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今日は震災の日 。
2011年3月11日。
この日はだれもが忘れられない日です。
被災地の復興を祈ってやみません。
いつもブログ番の時は、
他愛のないことを書き殴っている私ですが、
今日はやめておきます。
吉右衛門。
三遊亭画伯がやってきた 。
昨年の晩秋のことであった。
音信不通であった、三遊亭画伯から突然の便りが舞い込んだ。
何だろう…。
首を傾げながら開封してみると、
──消息不明状態になっていたのでお忘れになられたかも…
から始まる文章は、紛れもなく懐かしの画伯のものであった。
直ぐに引き込まれて目を通すと、
そこには消息不明であった原因が熟ゝと綴られていた。
画伯が退職したのは、2009年の初春。
それから直ぐに挙式を挙げハネムーンに出掛けたらしいのだが、
その長さたるや、足掛け三年半にも及んだことになる。
その間の出来事を尋ねると、
北米から中米を経て、
旅の最後に立寄った泊国の農場に暫し滞留していたとのこと…。
何と壮大なスケールの旅行であろう。
オレなんか箱根より西には行ったことがないのに…。
今、彼女は縁があって濃尾平野の隅っこに居を構えている。
そんな彼女が、だ。
態々、
オレの馬鹿面を拝みに新幹線に乗ってやってきてくれるという。
有り難いよね…。
在職中は大したことなど出来なかったのに…。
そんな思いで、日めくりカレンダーを捲って迎えた日であった。
16時半。
彼女がやってきた。
約四年ぶりの再会であった。
感激で目頭が熱くなりそうになったが、
そんなことはおくびにも出さずに平静を装う、オレ。
やあやあやあ、と固く握手を交わし、
ペンキ屋と歌姫も呼び旧交を温める。
そして座を隣の蕎麦屋に移して、ちょっとした宴を催したのだが、
昔話に花が咲いた、咲いた。満開であった。
あんなこと、こんなことを、アハハと笑いながらすごしていたら、
無情にも時間はアッという間に過ぎてしまった。
いやはや楽しい時間であった。
事務所を開いてこの春で満十二年になる。
この期間を四分割すると、
彼女はスリークォーター期に活躍してもらった世代だ。
ココで披露してよいのかわからないが、
華子さんは昨夏のお嬢さんを出産された。
そして福田う太郎さんも今夏に続くという。
みんな幸せになったなあ…。
在職中は沢山働いてくれて有難う。
そして立派に家庭を築いてくれている。
吉爺は、嬉しいぞ。
画伯のお陰でとても楽しい時間が過ごせた。
次回は春に開催しようと思う。
この記事をご覧になったOGの方で、
我もっ!
と思われる方は一報くださいませ。
ココまで一気に記事を書いたのだが、
感慨で胸が詰まってきたので、もうヤメる。
あとは写真を並べたいと思うので、見てやってください。
キャプション。
上から、
宴会終了後の記念写真、歌姫、オレ、画伯、ペンキ屋。
写真を撮ってくれた、激写。
幾多のファンにサインをする、画伯。
欠席された福田う太郎さんへ、メッセージ。
会心のポートレート。
この写真群を掲載するにあたって肖像権の許可はとっていません。
何かと問題を感じる方は申し出てください。
速やかに撤去します。
2013年02月11日、建国記念日
吉右衛門。
五度目の干支が巡ってきて、還暦です。
どーも。
吉右衛門です。
待望であった、五度目の巳年を無事に迎えることが出来ました。
過去の巳年を振り返ります。
一度目の巳年、12歳。
1965年、小学校6年生。
通っていた小学校が四つの中学校の真ん中にあり、
友人と離ればなれになるのが辛かった。
二度目の巳年、24歳。
1977年、池袋に在った町工場の工員時代。
結婚二年目。
幼い長男に加え翌年には長女も誕生し、
ぎりぎりかつかつの生活だったが、
家庭を持てた喜びに幸福感いっぱいであった。
