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「ベルリンからの手紙」の巻。後篇。
メールはペンキ屋からであった。
昨秋にドイツへ留学してからは初のメールだ。
早速、読み始めると在籍中とは見違えるような自由闊達に書かれた文章であった。
内容は年始の挨拶に始まり、語学学校での奮闘ぶりやあちらでの体験談が綴られていた。
同級生で日本人は彼女だけらしい。
入学当初はそれが不安の種だったようだが今はもう解消し、趣味である崖登りの仲間も出来たみたいた。
その崖登りもフランスへのツアー参加を企てたとあったから、相変わらずの行動力だ。
そして文末には同級生と思われる集合写真が添付されていた。
厳粛なムードが漂う写真であった。
何かこう圧倒的なものが迫ってくるものがあった。
この写真には彼女が写っていないから多分、シャッターはペンキ屋が押したのだと思う。
ひとり、ふたり、さんにん…。
数えてみるとそこに写っているお友だちは11人だった。
更によく見るとなるほど東洋人っぽいのは1人だけで、他の学生さんの頭髪はすべて金色だ。
美術好きが高じてドイツに留学することを思いつき実行する。
自分にように未だ時代錯誤の鎖国の中で生き、箱根の山を越えたことすらない者にとっては驚愕とも思える行動力だ。
ましてやひとりポツねんと見知らぬ土地で過ごすことなど、とても出来やしない。挑もうとしても途方に暮れるだけだ。
それを平然と実現したペンキ屋は、自分とはまるでスケールが違う次元の途轍もない大物だったのではなかろうか。
ペンキ屋のような行動力に富んだ娘が、うちの事務所を踏み台にして羽ばたいてくれた事を嬉しく思った。
そして一度しかない人生を素晴らしく生きているペンキ屋に敬意を表したくなった。
読み応えのある手紙であった。
ペンキ屋の無事で元気な姿が想像できて、安堵することができた。
ひと息ついてから、彼女に返信を出した。
さらにLINEを用いてその旨を告げると間髪を入れずに応答があった。
そしてそれにはこう書かれていた。
「こちらは今、夜の十時です。
これから友人のパーティに出掛けます。ベルリンの夜は長い」。
朝の6時にベルリンへ出したメッセージが、5分後に戻ってくる…。
これはこの世の出来事だろうか…。
そう考えると、気絶しそうになった。
お仕舞い。
2014年02月09日(日)。
吉右衛門。
次回は「あしたのジョーを訪ねて」の巻です。
「ベルリンからの手紙」の巻。前篇。
老人の朝は早い。
毎朝、午前三時半には目を覚ます。
就寝時間などは関係ない。
まるで体内に時計の針が内蔵でもされているかのようだ。
そして、この時間から一日が始まる。
緩慢な動作で布団から這い出ると、
分厚い靴下を履いて自分の部屋へと向かう。
私は典型的なA型人間。
可哀想なくらい人間が几帳面に出来ている。
部屋に入ると直ぐに音響、暖房、パソコンの順でスイッチを入れる。
歌が流れ暖まりだすと、電子新聞に目を通す。
新聞と言っても、基本的には見出しを眺めるだけで、
読むのは興味をそそらた記事のみだ。
この作業は一般紙からスポーツ紙までひと通り行う。
それが終わると前夜の残務を整理し一日の予定を組む。
そして最後に新着メールの確認をするのだが、
この作業は前夜の九時頃にも行っているから、
気の利いたメールが来ることは滅多にない。
冒頭で体内時計の存在を書いたが、
これらの動作を終えると必ずといってもよいほど、
強烈な睡魔に襲われる。
それが、先月の或る日。
睡魔が消し飛ぶようなメールが、西洋の方から送信されてきた。
続く。
2014年02月02日(日)。
吉右衛門。
「孫娘と冒険の旅」の巻。
年賀状も年が明け十日を過ぎると、新たにポストへは入ってはこない。
そこで私は毎年の慣習として新規で頂いた方、出し損なった方への御礼は成人の日を目処に投函する事としている。
今年もそれを書きあげた時であった。
里帰りしてきていた、一歳と五ヶ月の孫娘が部屋に入ってきた。
彼女は私を、「じじ」と呼ぶ。娘がそう呼ばせているからだ。
私は彼女の扱いがわからないから、いつも娘と家内がかまうのを遠巻きに眺めている。しかし、彼女は違う。
肉親が分かるのだろう。
妙に絡んでくる。
話しかけてくれたり、不意に抱きついてくる事もある。
この時もそうであった。
部屋の中を物色して、珍しい物を持ってきては話しかけてくる。
「じいちゃんはこれから郵便を出しに行くからダメだよ」
そう言って聞かせた時だった。
脳裡に冒険心が湧いてきて、彼女を連れ出してみたくなった。
家から郵便ポストへは距離にして、二百五十mくらいであろうか。
シミュレーションして難関を拾い出すと、
一、玄関からエレベーター迄の通路、四十メートル。
二、建物から、外へ出るとき。
三、建物に沿って、家の下を通過するとき。
この三カ所で帰りたいと泣き出さなければ、なんとかなるだろう。
「孫娘とポストへ行ってくる…」。
そう言うと、あはははっ!
