投稿者のアーカイブ
ライムライトの巻、後篇。
2011年。
恋いこがれていた、営業の年が明けた。
自信満々で、鼻息も荒かった
飛込み営業で生きてきた、小さな自負がその自信を支えた。
彼女に、「これが営業だ!」と言うのを見せるつもりもあった。
初夏。
大きな災害に見舞われて開始が遅くなってしまったが、
勇躍してことに挑んだ。
連勝街道を突っ走るつもりであった。
大概の事は幾度の経験で育んだ戦術で、なんとでもなると思った。
然し、日を重ねるごとに雲行きが怪しくなってきて、
相手が、金城鉄壁にみえてきた。
オレに、この城壁は登れるのだろうか…。
曾ては悠々と跳躍できた壁が、途轍もなく高く見えてきた。
それでも突撃をやめることはなかった。
意地と執念が萎える心を押さえつけたのだ。
秋。
病に伏してしまった。
こんなときに…。
臍を噛む思いであったが、どうにもならなかった。
無念であったし、泣きたかった。
そんなどん底を味わっているとき、彼女が私を支えてくれた。
幾度となく病室にもらったメールにはこう書いてあった。
「よくなったら、また営業にいきましょう」
「レセプションに招待されました。退院したらいきましょう」
有り難かった。
かけがいのない部下をもてたと思った。
そう思うと荒んだ心に安らぎが生まれ、
落ち着きを取り戻せてきた。
暫く復帰は出来そうにないし、彼女に頑張ってもらおう…。
賭けでもあったが、そうするよりほかはなかった。
しかし、瓢箪から駒が出たといえば失礼になるが、
病室に吉報が届いた。
調布と昭和島への彼女の営業が成功したのだ。
災い転じて福と為す、とはこの事だと思った。
これは、あの尾張から二年後の事であった。
時は流れて、今年の1月25日。
帰宅中の私のiPhoneにメールが舞い込んだ。
彼女からであった。
「メリーゴーランド展のサンイもらいました」
この簡潔なメールに込められた思い。
シャイな彼女は、嬉しい時ほど控えめな表現をする。
そしてこれが、
「オーディションを勝ち抜いきました」とみえて仕方がなかった。
お仕舞い。
2013年04月03日、
吉右衛門。
ライムライトの巻、中篇。
2.009年の年明けであった。
会社は業務拡張の為、求人をしていた。
前年の暮れにリーマン・ショックがあったせいか、
求職者の数は過去最高の269名を数えた。
この中から、私が選んだのが彼女だった。
私が面喰いだからではない。
気弱そうな中にも、凛としたところがあり、
そこに惹かれ、ひと目見て決めた。
文化チームの将来を担わすべく人事であった。
そこから彼女の事務所での生活がスタートしたわけであるが、
決して順風満帆というわけにはいかなかった。
2010年秋。
彼女を営業デビューさせた。
最初は意気軒昂だった彼女だが、
その意気込みは長く続かなかった。
不幸が彼女を襲い、意気消沈した。
前任者の不始末やら制作の失敗やらで、
いきなり窮地に立たされた。
内情を知るものには理解を得られるかもしれないが、
世間は窓口である彼女の失敗だと、誤解をするだろう。
それを恐れていたが、案の定であった。
あちこちから叱責が飛んできて、袋にされた。
六本木へ向かう車中、彼女は声をあげて泣いた。
号泣であった。
こんな筈ではなかった。
このままでは、資質が開花する前に潰れてしまわないか…。
そんな映像が私の、網膜をかすめた。
それからというもの毎朝、彼女を部屋に呼んだ。
大した事は出来ないが、勇気づける言葉をかけ続けた。
ちょうどその頃のことだ。
尾張に出張があった。
尾張は彼女が一時期を過ごした地だ。
連れて行き、気分転換をさせてやろう…。
そう思い。彼女を誘って、清洲城、徳川美術館へと出向いた。
これがよい転機になってくれたか、彼女に笑顔と生気が蘇った。
蓬萊軒に連れて行ってくれたり、
女学校時代の後輩の制服を見つけては、はしゃいだ。
友人との旧交を温めるとかで、彼女とは名古屋駅で別れたが
帰路の車中、私は安堵した。
暮れ。
私は彼女を日本橋人形町の飯屋に呼んで、
直属の部下にしたい旨を告げた。