三度目の巳年、36歳。
1989年、京橋の制作会社での営業時代。
上述の会社から二度の転職を経て流れついた会社での営業稼業。
移籍五年目で年収、壱阡萬を達成。
然し、この年収も五年間は維持出来たがその後は転落。
そうそう、この年幕張メッセがオープン。
これに備えて、運転免許を取得した。
四度目の巳年、48歳。
2001年、有限会社ラピス・ラズリを設立。
勤め時代の女房役、川崎さおりを連れての創業。
営業と管理に自信があり、意気軒昂であった。
五度目の巳年、60歳。
2013年、株式会社ラピス・ラズリで還暦を迎える。
時間が許す限り、飛込み営業を敢行したい。
ペンキ屋と、江ノ島を散歩したい。
歌姫と、もう一度秩父に行ってピンボケだった写真を撮り直したい。
激写に、酒場で写真論を訊かせてもらいたい。
ひこうき雲と、近隣営業をしてヨーグルンを飲みたい。
ベーベを食事に誘い、彼女の喜ぶ顔がみたい。
夜長姫と、いろいろな所に出掛けて歴史の話がしたい。
ニコニコ仮面の優しさに触れたい。
六度目の巳年、72歳。
2025年、???。
上述の娘たちが築いた家庭を訪問してみたい。
今年もよろしくお願いします。
2013年01月21日、
吉右衛門。
今年最後の更新です、の巻。
どーも、クリぼっちの吉右衛門です。
今年最後のブログを書きます。
実は営業日誌、東村山篇を書くつもりで机に向かったのですが、
どうにもマウスが進まず、ボツにしました。
そこで、2012年を公私含めて振り返ってみたいと思います。
○1月。
・第88回関東学生東京箱根往復駅伝競走。/東洋大学が柏原竜二の快走もあり優勝。
・御用始め。/歌姫と鳥繁にて昼を過ごす、楽しい時間であった。
・福田う太郎から年賀状。/結婚式の素敵な写真が載っていて、彼女の幸せが確認できた。
・東京ドームのイベント。/歌姫と激写の活躍で無事納品。
・東京ビッグサイトの見本市へ事務局サインを納品。/1月に事務局サインを受注できたのは、サラリーマン時代より12年ぶり。発注頂けた顧客と営業努力した田沼美冬に感謝。
・某施設へ納品したグラフィックで事故が起きた。/壁面工事の不具合で大迷惑をかけてしまった。猛省。
・東京地方検察庁へ事情聴取に出向く。/快晴の日。昨秋に引き起こした交通事故の事での出頭。略式裁判での解決と成る。これにて刑事処分は終了。
○2月。
・都寿司を訪問。/念願の都寿司へ。噂に違わず最高の寿司であった。
・某テレビ局より受注。/歌姫との営業成果。
・歌姫、ピーナッツとカラオケへ。/帰路にピーナッツからチョコレートをもらった。
・埼玉地区の釣り堀へ営業。/さっぱり売れず。企画倒れを知る。
・行政処分の通知がきた。/前述に記した交通事故の行政処分は、中期運転免許停止(60日)処分であった。
○3月。
・日本料理雄を訪問。/国営放送での「キッチンが走る」を視聴して店の存在を知る。
・幕張メッセの大イベントを納品。ひこうき雲が大奮闘。激写の制作支援を受けての頑張り。これに応え二人へは、吉右衛門賞を授与。
・行政処分。運転免許証が無くなった。/被害者の方を2ヶ月入院させてしまったので、期限満了迄処分を受けるつもりであったが、周囲の説得を受入れ、講習を受講して停止期間は30日間に。
・多摩の施設へグラフィックを納品。/風邪で現場に行けなかったが、歌姫が無事に納める。
・鞄を発注。/グローブトロッターのクレイジーカラー。
・本郷に新規顧客を開拓。/歌姫の営業成果。
・入札は1勝1敗。/今年はひとつ負けて、関ヶ原の戦いで負けてしまったような気分。負けた翌日、歌姫と都寿司へ行くも通夜であった。
・プロ野球界開幕。/ファイターズは斎藤祐樹の好投で開幕を飾る。今年は優勝出来た。
○4月。
・検査入院。/要経過観察で無事終了。
・行政処分明け。/千葉北警察に免許証を受取りに。以後、無事故無違反を心がける。
