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吉右衛門のパソコン教室、全角英字の入力の巻。
拝啓編集長どの、
先週末から病の床に伏しまい、
更新予定が一日遅延した事をお詫びします。
各位、
キーボード入力で全角英字の入力方法はご存知ですか……?。
実は過日、真面目な入力方法を勉強したので公開します。
1、システム環境設定より、「言語とテキスト」を選択。
2、上記より、「入力ソース」を選択。
3、上記より、ことえりの「全角英字」にレ点。
4、⌘+シフトキーで、「全角英字」を選択。
5、これにて、一件落着。
これが正規な方法のようですが、
事務所にはもっと簡易な裏技の持ち主が存在します。
その方にも訊いてみましょう。
そうそう、
半角中黒においては正規入力の方法は存在しないようです。
お仕舞い、
2012年02月27日、
吉右衛門。
カラオケに行ってきたぞ!、の巻。
2012年02月16日、
ホントに久方ぶりに、歌なんぞを歌いに行ってきた。
一体、カラオケに行くなんて何時以来の事だろう……?。
そうだ、そうだった、
一昨年、浅草の鮨屋でやった事務所の忘年会以来だ。
という事は一年以上間隔が開いたという事か…。
今晩、ご一緒していただくのはスミレとピーナッツ。
去年の秋頃から約束をしていて、それがやっと実現した次第。
実はこの日、
直前まで田沼美冬の出前を運転手で手伝っていたのだが、
このカラオケが先約で有ったため、彼女は品川で見捨ててきた。
その事にちょっとだけ後ろめたさを感じていたのだが、
まあ許してもらおう。
そんなわけで、品川駅で山手線に乗車出来たのが18時半。
待合せ場所の渋谷へと向かう。
渋谷を選んだのには然したる理由はない。
強いてあげれば彼女等が神奈川県に居住しているからか。
19時、
渋谷駅より、
とぼとぼ歩いて宇田川町に有る目的地に着いてみるや思い出した。
ココは大昔、パチ屋だった所だ。
あれから40年。
いつかその時代の事もこのブログに書く事があるかもしれない。
どうやらオレが一番槍だと思っていたら、
直ぐに彼女等もきて、318号室で宴が始まる。
先発はオレ、
過日、NHKのSONGSで沢田研二さんが歌っていた
「僕のマリー」に挑戦するも出だし分からず、駄目。
二巡目は同じくSONGSで山本潤子さんが歌っていた「卒業写真」。
これも終盤まで息が持たず、駄目。
三巡目以降に何を歌ったからは、
この記事を書いている、今となっては忘却の彼方であるが、
大変お粗末であった事だけは間違えない。
次にピーナッツ、
彼女はエラい。
オレが事前にリクエストしておいた
「五番街のマリー」と「ジョニィへの伝言」を練習してきてくれた。
とても感情移入が出来ていたから、
何度の詩を読み、阿久悠さんの詩の意味を理解してきたのだろう。
そうそう、これを書いていて思い出したのだが、
この曲をリクエストした数日後に、彼女から素敵な返信をもらった。
本来こういったものを公表するのは、掟破りだと思うが、
あまりにも出来がいいので無断で披露させてもらう。
—–
“ジョニィへの伝言”
なんだか・・・切ないですね。
マリーのせめてもの強がりなのでしょうか・・・。
きっと本当はジョニィに気にして欲しいのでしょうね。
ジョニィとマリー、
お互いが曲中で会話をしている相手は同一人物なのでしょうか?
だとすれば
ちょっとした三角関係を想像してしまいますね。
もしかしたらジョニィの友人は
マリーのことが好きだったのかも・・・。
なんて想像を膨らませてしまいました。
—–
このロマンチックなピーナッツの思いがオレの胸をうった。
歌はこうでないといけない。
ココで写真も公開したいのだが、
このヤクザブログは写真編集が大変なので、
スミレの写真と供に文末に廻す。
最後はスミレ。
彼女もとてもよかった、
初披露の秋元順子さんの「愛のままで…」は秋元さんに負けず劣らず、
壮大に歌い上げた。
そして十八番の長山洋子さんも長山さんに成りきって歌っていた。
営業途中のアカペラもいいけれど、矢張りカラオケは格別だ。
突然ではあるが、
もっと書こうと思ったのだが、俄に睡魔が襲ってきたので、
後は写真を並べて失礼したい。
次回は梅雨の頃。
お仕舞い、
2012年02月18日、
吉右衛門。
都寿司へ行ってきた。
2012年02月07日、
どーも、吉右衛門です。
今回も食い物の話で恐縮です。
実は今晩、女房の誕生祝いに寿司を食べに行ってきました。
出向いたのは東日本橋にある名店、都寿司。
昨秋であったか、
東日本橋に寿司の名店があるとの情報を得たのは。
それからと言うもの、予約をするのに途轍もなく苦労をしたのだ。
電話をしても不通、偶に通じても既に埋まっていて駄目。
