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「飛行機のこと」の巻。


あれは、わたしが今年の初出勤をした日のことであった。

飛行機雲が営業の同行依頼をしてくれた。

年末から堪え難い孤独感に苛まれていただけに、それはとても嬉しいことだった。

わたしの営業はプレーヤーとしてのものではない。マネージャーとしてのものだ。それだけにプレーヤーから同行を申し込まれることが嬉しくてたまらない。

さて、そのマネージャーの営業であるが、自分が目をつけた処に行く場合とスタッフに請われて行く場合とに分かれる。

前者の場合はシミュレーションがし易く、シナリオもすらすらと書ける。それだけに成功率も高いが、反して後者は難しい。余程念入りに組み立てていかないと上手くいかない。今回は後者であるだけに難しさもあるが、それでも飛行機雲の好意に応えるべく入念に作っていった。

さて、当日。

袖から勇んで出ていくも、不安が生じて仕切り直す。

そして息を整え直して出ていったわけだが、わたしの場合、ここからマイクの前に立ち最初のひと言を発するまでが勝負で、これが滑るとなかなか立ち直すことができない。それゆえ、この瞬間に勝敗の八割が決まってしまう。

この日は幸い、お客さんがよかったこともあってか上手く終えことができた。初回の営業としては及第点だったと思う。

わたしのあがりもよかったが、なによりも飛行機雲がよく補佐してくれた。たえず笑みを浮かべて和ませてくれたし、きびきびと動いてくれもした。


震災の直後。

わたしは飛行機雲に会うべく、彼女の最寄り駅へ出向いた。

そして無理を云って彼女を、ご両親からお預かりしてきた。

大きな責任を背負ったわたしは、こと有るごとに声を掛けてきた。

あれから五年。

ずいぶんと成長してくれたものだと思う。

長く仕事をしていて思うが、仕事なんてよいこともあれば辛いこともある。均して考えると概して辛いことの方が多い。

昨年は幾度となく彼女を叱ったが、腐らずに耐え忍んでくれた。

それが今年の好結果となって開花してきた。

そして昨年の暮れからというもの、わたしの方が彼女に何度も気を遣わせてしまった。

今こうしてブログを書いていると、いろいろなことが蘇ってくる。

前述した震災の直後の出会い。

初めて銀座の焼き鳥屋へ行ったこと。

真夏に営業廻りをしたこと。

一昨年の暮れ、人形町のメシ屋で誕生日を祝ったこと。

昨年、中央高速道の帰路に付き合ってもらったこと。等々。

来週は新規取引先への現場納めと二度目の新規営業が控えている。

飛行機雲の足を引っ張らないように頑張る。

いつもありがとう。


お仕舞い。


2016年02月06日。


吉右衛門。


「上海蟹と鱶鰭のスープ」の巻

十一時二十分。

開店十分前の入店となった。

実はわたし。

開店には早かろうと附近をうろついていたら女房に呼び出された。

意外だったのは、客の数。

開店前には行列などできていなかったのに、

すでに二階も含めて満員。

訊けば、ほとんどが予約客とのこと。

この人気ぶりには驚いた。

さて、料理。

家内は早々と何かのコース料理を依頼して続くは、わたしの番。

散々悩んだ末に発注したのは海老チリと青椒肉絲、そして蟹玉。

とても還暦を過ぎた老人の食事とは思えないボリューム。

そしてさらに食欲をそそられる一品があった。

それは、上海蟹と鱶鰭のスープ。

しかし、これを頼むには勇気がいる。

このような高級食材が使われる割には、料金が安すぎる。

まがい物ではないか…。

失礼ながら、そう思った。

それを古女房に云うと、

風邪が治るかもしれないから呑めという。

それでは騙されたと思って頼んでみると、

皮肉なことに、これが一番にやってきた。

初めて見る、スープは異様な色だった。

商売柄、カラーチャートで表現すると、

墨60%+紅40%といったところ。

これは呑んでもよいのだろうか…。

躊躇うものがあった。

その悩みを女房に告白すると、

男でしょっ!呑みなさいよっ。何故か、叱責された。

なんで男だと呑まなくてはならないのか。

よくはわからないが、考えてみれば、そう惜しい人生でもない。

今年もいろいろな事があった。

念願の富士山へ釣りに行けたこと。

昔の恋人のまりちゃんと何度も逢えたこと。

孫が喋れるようになって、会話ができたこと。

これ以上長生きしても、もうペンキ屋には逢えないこと。

こうして振り返っても、

この世に未練があるかと云えばないような気がしないでもない。

それに何かあっても、

四十年連れ添った女房の前となれば、それでよいのではないか。

勝負に出ようっ!。

そう決めて口をつけてみると、これが美味いのなんのって。

桃源郷にでも行かないと手に入らないような味。

いやはや。病み付きになりそうだ。

こうして後続の料理を鱈腹食べて、一件落着。

出産前の蛙のような腹を抱えて、店をあとにする。

お仕舞い。


2015年12月15日。


吉右衛門。


「横浜中華街」の巻。

十一月の上旬のこと。

家内と横浜中華街に出向く。

たまたま馬車道通りのイベントに用事があってのものだが、

中華街となると長男の小学校の卒業式以来ではなかろうか。

そして本日訪れる店だが、珍しく下調べをしてきたので、

間違えはなさそう。


店に着いたのは、十時四五分。

開店時間の十一時半までは可成りの時間がある。

そこで家内と別れ、銘々で時間を潰すことになったのだが、

凄まじい人混み。

この中を歩いていくと、はて…?。

いつかどこかで見た覚えがある店がある。

ここは何処であったか…?。

はたまた、最近多発している記憶違いであったか…?。

このようなことを、デジャブー、とでもいうのか

よくはわからないが、ボケた頭を叩いていると、

そうだ、そうだった。思い出すことができた。

五月の終わりにペンキ屋ときた店であった。

と云うことは、冒頭で長男の小学校と書いたのは間違えで、

正確には、家内と来たのが長男の…というこになる。

話は脱線してペンキ屋であるが、

彼女は異国で猫と暮らしているらしい。

彼女にそんな趣味はあったのだろうか。


ここまで書いて、申し訳ない。

酷い睡魔が襲ってきたので、やめる。

校正すらしていない状態だが、ひとまず更新をさせてもらい、

続きは、そのうちに書く。


2015年12月05日。


吉右衛門。


写真を並べます。

この三ヶ月の間に撮った写真を並べます。


キャプション(上から)。

井の頭線。

印度料理屋。

両国橋。

柳橋から撮った神田川。

出漁。

見舞客。


横浜の写真を公開します。


横浜で撮った写真を公開します。

キャプション、上から、

赤レンガ倉庫街、

横浜港、

横浜三塔。


オマケ、鰻屋と豆腐屋と鮨屋です。


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