・初釣り。戸面原ダムへ。/以降、釣行回数8回。総釣果49枚。
・初野球観戦。東京ドームへ。/以降、観戦回数9回。観戦時の成績5勝4敗。
○5月。
・某自治体の入札競走を落札。/これは上手く行かなかった。
・iPad購入。/通勤の帰路でも野球がみれたのには感動した。
・西武ドームのイベント。/歌姫の頑張りで特命受注が出来た。
・ペンキ屋と都寿司へ。/その夜、彼女の夢をみた。
○6月。
・プリメロ閉店。/行きつけの茶店が長い歴史に幕を降ろした。
・亀商会の玉川工場へ。/昔、お世話になったAさんを尋ねる。
・三島湖へ看板の納品。/颱風のなかアクアラインを渡って納品へ。
・体調が悪化。/言語が発せず、仕事にならず。
○7月。
・激写の個展へ。/ひこうき雲といってきた。見事な展覧会であった。
・59歳になった。/ペンキ屋と歌姫に千疋屋で祝ってもらえた。今年一番嬉しい思い出であった。
・日立の施設へ。/歌姫と日立から受注した物件の打合せに。今年一番充実した営業であった。
・ひこうき雲と飛込み営業へ。/都合2回敢行して、7件飛込み2件成功。好成績であった。
・夜長姫と出逢った。/夜長姫、面接に登場。
・田沼美冬くんを励ます会開催。/両国巨牛荘で開催。6年1ヶ月勤めてくれた田沼美冬が退職。
○8月。
・胃カメラ検査。/6月の体調不良の検査。初めて胃カメラを飲んだのだが、強烈であった。帰路に愛用の帽子をなくした。
・孫娘が生まれた。
・夜長姫、入社/文化の匂いが漂う高学歴の女性が入社。早速、弟子入りを志願する。
○9月。
・事故から1年。/被害者宅を訪問して改めて謝罪。
○10月。
・ファイターズ、優勝。
・偉大な作詞家、故阿久悠さんのご子息と会話を交わせた。/某現場での出来事。
・iPadで電子書籍購入/往年の傑作漫画、「嗚呼花の応援団」購入。以降、通勤にiPodを持参。
・88年会発足。/ひこうき雲、夜長姫を連れ日本料理雄へ。
○11月。
・庄内へホームページの打合せに。/悲しみ本線日本海であった。
・近隣のショールームのグラフィック現場。/ひこうき雲の営業成果。
・検査入院。/要経過観察で予定日数で退院。渡辺謙さんの「硫黄島」と、吉永小百合さんの「愛と死を見つめて」を観賞。歌姫が真面目な栗きんとんを持って見舞いにきてくれた。
・決算。/税引後で150万~200万程度の黒字が確定。12期連続の黒字を確保。
○12月。
・三遊亭画伯より便り。/新婚旅行より帰国。来年には事務所にお越し頂けるとのこと。再会を思うと今から胸がキュンとなる。
・トレンチコートを購入。/12年ぶりにコートを買った。
・新規車両購入。
・大谷翔平のファイターズ入り内定。
・総選挙。/自由民主党圧勝。
・忘年会/西浅草の、「とさや」にて。
イヴの夜。
一人寂しくブログを書いて過ごす、オレ。
来年は彼女を作るべく頑張りたいと思う。
さて、駆け足で今年一年を振り返りましたが、
何と言ってもスタッフに助けてもらった一年でした。
残念な事に、
大切なスタッフの田沼美冬が職場を去って行きましたが、
新たに高尾から夜長姫を迎える事が出来ました。
またOGからも朗報が届き、
昨年暮れに福田う太郎さんがご結婚、
今夏には華子さんが無事に女児をご出産され、
晩秋には三遊亭画伯より便りも届きました。
職場で汗を流していった方々の幸せの便りは嬉しい限りです。
来年はその一人一人を尋ねてみたいと思っています。
そして私的には漸く、
昨秋に負った傷跡から立ち直れた感もあります。
来夏には還暦を迎え、老人の仲間入りですが、
皆の足を引っ張らないように頑張りたいと思います。
最後になりましたが、
これにて、今年のスタッフブログを最終回と致しますので、
コメントを書いて終わりとしてください。
そして来年も、当スタッフブログをよろしくお願いします。
