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酒井さおりさんが、やってくる。
10年前に、
ラピス・ラズリを創設した時の女房役、
酒井(旧姓川崎)さおりさんが21日11時にやってくる。
そう、
大体の社員さんは名前くらい聞いた事だがあるだろうけど、
彼女は事務所を立上げる時にとっても世話になった女性なのだ。
紹介するから、みんな
大きな外出予定がなければ、出来るだけ社内に居て欲しい。
酒井さおりさんの事。
彼女は知人の紹介で、オレが勤めの頃の
1.996年秋から寿退職する2.004年暮れ迄の8年間、
ズッと傍で支えてくれた、オレの二代目の恋女房です。
(庄内さんや江戸川工房さんも知っています)
独立する時、彼女を口説くのに
「オレ、会社ヤメて独立するんだけど、手伝ってくれない」
このように言ったのを覚えているんだけど、
「私は女だから結婚する迄になるけど、好きに使ってください」
こう言ってついてきてくれた。
最後に逢ったのは、2.005年の秋。
仕事が、てんてこまいに成ってしまって
彼女の住んでいる茅ヶ崎駅迄仕事の依頼に行った。
そしてら大きなお腹を抱えて逢いに来てくれて手伝ってもらった。
あれから6年経って、彼女は3児のお母さんだ。
嬉しいよね、逢いに来てくれるのは……。
今から10年経って、今居るヤツ等がみんな嫁に行って
訪ねてきてくれたら、どうだろう。
オレは順調なら70近いから、
ボケが進行していて、誰だかわからなかったりして……。
吉右衛門。
新宿中央公園。
2011.04.05。
仕事で京王新線の初台に行った帰路の事。
春めいた快晴のもと
散歩を兼ねて新宿西口まで歩いたのだが、
途中、数十年ぶりに新宿中央公園を通った。
実は白状すると
この新宿中央公園こそ
1.972年03月14日に
若かりしオレが女房を口説いた所なのだ。
あの時、彼女に「うん」と言わせてから
約四十年の歳月が流れた。
いろいろあったような、ついこの間のような……。
然し、四十年って重いね。
もう一度やり直せと言っても、出来ないもの。
初台での仕事が、
いつになく辛い仕事であっただけに
いろいろ思い出してしまった。
今日は、柄にもなくちょっと感傷的でした。
吉右衛門。
計画停電。
2011.03.24。
先週から計画停電が実施されている。
その公平性は兎も角として、
オレが居住している千葉の市内はトコトン灯りが消される。
その為、この日も夕刻から実施されるとの事で、
不安にかられているであろう家族の為に、
早々と仕事を切り上げ、帰宅の途についた。
駅に着いてみたら、駅下の商店街は既に終業。
ロータリーに出てみると、未だ十八時前だと言うのに、
ちょうどパチ屋のシャッターが閉まるところ。
これじゃあ、商売に成らないだろう。
帰宅して家族に迎えられ、停電を待っていたのだが
定刻になってもなかなか灯りが消えない。
家内に聞くと、いつも遅れて始まるとの事。
それでも始まらないので、
今日は中止か、と思いきや突然ブチっ!。
音と同時に暗闇に成った。
早速、家内がロウソクに火を灯し
「わーい、停電停電っ!」とハシャギだし
子供たちも嬉しそうに部屋中を走り出した。
……なんだ、結構楽しそうにやってじゃねえか。
こんなんだったら、もっと仕事をしてくればよかった……。
ひとりブツブツと言っていたのだが、
この状態が三時間も続くのかと思うとヒマで仕方が無い。
そこで女房に、
「オイっ!、歌でも唄え!」と言ったら
「嫌よっ!」、キッパリと断られた。
そういえば、所帯を持ってから36年、あいつの歌は聞いた事が無い。
恐らく、子守唄すら唄ってないのではないか。
それとオール電化だから寒くて仕方がない。それを口にすると
「被災地の方々はもっと辛い思いをしているのだから……」
と説教をされる始末。
「そうだ、オレの服を被災地に送ろうよ」、と提案してみると
「馬鹿ね!、古着なんか送ったら失礼でしょ。
それに太った貴方の服なんか誰もいらないわよっ」だって。
なんで不安な家族の為に、早く帰ってきたオレをそんなに罵るのだ。
「鬼っ!」、心の中で叫んでやった。
間が持たないので、マリンと五郎に
