調帰路。
十年晩秋、
尾張清洲城、取引先の展示を勉強に行った。
十一年夏、
多摩の施設でプレゼンの後。隣のバカ面は私です。
同年晩夏、
秩父の氷屋で。営業の帰路。この写真はピンぼけです。
十二年初夏、
大洗海岸。施設の現調帰路。
十二年晩夏、
大洗海岸。施設の納品帰路。
十二年冬、
庄内鶴岡駅、ホームページ打合せの帰路。
十三年冬、
翌年の大口決定、立食い寿司で祝杯をあげにいく往路。
2014年11月23日
吉右衛門
※時間の関係で下書きのままでの更新となっております。
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「ペンキ屋が帰ってきた」の巻。下編。
日本橋人形町。
オートンから降りて交叉点に立った。
お彼岸を過ぎて一ヶ月近く経つと日は暮れている。
間もなく、待合せ時間だ。
彼女は来ているのだろうか…。
彼女の出で立ちは個性的だ。
私の視力でそれを捜し出すのは難しかった。
そこで電話を片手に握りしめていると、「社長!」。
何処からともなく、彼女が現れた。
まばゆいばかりの、笑顔であった。
髪の毛はまっ黒で、奇麗にとかしてあった。
服装はシックであか抜けていた。
灰色のニットと黒のスカートの調和がとても似合っていた。
ひと廻りもふた廻りも奇麗なお姉さんになっていた。
店に着いて向かい合うと、幸せ感がこみ上げてきた。
彼女は笑顔も喋り方も以前と同じだった。
そして、いろいろな話をしてくれた。
文化から始まって、生活様式、言語、国境、人種…等々。
話は多岐にわたっていた。
私のように少年期から青年期を、1$=360円の時代に育った古い世代にとってはどの話も新鮮で面白かった。
同じようなことを何度も訊き直して説明してもらった。
私のピュアで小さな胸は、ワクワク感で埋め尽くされた。
鍋が出てきた。
すると彼女はすかさず腕まくりをして給仕を始めた。
お姉さんになったものだ。
それを言うと、あちらでは炊事が必需だったという。
彼女は一年の間に多くの事を学び、体験出来たのだと思う。
まさに人生の宝物を得て帰ってきたのだ。
何から何まで楽しい夜を過ごさせもらった。
このようなお嬢さんが社内にいたのかと思うと胸が熱くなった。
どうもありがとう。
お仕舞い。
2014年10月26日(日)
吉右衛門
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「ペンキ屋が帰ってきた」の巻。中編。
逢いたい気持ちが募り始めた。
いろいろな話を訊きたくなった。
異国での話。
未踏の地での奮闘話。
また文化や歴史、そして民族についても訊きたかった。
しかし、躊躇いがないわけでもない。
誘えば彼女のことだ。応じてはくれるだろうが、その気がなければ気の毒だ。それについ先日まで散々思案して、静観すべし、と結論づけたこともある。
自分のなかで欲望と理性の壮絶なる闘いが始まった。
冷静なもう一人の自分がその闘いを観ていたら、あっけなく勝負がついた。欲望が理性をねじ伏せたのだ。静観すべし、と決めた己の意思の弱さには呆れるばかりだった。
勇気を出して、逢いたい、と告白してみた。
返信は直ぐにきた。
時差で安定していないという。
可哀想な気がした。
浅はかだった。
矢張り、告白すべきではなかったのだ。
忸怩たる思いに苛まれたが、きっぱりと諦めることもできた。
私の頭の中は魚釣り一色に戻った。
秋も更け始めた今月の十日頃、私は病に臥せていた。
そんな私を知ってか知らずでか、彼女からメールがきた。
安定してきたので出てきてくれるという。
すっかり諦めていただけに、素直に嬉しかった。
それから数本のメールを交わし、日時と場所が決まると何故か、私の喉はからからに渇いていた。
続く。
2014年10月25日(土)
吉右衛門
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