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「飛び切り美味い、焼き肉屋へ行ってきた」の巻。前編。


浅草に飛び切り美味い焼き肉屋があるという。

私が行く浅草の焼き肉屋といえば、T店とK店。

どちらも高レベルの店だが、こちらの店も両店に負けず劣らず、

可成りのレベルらしい。

そんな噂を聞きつけ、最近、少女からお姉さんに脱皮しつつある、

飛行機雲(以下の表記は、ひこ棒)を連れて行ってきた。


話は脱線するが、実は私。

今春、二つのよいことがあった。

三十年来悩まされてきた、花粉症が突然治った。

二十年来悩まされてきた、脂肪肝も検診で指摘を受けなかった。

どちらも一生付いて回る不治の病と思って諦めていた。

それが取り分け節制したわけでもないのに、

本人の気づかないうちに完治していた。

一体、何がおきたのだろう…。

胸に手をやって考えてみると、思い当たることがあった。

それは焼き肉であった。

昨年、新たにみつけたK店へ、晩春から初秋に掛けての半年間、

隔週のように通っていた。

これは吉右衛門の私説だが、カルビとタン塩と大蒜の連合軍が、

花粉症と脂肪肝との壮絶なる闘いを制し、これらの悪を駆逐してくれたのだと思う。


閑話休題。

この店へ出向くのはいいが、ひとりで行くのは寂しい。

では、だれを連れていくか…。

筋からいうと、二コタマゴロウだが、残念なことに彼女。

歌は唄うが酒は呑まない。それに草食主義者でもある。

そこで浮かんだのが、ひこ棒だった。

彼女は大飯喰らいではないがそこそこ食べるし、

マッコリの愛飲者でもある。

それに私が酔ってふらッとなっても優しいし、小顔でもある。

決めた決めた、ひこ棒を連れて行こう。


続く。


2014年06月25日(水)。

吉右衛門。


次回予告。

分厚いタン塩を頬張る、飛行機雲。










「三年ぶりに会った福田う太郎はきれいになっていた」の巻、後編。


続き。


この階段を登ると改札がある。

彼女はそこで私を待っている。そして笑顔で迎えてくれるだろう。

それに対して、この緊張感はなんだ。

昔、別れた恋人にでも逢いに行くような気分ではないか。


彼女の姿が視界に入った。

矢張りだ。

彼女も私を見つけたらしく、満面の笑顔で手を振ってくれている。

まずい…。

そう思うと体制を整えるべく、トイレに逃げ込んだ。

鏡の前で息を吸ったり吐いたりを数回繰り返すと、

大分気分がほぐれてきた。

やれやれ、これなら大丈夫。

何事もなかったのように、トイレから出て、

「待った?」

何食わぬ顔で挨拶する、オレ。


駅舎を出て、彼女の後ろを歩く。

素敵な並木道だ。

少し前には桜の花が満開だったらしい。

サクラのアーケードか…。

爽快な気分に満たされながら、尚も歩く。

何処に連れて行かれるのだろう…。

てっきり、駅前のファミレスかハンバーガー屋にでも

行くのかと思いきや、どうもそうではないらしい。

何処に行くの?。疑問を吐き出すと、

ウチですよ。簡潔な応えが返ってきた。

そう言えば彼女は新築の家を手に入れたといっていた。

大したものだ。

オレの新婚生活といえば、

木造プレハブアパートを転々としていたものだ。


並木道が途絶えると、彼女のお宅があった。

新築のきれいな家だ。

招き入れてもらうと、新築のよい匂いが漂っていた。

そして通されたリビングはキチンと整頓してあり、

端の方には産まれたばかりの坊やの遊具が置いてあった。