「停電で、ヒマっ」とだけ書いてメールを送ると
マリンから直ぐに返信が来た。
オレの腐り目では細かい字は読めないので
ロウソクを頼りに虫眼鏡で読んでみると、やった!。
「ただ今、自炊中(笑う)」とある、
これは今度手料理を作るので来て頂戴、との謎掛けだろう。
遂に彼女はオレに心を開いた。
ひとり、ほくそ笑んでいたら五郎からも来た。
こちらも読んでみると、哀しいお知らせです。受注した仕事の開催延期が……。
別に、こんな事は明日でも良いだろうに……熱心に仕事してくれているんだ。
こんな事をしていたら、予定より大分早く灯りが点った。
時間にして九十分あまりの出来事だったが、ズッと電気がある事が普通の生活を営んできたのに対応が出来ない。
まさか、こんな時代が来るとは思いもしなかった。
これから、どうなってしまうのかなあ。
それと、案外家族で一番対応が出来てないのがオレだったりして……。
吉右衛門。
途轍もなく長い一日だった、の巻。
このたびの東北地方で起きた巨大地震の為、
最愛の方を失った方々に哀悼の意を捧げます。
そして被災されています多くの方々に、お見舞いを申し上げます。
2011.03.11。
十五時出発で頼まれていた仕事の前に事務をやっていた。
そして、その出発の数分前から揺れが始まった。
最初の頃は大した気にも留めずに、
直ぐに止むだろう程度の気持ちでいたのだが、
揺れが大きくなり、
窓がギシッギシッと唸りはじめ鉢が落下した頃になって
やっと腰を上げつつあったのだが、
キリのよいところまでやろう、と粘る自分もいてモタモタしていたら
ロビンマスクの「避難しましょう」の声に促されて席を立つ。
この判断は、本来俺がやらないといけない。
これは今後への反省、猛省。
何はともあれ、ロビンマスクには感謝。
全員、下の駐車場に避難した後、
納品先への出発の準備をしていたら二度目の大揺れ。
見上げてみたら、周囲のビルが左右に揺れている。
これはいけない!、
早く納品を済ませてきてしまおう、と慌ただしく出発。
出発してみて気がついた。こんな事をしていてよいのだろうか?
もっとする事があるだろう。
何よりも、社員さんたちを早く帰宅させないといけない。
納品の遅れについては後日関係各位に謝りにいこう。
そう決めて、またも臨時の避難所に戻り
今日の仕事の中止を告げ、帰宅の段取りを話す。
荒川区新宿区葛飾区の居住者を北組として、
獅子丸を頭に鶴とロビンマスク、それに一昨日からの新人の方。
南は大田区の田沼美冬と絵島マリン、川崎の恩田すみれとで頭はオレ。
話した後、目の前で進行している仕事の段取りを組み直すべく、
依頼先との折衝に動くが電話が通じない。
致し方ない、急いで新富町の相手先に出向き土日の対応を依頼。
応諾してもらって、帰社してみると北組は既に徒歩で帰宅したとの事。
十六時二十分。
愛車のベガ号に南組の三名を乗せて出発。
出発して直ぐに昭和通りに出たが、
さっきまでガラガラだった通りには車がギッシリ詰まって動かない。
それでは!、と東へ迂回して清澄通りを南下、
これが図星となりスイスイと進めたが、
晴海通りを右折して勝鬨橋を渡河する辺りで、またも渋滞に捕まった。
暇にまかせて窓外の光景を眺めると、外は既に夕暮れ。
同じように、後部座席に居るロマンチストのマリンも橋の向こうで
ビル群に沈み行く夕日に見蕩れて、「キレイ!」とひと言。
思わず肩に手を廻したかったが、ほかの二人に遠慮してヤメておいた。
ベガ号はどうにか築地から市場通りを汐留に向かい海岸通りを左折。
首都高速1号羽田線の下を芝浦、品川と来たのだが、ココからが駄目。
天王洲を右折したのが、痛恨の命取り。
空前絶後の渋滞に遭遇してしまった。
この渋滞は何だ!。
オレは過去に、こんな渋滞に巻き込まれた事はないぞ!。
まさに渋滞のレベルは、鬼。
あーあ、こんなんだったら天王洲を大井競馬場方面へ行くべきだった。
不安がられるので黙ってはいたが、
オレの判断ミスで遅延を招いた事に、
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
十八時四十分。
すっかり動けなくなった。
そして気温も下がり小雨もパラツキだした頃、
