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吉右衛門の営業日誌、ひこうき雲デビュー戦、の巻。


2012.07.24、


「オマエ、手書きで書いてきたのか?」

「昨日休みだったので、家で書いてきました」

「……」

いつも部下には飛込む訪問先への営業ツールとして、

手紙を書かせている。

このこと自体は大したことではないが、

10枚を書くともなれば大変な作業だ。

特に最近はメール文化勃興の反動で手紙は廃れつつある。

それにつれ文字を書くという行為も疎くなってきた。

きっと彼女は、スミレに指導された文章の一文字一文字を

丹精込めて書いてきたのではないか。

ざっと10枚程度を書いてきたようだから、

NGを含めると30枚くらい書いたのではなかろうか。

オレはこのようなことを、当たり前とは思わない。

何よりも大切な誠意だと思う。

──ご苦労さま。

今日に望む彼女の意気込みが垣間みえ、オレの胸を突き刺した。


突き刺された、オレは思った。

この行為を無駄にしないように、頑張ろうと。


ひこうき雲、

彼女との出会いは、昨年一月に遡る。

求人広告であった。

幾多の応募者の中に、新卒の彼女はいた。

素敵な笑顔と礼儀正しさ、ひと際光ってみえた。

本来であれば採用であったが、

要項である、要運転免許を満たしていなかった為、

選考結果は残念な結果に終わった。

忸怩たる思いではあるが、部下が出した結論を厳粛に受け止めた。

それを知らせるのが辛かった。

その役目をする、己の肩書きを恨んだ。

そこで本来、書面で通知するものを、

せめてもと思い、受話器を取った。

結論を伝えると、

「合宿に行って直ぐに資格を取得してくるので…」

と追い縋ってきた。

それでも断わると、彼女の落胆ぶりが、ヒシと伝わってきた。

電話をしたのが、凶とでた。

期待に持たせて、罪なことをしたと思ったし、

後ろめたさにも苛まれた。

然し反面、こうも思った。

──オレの作った、取るに足りない会社に、そこまで入りたいのか。

ちょっとだけ嬉しさも感じた。

いつか機会を作ってが、もう一度会いたいと思った。

それから数日後、予期せぬ事態に会社は吞み込まれた。

あの震災だ。

震災から半月、瞬く間に仕事は消えた。

──どうしよう。

途方に暮れた。

それでも何とかしなければならない。

四の五の考えるより、人材を投入して逆療法に挑もうと思った。

そして、直ぐに思った。投入する人材は、彼女にしようと。

メールをしたら、直ぐに反応があった。

彼女の最寄り駅まで出向き非礼を詫び、口説いた。

ムシのいい誠意ではあるが、思いの丈を伝えた。

彼女は内定が決まっていて、まさに初出勤する直前であったのを、

ひっくり返した。

間一髪、危ない所であった。

今更だが、期待に応えられて嬉しかった。

然し、途轍もない大きな責任を背負ってしまったことにも、

気づかされた。

後日、あの時、社長に会わなければよかった、

と思われないようにしようと思った。

そう感じたら、何やら背中が重くなった。


閑話休題、

彼女も二年目に突入し、固定客廻りからの脱皮させようと考えた。

営業の王道である、「飛込み営業」をやらせようと思った。

そこで過日、部屋の呼んで打診すると、頑張るという。

やってみせようと思った。


やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、

ほめてやらねば、人は動かじ。


これは連合艦隊司令長官、山本五十六元帥の言葉であるが、

自分はこの言葉を管理職として、座右の銘にしてきている。

勤めの時、会議の席で夢想とも言える営業論を展開する上司に

やってみせてくれ、と言ったことがある。

上司は黙った。

そうなのだ。

出来もしない事をペラペラと喋るヤツは嫌いなのだ。

以来、部下の前では必ずを恥を忍んでだが、やってみせている。


14時、

時間がきた。

炎天下のなか、いざ出陣。

「やってみせるから、オマエは喋らなくてもいい。

但し、挨拶とお辞儀の仕方だけ練習をしておけ」

そう言って勝手に歩く、オレ。

そんなオレに合わせるべく、小走りで付き添ってくる。

それも、これから行く先の資料を懸命に説明しながらだ。

なんという、初々しさだ。

エレベーターの下では汗が吹き出しているオレを、

一生懸命に仰ぐ。


(今回のブログは長くなりそうで、ごめんなさい)