そこで先月上旬の休日出勤日に、訪問迄してやっと予約が出来た次第。
いつも、予約はひと月半先まで埋まっていると言うから、恐れ入る。
定刻の17時半に入店、
店内を見渡すと、
カウンター10脚と4名掛けのテーブルが並んでいる。
早速、親方に新参者である事と酒が飲めない事を告げると、
とても丁寧な挨拶を返してもらえた。
そして次々に予約客が来て、直ぐに満席。
さて、
お洒落な土器でお茶が出てから、ちょっと間が空いて
お任せが始まった。
小肌、真鯛、鰆、北寄貝、春子、中トロ、鯵、金目の炙り、赤貝、
車海老、〆鯖、穴子、玉。
此れ等が適度な間を空けて出てきたのだが、
どれもこれもクラクラと目眩がする程、美味しくて、
何と言うか、次が出るまでのワクワク感が堪らない。
本来なら、もっともっと食べたいたいのだが、
オレは今、医師から大食いを止められている、悲しい身。
最後にひっそりと、絶品であった金目の炙りと鮪の漬けを頼んで、
一件落着と相成った。
いやはや、
ココ十年、築地の場外、人形町、築地本願寺裏、浅草…と
随分食べ歩いたが、あまりの美味しさに驚いてしまった。
これで、
昨秋の入院で苦労を掛けた女房に、ちょっとだけの孝行が出来た。
次回は来月、37回目を迎える結婚記念日に、
広尾の日本料理屋さんへ行く。
吉右衛門。
吉右衛門の闘病日誌、リハビリの日々、の巻。
2012年01月20日、
今日は手術を受けてちょうど三ヶ月目の日。
定期検査検診とリハビリの為、東京大学医学部附属病院へと向かう。
午前9時、
病院へ到着して直ぐに手続。
その後、X線、心電図、血液の順で検査を受け待合いに腰をかけ、
診察を待つ。
今日も多くの患者さんが来て、待合いは大賑わい。
ココではボランティアの方が数名、案内係を努めていて、
フロアの案内やら書類の書き方の指導し、
世話を焼いてくれているのだが、何せ患者の方が多いから大変だ。
それにも拘らず、
中には案内とは関係のない話を延々をしている年配者もいる。
これは想像だけど、ご家族と離れて過ごされているので
キッと誰かに話を聴いてもらいたいのだろう。
それをキチンと受け留めている姿には感心させられた。
それとだ。
もしここに昔のガッコ時代の旧友が居たら、
オレの事を気付いてくれるのだろうか?。
こちらが気付いて「オイ、田中っ!」と、声をかけても、
「貴男、誰ですか……?」と言われてしまいそう。
学校出てから既に40年、この変わり果てた姿を見て、
オレだと気付く奴はいまい。
オレだけではない。これが彼女とも成ると、
ウチの婆さんを見る限り面影すらないだろう。
今更乍ら思うけど、
彼女等は今、何処で何をしているのだろう。
恐いものみたさではないけれど、
ちょっとだけでも覗けるものなら覗いてみたい。
こんな事を想い含み笑いをしていたら、
「吉右衛門さーん、お入りください」と、呼んでもらえた。
10時半、
問診が始まった。
先「どうですか、お変わりないですか……?」。
吉「まだ、長く生活すると疲れるのですが、前回(11月上旬)より大分向上してきました」
先「検査結果も悪い方にはいってないようですから、もう暫く大事にしていてください。他に何かありますか?」
吉「あのお実は、最近釣り場の看板を作って販売しているのですが、前回は、駄目、と言われた釣りを始めてもいいですかっ?。日溜まりの釣り堀で4、5時間程度でいいですから…」。
先「まあ、いいでしょう。そのかわり水分の補給は充分に、呉々も脱水には気をつけてください」
やった!。釣りが出来る。
11時10分、
検査を終え、今度はリハビリ。
こちらの方は始めてから2ヶ月になる。
現在正月休みを除外すると2週間で3回程度通っている。
ではリハビリで、何をやっているのか。
先ずは回復不足者仕様に付加が低く設定された、自転車を40分こぐ。
それが終わると続いてゴムを使った筋力トーレーニング。
これは手足合わせて6種目を各々15回、
更に足頚の伸縮とスクワットを各々20回。
これがキツい。
キツいのなんのって15回目を越えた辺りから、泣きがはいる。
こんなにキツく辛いメニューも続けていれば、
いつか克服出来る時はくるのであろうか。
コーチ曰く。
筋肉を兵隊に例えて、今、働いているのは
1000人いる兵隊のうち100人しかいません。
だから寝ている残り900人を起こし尚かつ、
ひとり一人を強く鍛えれば出来ます。
分かり易く言ってもらえた。
この彼はスポーツマンだし思いやりもあるし、すごい好青年。
そうだ、いつかオレが仲立ちしてペンキ屋に紹介してやろう……。
12時40分、
病院を後にして食事に向かう。
オレはどんな苦境に立たされても食欲が衰えた事は無い。
それは肉体的にも精神的にもだ。
今日は湯島へ担々麺を食べに行くつもりで、
とぼとぼと向かっていると、