彼女が私のために茶と菓子を並べてくれた。

私はそれを待って、居住まいを正す。

そして改めて、在職中に私を支えてくれたこと。

今回は快く迎えてくれたことへの礼を述べたのだが、

彼女は訊いていたのか、いないのか、笑顔を絶やさない。

そこで出てきた言葉は、昔とちっとも変わりませんね、だって。

それからであった。

昔話に花を咲かせ、近況話にも花を咲かせた。

二時間ばかり、お邪魔しただろうか。

楽しい時間は、あっと言う間だった。

「二コタマゴロウが待っているから、帰らなくちゃ」

そう言って辞すと、ほんのりと暖かい気分に包まれた。


お宅を後にしてから思った。

彼女の明るさと優しは昔のままだったが、

とてもきれいになっていた。

それは幸せをガッチリと掴んだ余裕からだろう。


昨秋には名古屋へ画伯を訪ねた。

そして念願のマリちゃんとも20年ぶりの再会を果たし、

今春にはヨッちゃんも交えて食事をすることが出来た。


思えば多くのよい人と巡り会えた。

オレの人生も捨てたものではないと思った。


お仕舞い。


文末に、

福田う太郎の幸せそうな近況写真と

私との記念写真を掲載します。


お仕舞い。


2014年05月05日(月)こどもの日。

吉右衛門。



























「三年ぶりに会った福田う太郎はきれいになっていた」の巻、前編。


新宿を起点に西へ向かう私鉄がある。

この日、私はこの電車に揺られていた。

愛しの、福田う太郎と会うためだ。


彼女が寿退職したのは、2011年の春。

あれから三年の歳月が流れた。

その彼女と、やっと今日会える。

楽しみであるが、緊張もある。

どのような顔をしてよいのか、わからないのだ。

目的地までの数十分。

必然的に思考は、彼女へ流れた。


彼女がうちの事務所に在籍したくれていた間、

彼女を中心に職場は廻っていた。

今の言葉ではセンターとでもいうのだろう。

押しも押されぬリーダーであった。

そして私のサラリーマン時代から数えて、

三代目の女房も務めてもらっていた。

昨年夏。

ペンキ屋が海外へ巣立つとき、

私は彼女と画伯に餞別のひと言を頼んだ。

彼女は出産を直前に控えて大変な時期であった。

しかし、彼女は可愛い後輩の為、快諾してくれた。

そんな奴なのだ。

明るくて優しい性格なのだ。

その彼女の性格に私は無論のこと、職場は随分と救われた。

それとカラオケが好きで得意な曲は、「今さらジロー」であった。

そんな彼女との思い出が走馬灯のように脳裏を駆け巡ったとき、

目的の駅に着いた。


偶然であろうか。

電車をおりると、彼女との再会に花を添えるように、

彼女が在職中に体を張って頑張ってくれた物件の、

ポスターが幾枚も所狭しと貼ってあった。

このことが、センチメンタルな私の心を揺さぶった。


この階段を登った改札口には彼女が待っている。

そう思うと足が竦んだ。


続く。


お仕舞い。


2014年05月02日(金)。

吉右衛門。


次回は、

「三年ぶりに会った福田う太郎は奇麗になっていた」の巻、

後編です。

近況写真も掲載します。



来月から連載が始まります。


どうも、吉右衛門です。

忙しい日々が続きました。

その間、ひとりでブログの更新をしていたのですが、

そろそろ職場が落着いてきたので、

元のスタッフ参加のブログに戻します。


そして、来月からは四本の新連載が始まります。

これがその連載と内容です。

(並びは掲載順)