美冬とマリンは、ココで下車して徒歩で帰る、と言う。
昨夜も遅くまで働いてもらったから早く帰宅して休みたいだろう。
二人の居住地までをナビゲーションで計測すると残りは、5.2キロ。
ごめんよっ!。こんな所で降ろすハメに成ってしまって……。
残念無念だが、後の展開を思案したら止む終えない。
後顧に憂い感じながら二人を見送る。
後部座席のすみれを前に呼んで、再度出発といきたいが走れない。
そして、そのままズッとズッと走るには至れない。
ラジオから流れてくる情報は凄まじいものばかり。
お隣の韓国が救援の意思を表明してくれているけど、
日本は救援に行くばかりで、来てもらう事があるなんて……、
こんな事態に遭遇するとは、考えてもみなかった。
いやはや、なんと言うか改めて事の重大さを思い知る。
すみれとは、彼女との定番である愛の貧乏脱出大作戦や
ジャイアントコーンの話をしていたのだが、話題が途切れると、
先ほどの二人が心配で、頭がそちらに支配されてしまう。
二人ともいい女だから変なヤツに絡まれていないだろうか、
転居したばかりで土地勘も乏しいだろうから、道に迷っていないか。
忸怩たる思いでいたら豈図らんや、すみれの携帯に美冬からメール。
何でもマリンと飯を食っているとの事。
ホッとひと息。安堵、安堵の三度笠。不安から解放された。
二十二時零零分。
すみれがジャイアントコーン屋を目敏く見つけ、
それを買いに行ってもらっている間に下車して軽く体操。
久方ぶりに、足を地に着ける事が出来た。
そうこうしていたらマリンからも無事帰宅のメールが届いた。
やれやれ、なんだか仕事を半分だけだがやり遂げた気分。
現在地は、品川の南に位置する鮫洲付近。
ココは徒歩で帰宅した二人が下車した地点と彼女等の居住地の
真ん中あたり。
うーん、約三時間半で2.5キロか……。
すみれの家までは残り19.8キロ。
ココで残りの距離から推定到達時間を暗算してみる。
今迄走った2.5キロを3.5時間で割って、
残りの19.8キロを掛けてみたら……なんと残りは14時間。
呆れた!、魂消た!、途方に暮れた。
愕然としたが、
彼女を、心配して帰りを待つ親御さんの元に
送り届けるのはオレの使命だ。
それと序でに
昨日六本木に置き去りにしてきた罪滅ぼしもしたい。
兎に角、頑張ろう。
二十二時三十分。
なんだか、もうしわけないなあ。
営団地下鉄が動きだしたようだから、
あのまま待機させた方がよかったのではないか……。
そう思って、ひとりションボリしていたら、天は我を見捨てず!。
大井町を抜けた辺りで俄に流れ始めた、それも夢の時速40キロだ。
然し、その夢も続かない。環状七号線で又もつかまった。
そして二進も三進も行かなくなった。
これはもう勝負に出るしかないだろう。
馬込を過ぎたら住宅密集地に突入して獣道を中原街道に出よう。
ひとりブツブツと呟いていたら、隣からは寝息が聞こえてきた。
二十三時三十分。
上手くいった。
抜け道が図にあたって一気に突っ走れた。
さっきまでの落胆した気持ちは何処へやら。
どんなもんだい!、オレは何時でもタクシーに乗れるぞ、と
自慢げに話したら、寝息が豪快なイビキにかわっていた。
中原街道を越えて、多摩川を渡河して最後の直線、
南武線の下をヒタヒタと走り、到着。
二十四時二十分。
すみれの母上と初めて対面。そして娘の引き渡し。
得意の営業口調で、
すみれには、日頃から支えてもらい世話になっている事、
ヤクザなオレにいつも優しく接してもらっている事、
日々、遅く迄働かせていて申し訳ない事、
そして、今日は娘さんを無事にお届けした事。
四番目は口には出さなかったが、これらの謝辞を述べて一件落着。
母上にも喜んでもらえて、よかった、よかった。
なんだか、重大な役目を果たせてホッ出来た。
二十四時三十分。
すみれと彼女の母上に送られて出発。
彼女らの姿が見えなくなったあたりでブレーキを踏んで思案六法。
さて、これからどうしよう。
何処で寝よう?。
自宅のある千葉はガスタンクが引火したとかで
危険だから帰ってくるな!、と家内からメールが入っていた。
となると世田谷の母親のところか、大田の舎弟のとこか、