道中、俄にトンカツが食べたく成ってきた。
そしてその思いが強く成り、
食べたくて食べたくて堪らなく成ってくると、
頭のなかで担々麺とトンカツとの壮絶なる戦いが始まった。
結果はと言うと、
何の為に自転車をこいで筋力トーレーニングやっていたのかっ!、
との天の声を聞いて初心貫徹、担々麺が勝った。
己の僅かな良心の存在に満足しながら店に着くと、衝撃のコメント。
店員不足の為、不定営業となっています。だって。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13042564/
あの名店がねえ。
以外な事態に陥り乍らも、思った。
これで堂々とトンカツが食える、と。
http://gourmet.walkerplus.com/……461011127/
お仕舞い。
2012年01月29日、
吉右衛門。
実は津軽海峡冬景色を語ったのはNGだったのだが、の巻。
2012年01月05日、
御用始め日の挨拶の事。
あの日、津軽海峡冬景色がどうのこうのと話したわけだが、
ごめんなさい。今更だが白状すると、実はあの場で喋るつもりだったのは、津軽海峡・・・ではなかったのだ。
では何がお題であっかと言うと、新年度が赤字で始まったので社員さんへは奮励努力のお願いと、今年から導入するつもりの、主将制についての説明をしたかったのだ。
それがこの主題を抜かして喋ったのは、まったく以て不覚というかお粗末であったが、それが思わぬ尾ヒレを生んで、幸せな気分になれたのだから、物事はどう転ぶかわかなない。
先ずはあの時、何故、あんな話をしてしまったのか。
それは正面に立っていた、ひこうき雲と視線が合ってしまったのがいけなかった。
その瞬間、紅白歌合戦で井上真央さん(あの時はみずほ銀行のポスターの娘と言った)が石川さゆりさんを感激の面持ちで初々しく曲紹介した時に、ひこうき雲の司会を思い出した事へ、思考が流れてしまった。
普段から起承転結までは考えずに喋るオレの事。つい歯止めが利かずに脱線してしまった。
あれじゃあ、もう社員さんには話は誠実にしろ、なんて言えやしない。
反省、猛省、反省の時間を経て、
昼にスミレを連れて銀座の焼き鳥へ行った時の事。
※鳥繁、 http://ginza-torishige.co.jp/
入店するなり、
喉が乾いたので何か呑みたい、とネダる彼女。
じゃあ麦酒でも頼もうか、と言ったのはオレ。
ジョッキを、カチンっとブツけて、
一週間のご無沙汰でしたっ!と乾杯。
仕事中だというのに、ゴクッゴクッ!、と音を立てて呑むスミレ。
流石に一週間もブランクがあると話題が尽きない。
箱根駅伝、暮れの番組の演出への苦言、それから動画サイトに登録する事が出来てヤクザ映画を散々観て過ごしていた話等など・・・。
やがて鳥が焼けてきて舌鼓を打ち始めると、静かに成る。
オレはさっさと食べ終え、
スポーツ新聞を拡げて東西の金杯の予想を始める。
そう、この後彼女と別かれて銀座の場外馬券売場に買いに行くのだ。
赤鉛筆を片手に予想に熱が入り始めた時辺りから、隣で鼻歌が聞こえて来た。たいして気にも留めずいたら、店を出ても未だ歌っている。
吉「オマエさっきから何を歌ってるの」、
何気なく訊いてみたら、
ス「津軽海峡冬景色ですよお」、
嬉しい答えが返ってきた。
吉「早速練習してくれてるんだ、ありがとう」、
笑顔で応えると、
ス「ハイ!。でもサビの部分が難しくて、天城越えの方が簡単かな」、
とヌカシしやがった。
吉「言ってくれるじゃねえか、この野郎!。天城越えはなっ」
ココまで言うと遮られて、
ス「知ってますよ、苦労を知らない女は歌っちゃいけないんですよね。アハハ」、だって。
いやはや、今年も遣り込められそうだ。
スミレちゃん、楽しいお昼をありがとう。
更に、続く。
自宅に戻っての夜の9時頃、一通のメールが届いた。
早速、開封してみると、
2枚の写真と供に、
こんなメッセージが添えられていた。
竜飛岬の石川さゆりさんのお歌像です(^.^)
夏にとったやつが、叔母から写真で送られてきました~。
携帯で写真を撮ったので汚いですが‥
感動と言うか、驚きと言うか、これには暫し息を呑んでしまった。
オレのしょうも無いNG話にも、
しっかりと耳を傾けてくれていたスタッフがいたのだ。
彼女はオレが喜ぶと思って、郷里の叔母さんに頼んで
この写真を送ってもらったのだと思う。
何だか嬉しい様な、申し訳ない様な複雑な気分だったけど、
結局、嬉しく幸せな気分だけが残った。
オレはこの貴重な写真は大切にズッと保管させてもらう。
そうだ、
3月の明治座の石川さゆり公演は、ひこうき雲を連れて行こう。
お仕舞い。
2012年01月13日、
一年前、ハンバーグ屋で
愛の貧乏の脱出大作戦について語り合った日。
吉右衛門。