私自身、営業生活の集大成として
もう一度飛込みの営業がしたくなったのだ。
即答で快諾を得る事ができ、私は喜んだ。
年が明けるのが楽しみであった。
明日は、後編です
2013年04月02日、
吉右衛門。
ライムライトの巻、前篇。
どーも、吉右衛門です。
先ずは、この音楽を聴きながらお読みください。
無論、仕事中に聴いてもらっても一向に構いません。
http://video.search.yahoo.co.j……ライト
ご存知の通り、この映画はチャールズ・チャップリンの名作です。
3月の或る日のことです。
娘とふたりで、この名作を観賞しました。
この映画は40年前にも、みた事があります。
そう、彼女の母親と日比谷で鑑賞したのです。
時を隔てて、母娘夫々と鑑賞するのもよいものでした。
そうそう、
うちの社員さんはお若い方ばかりなので、
あらすじを紹介します。
あらすじ。
第一次大戦前、ロンドンでの物語である。
カルヴェロはミュージック・ホールの道化師で、かつてはイギリス最大の芸風を謳われたが、中年をすぎた今はすっかり落ちぶれてしまった。
ある日、彼が酔ってアパートに帰ってみると、美しい女が自殺を企てて意識不明になって倒れていた。カルヴェロは大急ぎで医者を呼び彼女を手当てしたので幸い息を吹きかえした。彼はその女がすっかり回復するまで自室におくことにした。
女はテリーというバレエの踊り子で、自分の芸術に見限りをつけてしまったのだ。彼女はもう踊ることも歩くことも出来ないといい、生きる希望を全く失っていた。
カルヴェロは彼女を励まし、生きるために闘わなければいけないと力説した。しかしカルヴェロが舞台にカムバックしようとして失敗したとき、テリーは再び歩くことが出来るようになり、かえってカルヴェロの失敗をはげますのだった。
テリーは有名なエンパイア劇場にバレエ・ダンサーの職を得た。
そして半年もたたぬうちに座主と監督に認められて、新作バレエの第一ダンサーになることが出来た。
そのバレエは若い作曲家ネヴィルの作で、バレエもテリーも大好評を博した。ネヴィルはテリーに全く惚れ込んでしまったが、彼女は完全にカルヴェロに傾倒しており、彼に愛を打明けて結婚しようといいだした。しかし、カルヴェロは2人の齢の差や、自分が下り坂であるのにテリーはいまこそ順境にあることを説いて、2人の結婚など馬鹿げたことだといい、彼女のもとを離れて辻音楽師に落ちぶれていった。
テリーは欧州興行の旅にのぼり各地で絶賛を博した。その間に世界大戦が起こりネヴィルは出征した。
テリーとネヴィルが再びロンドンに帰ってから、2人は会う瀬を重ねたが、やはりテリーにはカルヴェロが忘れられなかった。ある日テリーは街路でカルヴェロに会い、むかしの恩人を救おうと彼をエンパイア劇場の舞台に立てるように取り計らってやった。
再生の舞台でカルヴェロは昔通りの珍芸を見せた。それは彼のこの世における最後の努力だった。彼は熱演のあまり舞台からころげ落ち致命傷を負って舞台の袖に運ばれた。そして何も知らぬテリーが華やかな脚光を浴びて踊りまくると舞台をみとりつつ息を引きとった。
(goo映画より引用)。
明日は、中編です
2013年04月01日、
吉右衛門。
求人活動についての、報告です。
おはようございます。
代表の岩村です。
表題についての、ご報告です。
昨年の暮れから二度に渡り行ってまいりました、
弊社の制作スタッフ募集を
此の度、無事終えることができました。
私どもようなスタッフ数、十名前後の小さな事務所に、
華麗なる履歴をお持ちの熟練の方から、
今春にご卒業を控えた新進気鋭の方まで、
多くの方々(九十名)からのご応募を頂きまして、
光栄でした。
有難う御座いました。
残念ながら、
今回は、募集枠が一名でしたので、
多くの方とは、ご縁を結ぶ事が出来ませんでしたが、
ご応募頂きました方々の、
就職活動が成就される事を祈ってやみません。
人生は出会いです。
どうか、今後にご縁が生じました暁には、
よろしくお願い致します。
2013年03月25日、
株式会社ラピス・ラズリ
岩村清人