あの日の経過は下位の通りだ。


A社、担当者不在、ご担当のお名前を訊く。

B社、上に同じ。

C社、受付嬢に、営業資料を渡す。

D社、セールスお断りとあったが構わず突入して営業。


ここでくたびれたので、

彼女に受け持たせている得意先に向かう。

先様の小旅行に参加させてもらった謝礼に行ったのだが、

彼女の可愛がられぶりには驚いた。

「いっぱい呑ませちゃって、大丈夫だった」

「ごねんね」

いろいろ言ってもらえて、頭まで撫でられている。

コイツはこんなにも可愛がられ、愛されているのだ。


「オマエ、随分と可愛がられてるみたいだな!」

「そんなこと、ないです…」

「照れるなよ。オレは嬉しかったぞ」


気をよくして、最後のE社にも向かったのだが、

この辺りは、昔、よく飛込み営業をしてところだ。

それがいつ頃かと言えば、1982年の頃だ。

以来30年が経っても、オレはまだ、これをしている。

なんで炎天下でこんなことをしているのか、

この問いには明確な答えを持っている。

好きだからだ。


こんな思いに耽っていたら、E社に到着。

結果はと言うと敢えなく、門前払いを喰らってしまった。


帰路のこと、

乾坤一擲を五発もやると、口も利きたくない。

無言になり、ひたすらにDOUTORlapis lazuli店を目指す。

そして目的地に着くなり、

ヨーグルンのザクロ味を飲んで、一件落着。

初日を終える。

面白く刺激的な一日であったが、疲れた。

頑張り過ぎた。


お仕舞い。


弐阡壱拾弐年柒月弐拾弐日、

吉右衛門。


時間切れで校正をしていません。

週末にするつもりですので、

誤字脱字には寛大な処理をお願いします。


写真キャプション、

上、

営業帰り、初々しさが残る、ひこうき雲。

激写を呼んで撮ってもらった。

中、

ほろ酔い加減の、ひこうき雲。

居酒屋、蛍にて。

下、

飛込み営業の褒美のピーチパフェを食べる、ひこうき雲。

千疋屋にて。

付録、

ひこうき雲が敬愛する、恩田スミレ。

初々しさなど微塵も無い。



ドラゴンクエストⅩに挑むぞ!、の巻。



いずれ菖蒲か杜若。

ペンキ屋とスミレに、59歳の誕生日を祝ってもらった。

場所は日本橋室町に在る、千疋屋。

嬉しかった。

普段から愛してやまない、ふたりだけに尚更であった。

そのせいなのだろう。

感激で涙腺が決壊し、涙が溢れた。

──困った。どうしたものか。

誕生日に涙は禁物だ。

何か気の利いた話題はなかろうか。

暫し、頭の中を探してみつけ出した。

そうだ、あの事を話そう。

後日、集会を開いてみんなの前で披露しようと思ったが、

今、話してもいいだろう。

オフレコを前提で、以前から計画していた事を口に出す。

「あのさ、オレ、60になったら

イラストレーターを覚えてデザインを始めようと思うんだ」

当然のとこながら、

──きっと素敵なデザインをされるのでしょうね。

──どのようなモノを創られるか、今から楽しみです。

なんて優しい答えが却ってくるものと期待したが、甘かった。

考えもしなかった、答えが返ってきた。


破顔一笑。

満面の笑顔でペンキ屋は、こんな失礼なことを言いやがった。

「へえーっ、ボケ防止にですか!?。

ウチのオバアちゃんもゲーム始めたんですよ。ボケ防止にっ!」

僅か7秒の間に、「ボケ防止」と二度も言われた。

酷い!。

オレのピュアなハートは、ズタズタに切り裂かれた。

更に追い討ちをかけるように、こうも言われた。

「いやーっ!、年はとりたくないですねぇ。ギャハハハハーッ!」

黙り込み、うっすらと涙を流す、オレ。

いじめの問題は小中学生に限らないと思った。

今、学校では先生も見て見ぬ振りをしていると言うが、

目の前のスミレも、そう。

