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社員のみなさん。素敵なお心遣いをありがとうございました。


社員のみなさんへ。

素敵なお心遣いをありがとうございました。

とても嬉しかったです。


二コタマゴロウさま。

わたしの一番苦しかった時、傍にいてくれました。

最近の仕事ぶりはずいぶんと完成度が高くなってきましたね。

これは日々の精進の賜物です。

これからも頑張ってください。


激写さま。

激写さんと出会ってから五年。

今では、文化施設だけでなく制作を支えてもらっています。

ありがとうございます。

これからも制作部をよろしくお願いします。


飛行機雲さま。

震災の年の年4月8日でした。

わたしは有楽町線の平和台へ行きました。

あなたをスカウトする為です。

世話になっているのは、わたしの方です。

昨年の暮れ。食事に付き合ってくれたことは忘れません。


白鳥ダンクさま。

任された仕事は間違わない。

これがダンクさんの信条ですね。

顧客からも直接電話をもらったりで、ずいぶんを成長してくれました。

また、最近は長距離走を始めたりで頑張っていますね。

そしてどんなに急がしくて大変な時でも、周囲への気遣いをわすれない

ダンクさんです。

いつもありがとうございます。


千葉さな子さま。

いま職場で一番お世話になっているのが、千葉さな子さんです。

いつも暖かく接してくださいまして、ありがとうございます。

また今年の業成がよいのは、貴女との営業開拓の成果です。

一昨日の求人で一番よい人に来てもらった事を実感しています。

生活環境が変わって大変かと思いますが、御負担にならないように頑張ってください。


頂いたものは大切に扱わせて頂きます。


また、今週の何処かでいつものタルトを買ってきます。


2016年04月24日。


株式会社ラピス・ラズリ

代表 岩村清人。


写真の載せます。

キャプション、

上、お心遣いを縫ぐるみと色紙。

下、十周年に頂いた縫ぐるみと。


「きっと待ってたんですよッ!」の巻。後編。


あらから、一ヶ月が経った。

代替品を入手できたとはいえ、決して諦めてたわけではない。

そんなわたしに天は好機を与えてくれた。

あの日の現場を訪れる機会が生まれたのだ。


見当をつけていた訪問先が違った今、残す可能性は三ヶ所。

営業先の二カ所と食事に寄ったハンバーガー屋だ。

ハンバーガー屋に関しては当日問合せてみたが、

対応してくれたのは年端もいかないアルバイト。

コーデュロイのハンティング、と、云っても、

まったく理解してはもらえなかった。

そこで今日は、木更津で入手した代替品を持参してきた。

これを見せて有無を確認するのだ。


ここは西東京の、とある町。

ひと仕事を終え帽子の探索に向かうが、あいにくの悪天候。

朝から大雨が降っている。

それだけに視界が悪い。

車での走行には腰がひける状況だ。

しかし、そんなことを云っている場合ではない。

今日を逃すと、今度、何時ここに来れるかがわかない。


ハンバーガー屋はその町の、小さな駅の傍に或る。

この駅は郊外であるにもかかわらず、各駅停車しか停まらない。

そんな環境だから当然のごとく、駐車場などはない。

それゆえ、近所の駐車場に停めるのだが、

この駐車場は細長いウナギの寝床のような形状をしているから、

運転がへたなわたしには、とても停めにくい状況だ。

前回も苦労したが、この日もそうだった。

進入は前向きで入るのだが、駐車スペースは後ろ向き。

当然の事ながら、途中で転回する必要がある。

何度も何度も切り返して、方向転換をしていた時だった。

ルームミラーに異物が映っているのに気がついた。


あれは、何だろう…?。

不吉な予感が脳裏を過る。


車庫入れが終わった大雨のなか、確認に向かう、わたし。

ずぶ濡れになったが、そんなことには構っていられない。

異物は裏返しになっていた。

まるでボロ雑巾のようだった。

しかし、その雑巾にはロゴがある。

読みづらくはあったが、読み事ができた。

ロゴは、Papas、とあった。

異物の正体が確認できた。

やはり、そうであった。

それは愛しの帽子の、変わり果てた姿であった。


推測だが、あの日、

運転席から転がり落ちて、そのままになっていたのではないか。

そう考えると、このひと月の間、風雨にさらされながら、

尚かつ、何十台、いや、百数十台の車に踏みつけられたのではないか。


可哀想な事をしてしまった。

帽子を抱きかかえるようにして、車に連れ戻った。


とりあえず、

心配を掛けたスタッフと家族に無料通信アプリのLINEで、

「帽子発見!」の速報を出した。

事務所では飛行機雲と南海の美人剣士に送った。

すぐに返信がきた。

それは何れも、心温まるものだった。

こんなにも周囲の人に喜んでもらえた帽子は、果報者だと思った。

今度は電話を入れた。

飛行機雲が出た。

帽子の無事を伝えると、

「きっと待ってたんですよッ!」

そこまで云った飛行機雲の声が聴き取りづらくなった。

どうやら感激のあまり、嗚咽してくれているようであった。


飛行機雲のことを想った。

なんて優しい心の持ち主かと思った。

村一番の花嫁になれると思った。

そして女優の二階堂ふみさんに似ていると思った。


こうして散々な目にあわせた帽子であったが、

無事に帽子を自宅へ連れて帰ることができた。


お仕舞い。


附記。

最後に写真を掲載して終わりにします。