白鳥ダンクの、「満腹放浪記」。

美食家で食いしん坊のダンクが、

和食、洋食、中華から甘味までを食べ歩きます。

銀座、人形町、水天宮、神保町、両国、浅草…。

美味しいもの情報が入れば、何処へでも行ってレポートしてきます。


ひこうき雲の、「シネマメモ」。

映画が趣味のひこうき雲。

ひこ坊が子供の頃に描いていた夢は、映画評論家になることでした。

そのひこ坊が最近観た映画や、過去の感動作品をレポートします。

そしてその評論は、俳優論にまで及びます。

ちなみにひこ坊の好きな俳優は、松田龍平さんです。


ニコタマゴロウの、「営業日誌」。

毎月7本程度の企画展を納めるニコタマが、

その艱難辛苦の日々を赤裸々に綴ります。

夢を語る顧客の要望を親身になって応える彼女の日々です。

そして人生、恋愛についても語ります。


激写の、私の旅と感動の一枚(仮題)。

激写は国内だけでなくあの若さで既に世界30カ国を旅しています。

そしてコレクションである旅の写真は、8.000カットを数えます。

その貴重な写真をデータと解説付きで公開します。


以上です。

今後とも、ラピス・ラズリのブログをよろしくお願い致します。


2014年03月30日(日)。


吉右衛門。


「いつでも夢を」の巻。


小学校の三年生になって、少年漫画週刊誌を買うようになった。

買い始めた週刊誌は、少年サンデー。

楽しみにしていた連載ものは、伊賀の影丸とおそ松くんだ。

発刊日は毎週水曜日だったような気がする。

その水曜日が楽しみで母からもらった50円玉を握りしめ、

自宅から10分ほどにあった商店街の本屋に買いに行ったものだ。


書き出しから脱線してしまったが、

この本屋の往復で、すれ違った幾多の大人が口ずさんでいたのが、

「いつでも夢を」だった。

なにせ、みんなが歌っていたものだから、

ひとり、ふたり…と歌っていた人を、指折り数えたことも覚えている。

家に帰ると母も居間と台所で、所構わず、いつも歌っていた。

そんな時代と環境だったから、私も自然と覚え口ずさむようになった。

紹介が遅れたが、この歌を歌唱したのは言わずと知れた、

橋幸夫さんと吉永小百合さんだ。

歌唱力があって清潔感溢れるお二人が歌っただけに、

大ヒットは当然であった。


小学校五年生の時だった。

この年の春の遠足は潮干狩りで、行き先は千葉の稲毛の浜だった。

干拓前の稲毛の浜は潮干狩りのメッカであった。

またも脱線するが、

当時の私は、後年まさかこの地に移住して愛犬の吉右衛門と、

この浜を散歩をするようになろうとは夢にも思わなかった。

閑話休題、

この頃、私が住んでいたのは、世田谷の用賀。

今でこそ、首都高速と東関東自動車道を使えば用賀から稲毛までは、

100分ほどで走れるが、

当時は高速道路のような気の利いたものは存在しなかったから、

気が遠くなるほど遠かった。

その遠さといえば国境を越えてお隣の国にでもいくのではないか、

と思ったほどだ。

それを紛らわせてくれたのが歌であった。

バスガイドさんの名調子合わせて、

前の席から順番に好きな歌って賑わった。


私の番になった。

私はひとりでは歌わなかった。

隣の窓際の席にいた、○子ちゃんと歌った。

○子ちゃんが隣り合わせていたのは偶然ではない。必然だった。

この○子ちゃんとデュエットしたのが、「いつでも夢を」であった。

前述で○子ちゃんと書いたのは、

意図的に名を伏せたのではない。不覚にも忘れてしまったのだ。

私と彼女は相思相愛で、将来を約束した仲であった。

そんな大切な人の名前を忘れてしまうとは、

そこまでヤキが回ったとは思いたくないが、

哀しくて涙が溢れてくる。


あらから、ちょうど五十年が経った。

そんな、ある日のこと。

あまちゃんで、「いつでも夢を」が流れるシーンに出くわした。

夏さんが東京に出てきて、橋幸夫さんとデュエットしたシーン。

病に倒れた夏さんを見舞い、病院の待合いにいた仲間が、

夏さんに届けとばかり、この歌を熱唱したシーン。

どちらも感動のシーンであった。

そしてそれを視た私は、あの潮干狩りのバスを思いだした。


今月の終わり、

ニコタマゴロウが私を浜松に連れて行ってくれるという。

私と彼女は相思相愛の仲ではないが、行きの道中で、

彼女と五十年ぶりにデュエットをしてみようと思う。


それにしてもだ。

彼女の名前は何だったのだろう…?

ゆみ子ちゃん、くみ子ちゃん、れい子ちゃん…。

ダメだ。さっぱり思いだせない。

やっぱりヤキが回った。


お仕舞い。


2014年03月19日(水)。

吉右衛門。


次回は「瑠璃ちゃんとの再会」の巻です。


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