毅然たる態度でペンキ屋を叱責するかと思いきや、

一緒になってオレを笑いものにする。

しかも、オレの馬鹿面に指を指して笑ってる。

──いつも面倒みてやっているのに、オマエ迄なんだっ!。

そう言ってやろうかと思ったが、言わない。

気弱なオレには、そんな科白は似合わないからだ。

悔しい!。

グッと拳を握りしめて、涙を溜める。


しかし、よく考えてみたら、こうも思った。

ヘタな世辞を言われるより、よっぽどいいではないか。

そうなのだ。

端からは、ヤキが廻ったように見えるのだ。

それに、だ。

オレが制作スタッフの仲間入りをしたら、

現場が大混乱に陥るのは必至だろう。

よくぞ、目を覚まさせてくれた。


昨秋からの闘病が続くオレのこと。

今日は今年で一番楽しく、嬉しい日であったのではないか。

ふたりの気遣いと優しさに、心から感謝。

ホントにありがとう。謝謝。

ふたりには恵比寿の懐石料理屋、雄で返礼をします。

と暖かい気分で、家路に就く。


夜。

女房、娘とテレビを視た。

CMが流れた。

あのドラゴンクエストⅩが、近々発売になるそうだ。

昼間のことが頭を過った。

そうだ!。

ボケ防止を兼ねて10年ぶりに、ドラゴンクエストに挑もうと!。

実はオレ、このシリーズは昔、随分とやったことがある。

Ⅰ、最強の敵は土管のような洞窟に棲むドラゴンであった。

Ⅱ、呪文を書き写すのが大変だったのと、

二番目を歩く小僧が圧倒的に弱くてザラキを覚えるまで、

よく教会に通った。

Ⅲ、異業種のキャラクターを選択出来て面白かった。

僧侶を連れないパーティは自殺行為だった。

Ⅳ、章に別れたストーリーは兎も角として、

戦闘が自動化されているのはつまらなかった。

Ⅴ、幼なじみの娘と金持ちの娘との結婚を選択させられ、

病弱な金持ちの娘を娶ったら、ズッと後ろめたさに苛まれた。

Ⅵ、以降はやっていない。


ドラゴンクエストに挑戦。

これは五十代最大の挑戦になるかもしれない。

もしも挑む事が出来たら、このブログでシリーズ化したい。


お仕舞い。


弐阡壱拾弐年柒月壱拾玖日、千疋屋にて。

吉右衛門。


次回は前回、割と好評だった回想記の続編を掲載します。

写真キャプション、

左、スミレ、

右、ペンキ屋。




吉右衛門の営業日誌、常磐道を日立へ、の巻。


私の生まれは、1.953年の初夏。

先週、満59歳の誕生日を迎えた還暦の一歩手前だ。

趣味は営業。

そう、仕事でありながらもこの営業なるものが、趣味なのだ。

運がよかったと思う。

それは、趣味と仕事がイコールで結ばれたからだ。

27歳の時に営業を稼業としてから、そろそろ32年。

最早、老兵の部類に入る。

長引く不況と産業革命による若返りで、今も尚、

昔の名前ででている先輩は、私の知る限りにおいて、二人しかいない。

これは、そんな老兵の営業マンの、日誌である。


2012年7月10日、

今日これから目指すは、常磐日立。

この出張を前から楽しみにしていた。

というのは珍しく、相棒の恩田スミレが同行を求めてきたからだ。

彼女を傍に置いて一年半。最近は随分と力をつけてきたので、

ピンで営業を遣らせているが、なんの問題もない。

それと、体調を崩しているオレへの気遣いもあるのだろう。

気丈な性格も手伝ってか、何でも自力解決で済ませるようになり、

甘えてくることなどはなかった。

そんな彼女が、オレを頼ってきた。

嬉しかった。

這ってでも、行こうと思った。

その為、この日に照準を合わせて体調を管理し、

主治医に安静を解除してもらった。

今回の出張の経緯は、こうだ。

過日、日立市に在る新規開館の記念館から商談が舞い込んだ。

それをスミレが上手く纏めて、お座敷に呼んで貰えた。

しかし、事務所からの道のり150km。単独での運転はキツい。