三週連続の駄文をお読み頂きまして、ありがとうございました。


2016年04月08日。


吉右衛門。


写真キャプション、

上から、

発見当時、

蘇生手術後の陰干し、

記念に刺繍を入れた、

木更津での購入品と記念写真。


「きっと待ってたんですよッ!」の巻。中編。

房総半島の中程の位置する、木更津。

ここに評判の回転寿司屋があるというので、

千葉の自宅からやってきた。

寿司屋の話は後日に譲るとして、

この店があるのは大型ショッピングモール。

ここにわたしが利用する洋服屋も出店をしている。

昨日帽子を紛失したわたしは、一縷の望みを抱いて寄ってみた。

店長に帽子を紛失して困っている旨を話すと、

今、店に並んでいる商品は、2013の型落ち物とのこと。

確かにあの帽子を買ったのは二、三年前ではあるが、

わたしの人生。こういった場合の期待はことごとく裏切られる。

それでも、あれば嬉しい。

ちょっとしたドキドキ感をもって案内してもらうと、オッと。

陳列棚に、ちょこんと並んでいるではないか。

よかった、よかった、とは思いながらも、

これを買うと、あの帽子への裏切りになるのではないか。

それに怠惰なわたしのこと。捜査意欲をなくす危惧もある。

しかし、万が一、出てこない可能性も否定はできない。

そうなると残されたチョッキに寂しい思いをさせることになる。

そこで店長に事情を話し取り置きをしてもらった上で、

昨日割り出した、訪問先に問い合わせてみた。


問い合わせた結果は、無惨であった。

ここしかない、と、

決め込んでいた訪問先に帽子の届け物はなかった。

ため息をつく、わたし。

捜査は闇に包まれた。


代替品を見つけた安堵感と目星を付けた訪問先になかった喪失感。

複雑な思いが交錯するなか、

とにもかくにも、代替品を確保して店を後にした。


続く。


2016年04月02日。


吉右衛門。


「きっと待ってたんですよッ!」の巻。前編

帽子がない。

灰色の帽子がなくなった。

先月の12日のこと。

現場から戻った車庫の中で、帽子がなくなっているのに気がついた。

あの帽子は、2013年にチョッキと対で買った物だった。

番いで買うと仲を引き裂いたような気になって罪の意識に苛まれる。

それでも、職場に戻れば案外あるのではないか!、

そんな期待を持って自室の扉を開けるも、その姿はなかった。

困った、なんとか見つけなければ…。


実はわたし。

学生の頃は、ホームズ、と呼ばれていた学生探偵であった。

昔取った杵柄ではないが、その経験を生かして何とか見つけ出そう。


早速、捜査に取掛かった。

この日行動を共にしたスタッフから証言を集めた。

出掛けに事務所の出口であった、千葉さな子の証言。

「吉右衛門さんが灰色の帽子を被って行くのを見ました」

午前中行動を共にした、二コタマゴロウの証言。

「吉右衛門さんが帽子を被っていたかどうかは覚えていませんが、オートンの中に忘れ物はありませんでした」

午後ずっと一緒にいた、飛行機雲の証言。

「吉右衛門さんが帽子を被っているのは、車庫で会った時からずっと見ていません」

となると、考えられるのは、

オートンを下車してから飛行機雲と会うまでの間という事になる。


その考えで行くと、行き先は一ヶ所しかない。

これは案外簡単に解決できそうだ…。

これからそこに電話で問い合わせればよいのだが、時計の針は18時を廻っている。週明けにでもしてみよう。


この日の捜査は、ここで終了。

安堵感を抱いて、帰路に就いた。


続く。


2016年03月27日。


吉右衛門。


「偉大な先輩が逝ってしまわれた」の巻。


一昨日の夕方であった。

営業から戻り事務処理をしたわたしに、訃報がもたらされた。

訃報を報せてくれたのは取引先であるT社のSくん。

Sくんが勤務されている会社の大先輩であるAさんが、急逝されたとのことだった。

呆然とする、わたし。

Aさんは、わたしが尊敬してやまない営業の先輩であった。


わたしがAさんと関わりを持てたのは、昭和と平成の狭間の頃。

今思えば冷や汗ものであるが、その頃のわたしは怖いもの無しの絶頂期であった。

それゆえ、世間のみなさまには随分とご無礼を働いたかと思う。

そんなのぼせ上がっていたわたしにAさんは、時に言葉で時に態度で、いろいろなことを教えてくれた。

そのAさんが逝ってしまわれた。

わたしは可成り厳しい現実を受け止めねばならなかった。


翌日、わたしはAさんの葬儀に参列した。

式が始まる前の会場にはAさんが生前に唄われていた演歌が流れていた。そしてたくさんの写真が所々に飾られていた。

辛い現実がどんどんと、わたしに迫ってきた。

式が始まり導師入場。

お経が唱えられるとAさんとの思いでが脳裏を駆け巡った。

そして焼香を済ませ、出棺前の別れ花も入れさせてもらった。

式が終わっても葬儀場の隅っこで、立ち尽くしていた。

ここを立ち去る勇気がなかった。

いつまでもここに残っていたい気がしたが、そうもいかない。

踏ん切りをつけて葬儀場を後にした、わたしの足取りは重かった。


あれから二日が経った。

少しは落ち着きを取り戻せてきたような気がする。

それにいつもでも落胆していてはいけない。


週末はわたしも群馬に行こうかと思う。

そして元気に歌姫と、いつでも夢を、を歌おうと思う。


2016年02月28日。


吉右衛門。


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