お仕舞い。
2012年12月24日、
吉右衛門。
オマケ、
味気ないので写真を幾枚か、再掲載したいと思います。
下位はそのキャプションです。
上から、
・一枚目、今年一番嬉しかった出来事。千疋屋にて。
・二枚目、田沼美冬と。巨牛荘にて。
・三枚目、ひこうき雲と。営業帰りに事務所の下で。
・四枚目、職場の恋人。ペンキ屋。
・五枚目、喜怒哀楽を供にしてくれている歌姫の夏。阿字ケ浦で。
・六枚目、同上歌姫の冬。鶴岡駅で。
ペンキ屋との夜、の巻。
決算を週末に控えた夜のことだ。
私はペンキ屋と日本橋茅場町に在る天麩羅の名店、
「みかわ」にいた。
暖簾をくぐってから半時も経ったであろうか。
次々に揚がってくる天麩羅に舌鼓を打ちながら、
飲めない酒もそれなりに進めていた。
「そんなに飲んで大丈夫ですか…?」
ペンキ屋が私の体調に気遣いながら、
そそいでくれる酒の味は格別であった。
美味い。
そして呑み干してから見たペンキ屋は、美しかった。
恐らく故郷である江ノ島の美人コンテストに出場すれば、
ペンキ屋が選ばれるのではなかろうか。
古い表現に、「百萬ドルの笑顔」というのがあったがまさにそれだ。
そんな容姿の持ち主であるのに、美人を鼻にかけたところがない。
いや、それどころかそちらの方は自信無げで控えめだ。
もう少し洒落っ気があれば、とも思うのだが
それは余計なお世話というものだろう。
何にせよコイツを娶った男は、この笑顔を独占出来る。
羨ましい、と思った。
平成十九年四月十六日。
この日が、ペンキ屋と初めて会った日だ。
東京駅の構内で待合せ、
丸の内に在るカフェに連れだし面接をしたのであるが、
出逢った当初のペンキ屋は子供であった。
少女の面影を幾つも残していた。
その時の印象を思いだそうと、
古い日記を紐解いてみたらこう記してあった。
「芸術家の部分が魅力であるがそれが不安でもある…」
さらに印象的な事として、趣味が貧乏旅行としてあったことだ。
品のよい清潔そうな白いブラウスを着ていて、
時折りみせる笑顔に惹かれた。
思案六法。
この娘に決めようか。
そう思い、面接を進めた。
「いままでどのような仕事をしていたのですか…?」
「外壁に絵を描いていました」
「え、絵ってどんな…?」
「下絵があってそれに色を塗るのです」
よく理解できないが昔でいう、ペンキ屋なのか、
今でいう塗装業なのかもしれない…。
世慣れしていない彼女が一生懸命説明してくれるのだが、
なんのことだかわからなかった。
それでも、そんな事はどうでもよいと思い、
最後は独断で決めた。
あれから、五年半が経とうとしている。
毎日職場で会っているから気づかなかったが、
大人になって当たり前だ。
そんなことを一頻り考えていたら、最後のメニューとなった。
天丼か天茶を選ぶのであるが、ふたりで天茶を頼んだ。
もっと長居をしたかったが、二部制だから仕方がない。
重い腰を上げ勘定をして、一件落着。
店をでる。
風がでていた。
引き戸を閉めた先は寒かった。酷寒であった。
しかし、このまま別れたくはなかった。
「東京駅まで歩いてもらえるかなあ…」
無理を知りつつ、誘ってみた。
「いいですよ」
快諾をえた。
そういう奴なのだ。
滅多の事ではいやとは言わないのだ。
ふたりでとぼとぼと、八重洲通りを東京駅に向かって歩いた。
いろいろな話をした。
そうしたら、何だろう。
ふと、回顧の情からか感情が溢れだし、段々と心に動揺がでてきた。
どうしよう…。
肩に手をかけたかったが、それはやめておいた。
土俵際で意気地がないのは、ずっと昔からだ。
お仕舞い。
吉右衛門。
真面目な店であったので写真が撮れていません。
それでは寂しいので、別の写真を載せておきます。
2009年の年末にスタジオで撮ってもらったカットです。
ペンキ屋と撮って写真では、これを一番気に入っています。