それに安静も解除されたばかりで、不安もある。

このように書くと、それなら電車で行けばいいじゃないか、

との声が聞こえてきそうだが、それは許されない。

何故なら、オレの営業法度には、移動はベガ、相棒はスミレ、

との鉄の掟がゴシックで書かれているからだ。


11時、

愛車のベガ号で出発。

スミレも上述の不安は心得ていて、話題を沢山提供してくれる。

「九州の大雨をみていると、

家康が幕府を江戸に開いたのが分かる気がします…」

「オマエ、教養があるな」

「へっへっへ、それほどでも…」。

「なあ、先週、ネプチューンの番組を視たんだけど、

彼らは漫才もやるのか?」

「やりません。コント師ですから…」

「原田泰造はいい男だな、気遣いができて笑顔がよくて…」

「名倉潤も、ああ見えてボケもこなすんですよ」。

「あのお、それと前から言おうと思ってたんですけど、

今度、ふたりで漫才やりませんか」

「いいよ。『どうも吉右衛門でーす』、って出ていけばいいんだろ。

オマエは、出来るのか?」

「やりますよ。本さえ、書いてくれればっ!」。

……、

懸念することなど、なにもなかった。

取るに足りない会話を交わしていたら、いつの間にか現地に着いた。


13時半、

気合いを入れ姿勢を正し、理事長と事務局長にご挨拶。

早速、設立の趣旨と開設までの経緯、苦労話を拝聴する。

そして現地調査に入り質疑応答。最終的なリクエストも受ける。

厳かな雰囲気であったが、優しく語りかけて貰えた時間は素敵だった。

そんな先方に当方からも、ご利用の御礼に制作物の寄贈を申し出て、

一件落着。

いやはや、いい時間であった。

これだから営業はやめられない。


中略、

「海がみたい」、なんてくさい科白を吐いたのは、オレ。

「いいですよ」、と頷いたのは、スミレ。


16時、

海が見えてきた。太平洋だ。

ひと仕事を遣り終えた、スミレからは安堵感が漂っている。

オレも昨秋から続く闘病を思うと、

えも言われぬ満足感がこみ上げてきた。

爽快な気分だ。

そんな思いを胸に、ヒタヒタと海岸線を南下する。

90分も走っただろうか。

日立港を過ぎ那珂川を渡ると、大洗だ。

大洗に入ると適当な公園があった。

そこに車を停めベンチに腰掛け、海を眺める。

蒼い海と碧い空のハーモニー。潮風が心地よい。

そんな潮風に髪をなびかせて、スミレが照れながら告白する。

「最近、私、モテ期なんです。今日も上手くいったし、

先週の赤坂も無事納めました。多摩のプレゼンも取れそうだし、

調布の競争にも勝てました…」

「オマエ、凄くなったなあ」

と言ったきり、次の言葉が出てこない。

スミレが輝いてきたことは限りなく嬉しいが、反面、

何故か寂しさも感じる不思議な感情に支配されたからだ。

松林では、ニイニイ蝉が鳴いている。

「……、スミレちゃん、遅くなるから帰ろう」

やっと当り障りのない言葉を見つけて、背中を押す。

営業の夏、主役はスミレだ!。


お仕舞い。


弐阡壱拾弐年柒月壱拾壱日、大洗海岸にて。

吉右衛門。


次回は前回、割と好評だった回想記の続編を掲載します。

それと来週、ひこうき雲が飛込み営業デビューです。

応援してやってください。


写真キャプション、

上、相棒の恩田スミレ、

中、照れながらモテ期の告白をする、スミレ。

下、関八州を疾駆する、愛車ベガ号。



吉右衛門の回想記(1975-1985)、の巻。


この夏、孫が生まれる。

初孫だ。

この報せが長女から届いたのは、桜の花が満開だった頃。

嬉しいような照れくさいような、何ともいえない気分であった。

あの娘がねえ…。

娘の幼少期に思考が流れると、結婚当時の事までも思い出した。

私が女房と所帯と持ったのは、1.975年の春。

私も女房も二十一の時であった。