突然の告白に、笑い転げる家内と娘。
何で孫と出掛けるのに大笑いされるのだ。
こいつらは、悪魔かと思った。
普段は大人しく眠っている、「男」が黙っていられなくなった。
オレだって昔、幼児の手を引いた事がある。
それに最近は近所の子供もオレのヤクザ顔をみても泣かなくなった。
ブツクサ言いながら彼女に靴を履かせていたら、家内が遭難用にとお菓子を持たせてくれた。
冒険の旅へ出た。
いきなり大声で哭かれるのかと思ったが、杞憂であった。
最初の難関を無事に突破すると、建物も難なく脱出できた。
ここで手を繋いだのだが、その手は驚くほど小さかった。
モミジのような汚れのない手だった。
健気にもその小さな手で握り返してきた時であった。
キューンと胸がときめいて、ピュアなハートがポッとなった。
遠い昔、城ヶ島で初恋の人の手を握った時と同じ感触であった。
そんな青春の甘酸っぱい思い出に浸っていたら、最大の難関が待ち構えていた。
ベランダからギャラリーが満面の笑顔で手を振り囃し立てている。
ここで何かが起きるかと思ったが、ホッ。天は我に味方した。
それに安堵してギャラリーの笑顔に応える、彼女とオレ。
そこから、コーナーを曲がると二人旅の始まりだ。
緊張が体中を襲う。
身長差があるから屈まないと手をつなげない。
直ぐに腰が悲鳴を上げる。
そんな時だ。彼女が俄に本性を露にし活動的になる。
オレの手をふりほどき、奇声を発し走り出す。
縁石に上がり不動産屋の幟を引き抜こうとする。
ヤメろっ!。
怒ったつもりも、何の効き目もなかった。
寧ろ、オレが怒るのを喜んでいるようにさえみえる。
困った…。
オレの手には負えないと思った。
救援隊を呼ぼうかとも思った。
しかし、ここ迄来て引返すのは癪だ。
悪戦苦闘であったが、なだめすかすとどうにかポストに辿り着いた。
参った、参った。
汗をかいてしまったが、一件落着と相成った。
それは、過去に経験した事のない長い長い二百五十mであった。
2014年01月26日
吉右衛門。
このブログはパソコン用に編集を致しました。
端末によっては改行の表記が不自然かと思いますが、
寛大に対処くださいますようお願いします。
日没写真です。
明けましておめとうございます。
吉右衛門です。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
写真を公開します。
2013年12月大晦日の日没写真です。
本来は昨年最後のブログに掲載すべきでしたが
生憎とiPhotoが壊れておりまして、今回の公開となりました。
撮影時間は僅か5分程度です。
日没場所は推測で横浜から横須賀の間と思われます。
撮影データ。
キャノン5D markⅢ
ズーム、300粍(フルサイズ)。
iso.100、1/250 f.5.6
場所、千葉市稲毛区花見川最下流、通称ナンパ橋。
日時、2013年12月31日 16時26分~30分。
今年も有難う御座いました。
トップページを更新致しました。
今回のデザインはOGの三遊亭画伯作です。
秋に名古屋へ出向き制作をお願いしたが出来上がりました。
相も変わらず、お上手ですね。
過去のモノとは違う効果を期待しています。
本年もあんな事、こんな事いろいろとありました。
そんな2013年もあと数時間で暮れていきます。
弊社のブログをお読み頂きました方々へ、
ブログスタッフ一同になり替わりまして心より御礼申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願い致します。
2013年12月31日
吉右衛門。