将又、荒川や北の子供たちの所か……。
何処って、考えるまでもなかった。
帰るのは、千葉の自宅に決まっているだろう。
危険とは言え、
家内は不安がっているだろうし、
幼い子供たちもこの手で抱きしめたい。
頑張れば鶏がなく頃には帰れるだろう。
これって、社長から父親に変身したって事だろうか……。
多摩川を渡河して駒沢通りから明治通りを抜けて新橋へ。
ここから市場通りを経由して清洲橋通り、
そしてとっておきの抜け道を通過して、
小松川橋を通って荒川を渡河出来たのは二十六時半。
14号の混雑が予想外だったので、新大橋通りに戻り
今井橋の通過は二十七時、千葉に帰ってきたぞ。
こんな時間なのに周囲は異様だ。
歩道には家路に向かう方が沢山の歩行しているし
車も地元のヤツではなく、
足立練馬ナンバーで車両の側面には社名が表示してある。
キッと電車が止まったから会社の車を利用してるんだ。
やっと357号に合流できたが、ここの渋滞もきつい、
それに今迄大人しくしていた、睡魔が襲ってきた。
ここで演歌のひとつも流したいが、
こんな日のこんな時に演歌を聴く事には後めたさを感じる。
然し、この際は掟破りだが仕方ない。許してもらおう。
遂に睡魔を打倒すべくiPodをオーディオにつなぐ。
越冬ツバメと雪国を聴いたら元気も回復。
二十八時。
二十八時は言い換えれば、午前四時。
普段なら魚釣りに出かける時間だ。
もしかしたら鶏に負けるのではないか?。
そんなつまらない事を考えていたら、船橋ららぽーとに到着。
ここらからは地元民のみぞ知る近道の海浜通りを選択。
液化上現象に驚きながらも走り抜け、
なんかとか二十八時四十分、自宅に戻れて、一件落着。
写真判定で鶏にも先着出来て、長い一日が終わった。
そして、大きな仕事をやり遂げられた充実感で心は満たされた。
終わってみて思う。
オレは年なんかとっていない、まだまだ頑張れる。
自信が回復してきたぞ。
長文失礼しました。
お仕舞い。
吉右衛門。
雛祭りの誕生日の巻。
2011年03月03日。
ウチの事務所には雛祭りが誕生日の社員さんが偶然にも二人いる。
烏帽子岩のマリンとニコタマ五郎だ。
このふたり、誕生日も一緒だが絵描き崩れである事、気遣いが出来ない事と共通点も多々ある。
そんな事はさておいて、
この日は、
昼休みに二人の誕生日の御祝いを日本一の麻婆豆腐屋で行う予定。
それに備えて朝出掛ける時も、
鏡に向かって何度も笑顔で、誕生日おめでとう、
の練習を繰り返し、涙ぐましい努力を重ねて出社したのだが、
生憎と、
急な予定が入って五郎と渋谷方面に営業に行く事に成ってしまった。
残念だけど、仕方がない。
申し訳ない気持ち一杯でマリンに、「ごめんね、急な予定が入って」と延期を申し入れたら
少しは残念そうな顔をするかと思いきや、
「ああ、そうですか」とまったく意に介さない様子、
而も約束すら忘れていたではないかと思いたく成るような言いよう。
なんだか拍子抜け。
さて、五郎との営業が終わったので二人で御祝いの食事をする事に。
いつもこちら方面に来た時に立ち寄るハンバーガー屋に彼女を接待。
クラシックバーガーを頬張る彼女を横目で観察してみたら、
どうやらルンルン気分、楽しそうに美味しそうに食べている。
この姿に誘って良かったと安堵して、更に
「ケーキも食べる?」と尋ねたら、
「あたしはいいから、ひとりで食べれば」だって……。
オイオイ、オレはオマエの誕生日だから気を遣ってるんだぞ。
何てヤツだ。
先日体調不良で退職した、ピーナッツだったら満面の笑顔で
「ありがとうございますっ」と言うぞ!。
今更ながらだが、
あいつは人情の機微のわかるいいヤツだった。
更に翌日の事。
この日は直行で埼玉地区に行く予定が有ったので
自宅からマリンにメールで、麻婆豆腐屋は再度誘ったら
多忙を理由にあっさりと断られた。ちょっとムッとしたが
そんな事はオクビにも出さず、ホワイトデーの返しを
「オレの口づけと麦酒、どっちがいいっ?」と冗談できいてみたら
笑いながら大声で
「ギャハハーーッ!絶対に、ビーールっ」と絶叫しやがった。
ホントに何て奴だ。
どうしてこうも
オレの好意は伝わらないのだろう。
なんだか、寂しい誕生日でした。
吉右衛門。