町の公民館で篠やかな式を挙げ、練馬の上石神井に在ったアパートの一室で新たな生活のスタートをきった。

あの頃、街には、南こうせつとかぐや姫の「神田川」が流れていて、私も小さな石鹸をカタカタならしながら、風呂屋へと通ったものだ。

その時の私の職業は、池袋に在った町工場の、工員。

そんな年端もいかない工員が何のビジョンもなく、共働きで適当にやろうとしたが、青すぎた。

直ぐに子供が二人も生まれて、家計は火の車に陥った。

大変であった。

然し、一家団欒は楽しく、笑いが絶えることはなかった。

今、思い出しても、あの頃が一番楽しかったような気がする。

私は浅学非才の典型だが、家族を守る為、頑張って体を張った。

賃金に釣られて職を二度も変えた。

工場勤務では残業に汗を流し、営業職では少しでも多く売り歩いた。すべて家に金を持って帰る為だ。

こんな事を書き並べていると、悲惨な生活を連想されそうだが、この時代が幸運であったのは、私のような出来悪も、体さえ動かしていればなんとかなったし、飯が食えたことだ。

然し、これから誕生する子供たちは、この難解な二十一世紀を生きていかねばならない。

それを考えると忸怩たる思いもするが、女房と娘がハシャギ廻る姿を見ていると、そんな思いは消し飛んでしまう。

それにしてもだ。

「おじいちゃん」と呼ばれたら、何と答えればいいのだろう。

感激して泣かないようにしないと、笑われる。


吉右衛門。


今回の回想記は今週末に更新を予定しています、

釣行記から引用しました。


ぷりめろ閉店。の巻。


私は毎朝、判を押したように10時10分前に、

地下に在る馬喰町駅から地上に這い上がってくる。

ここでひと息もふた息もついてから、

息が整うと同時に姿勢を立直し、何事もなかったかのように、

目の前の交差点に向かって歩き出す。

そして、馬喰町の交差点を左に折れ

清洲橋通り、金物通りを経由して事務所へと向かう。

このコースは遠回りなのだが、

広く整備された歩道と、充実した街路樹の景観を楽しめるので、

このルートを辿ることを、朝のルーティン・ワークとしている。


或る日の朝、このルーティンに異変が起きた。

朝っぱらから、「時には娼婦のように」を口ずさみ、

いつものルートをとぼとぼ歩いていると、

いつもと違う光景に気がついた。

お世話に成っている喫茶店、

「ぷりめろ」のシャッターが降りたままなのだ。


果て、女将さんが病気でも患って休んでいるのか…。

胸騒ぎがして、道路を渡って近づいてみると

小さな張り紙に、“5月末日で閉店”、と書いてあった。

オッと吃驚!。

慌てて、顔見知りのお隣のパスタ屋さんへ

準備中の非礼を詫びながら確認に行くと、矢張りその通りだった。


衝撃だった。

女将さんは昭和42年からやってるって言ってたから、

足掛け45年だ。

よく考えてみれば、お年もオレより10歳くらい先輩だったから、

無理もない。

でも、寂しくなるなあ…。


オレ、この店には思い出が、沢山ある。

三遊亭画伯の誠意有る辞意を受止めたこと、

田沼美冬と旅行の夜の馬鹿話をして、へらへら笑ったこと、

……、

書けばキリがないけれど、

ミーティングが終わった後、

いつも女将さんには元気をつけてもらった。


45年も続けた店を閉めるって、どういう気持ちだったろう。

オレにも、「お疲れさまでした」のひと言を

言わせてもらいたかった。

あの元気で明るかった女将さんは何処に行ってしまったのだろう。

どうか、お元気でお過ごしください。


こうして、オレの廻りからひとりふたりと人が去っていく。

堪んないね。

梅雨空が身に沁みる、昨今だ。


吉右衛門。


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