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いままで有り難うございました。
皆様、おひさしぶりです。
ロビンです。
突然ですが、私ロビンは一身上の都合により退職する事となりました。
短い間でしたが皆様には本当に良くして頂き、一方で私は皆様に迷惑ばかりかけて何一つ役に立つ事が出来ず深く反省しております。
どんなときも皆さんには優しく指導して頂き、感謝、感謝、これ以上の言葉が見つからないぐらい感謝しております。
そして親愛なる読者の皆様、たった3件しか書いてませんが、こんな散文的な私のブログをちょっとでもおもしろいと思って頂けたら幸いです。
このブログを書き始めたときは震災の直後でした。今も苦しんでいる方々、そして空き巣被害や義援金詐欺など人の弱みに付け込む悪い人たちが出て来て、ますます人々は暗い気持ちで日々の暮らしをやりくりしています。
私はあまりに非力で被災地の方々に何もしてあげることはできませんが、一つ言葉を送りたいと思います。私の人生のモットーでもあるウルトラマンAが最終回に言った台詞です。
「優しさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと」
皆様、本当に有り難うございました。
またいつかお会いしましょう。
親愛なる友へ
ロビンです。
3月11日、日本は震災に見舞われ、とても沈んだ空気が立ち込めています。
今年に入ってからいろんなことが起こりすぎてどうにかなってしまいそうです。
大地震まで襲ってきて、正直未来に希望が見いだせないくらい心がめげた時もありました。被災地の方々にすれば「何を弱音を吐いてるんだ?」と怒鳴られそうですが、実際に東京も大きな打撃は受けています。
そんな中、僕はFacebookもやってるのですが、イギリス時代に出会った友達が世界中から応援のメッセージを送ってくれた。みんな日本のことを心から心配してくれて、その言葉の一つ一つに僕は丁寧にメッセージを返信している。
イギリス、コロンビア、ドイツ、フランス、スペイン、ロシア、韓国etcみんなが心配してくれた。
「大丈夫、きっとまた元の生活に戻れるよ。安全を保ってね」
「日本のニュースを毎日見てるよ」
といった感じにみんながメッセージをくれる。
先月の初めのことだった、トルコにいるセイハンという友達が僕にメールをくれた。
彼とはイギリスで一人の日本人の女の子を取り合った仲。と聞くとかっこいいけど結果は彼のボロ勝ちだった。でも結局、その女の子も留学期間が終わって早々に帰っちゃって、セイハンは結局付き合えなかった。
それ以来、彼は「聞いてくれよ、あの女はひどいんだ!」と僕に泣き付いて一緒にヤケ酒をくらったりをやっているうちに僕たちは国境を越えた親友になっていた。
イギリスであんなに仲良く、冗談を自然に言い合えた友達はほかにいなかった。まるで地元の幼なじみみたいだった。
セイハンはとても英語が達者でわかりやすく僕の知らない単語や表現をたくさん知ってて「ああ、こういうときはこう言えばいいんだな」とかとても勉強になった。この上ない英語の練習のパートナーでもあったし何より気さくで冗談好きないいやつなんだ。あの頃のイギリス生活が僕にとってはもしかしたら一番楽しかったかもしれない。
そんな彼が僕にメッセージをくれた。「おい、大丈夫か?日本は大変なんだろう?放射能漏れで水も飲めないそうじゃないか」と彼は心配してくれた。僕は素直にうれしく思い、「心配してくれてありがとう、僕は大丈夫だよ」と返すと、それでも彼は「なんか食い物でも送るよ、君のアドレスを教えてくれ」と言ってきた。
日本人は「結構です」って遠慮するのがあたりまえだけど、欧米では相手のオファーを素直に受け入れる。僕は彼に住所を教えて、一つリクエストをした。それは彼が語学期間を終えてイギリスを去るお別れの日にくれたトルコのお守りのブレスレットだ。
彼は語学学校最終日にみんなを集めてパブで酒盛りをした、たしか2007年の春ごろだったと思う。そのとき彼は僕に「ロビン、君は特別な友達だ。君がいなかったら本当にこの留学はつまらなかったよ。この留学で君という友人を得たのが一番の思い出だ」彼はすっとブレスレットを僕の右手にやさしく通してくれた。
「これは、ナザールといってトルコならどこでも見かけられるお守りだ。この模様は目を表現していて、この目が邪気や不幸を遠ざけると言われている。へたくそで悪いけどこれは僕が作ったんだ」セイハンは一瞬照れ笑いを浮かべた後、僕をまっすぐに見つめて言った。
「いいかい、ロビン。これから君は4年間ここイギリスでグラフィックデザインの勉強をするんだ。これから先、タフな生活が待ってるかもしれない。でも、どんなに辛いことや悲しいことがあってもこのブレスレットが必ず君を守ってくれる」セイハンの奇麗な栗色の瞳には濁りが無かった。「だから、これから勉強をがんばってくれ。そして君はこれからもずっと僕の大切な友達だ」そういうと僕たちは長いハグをかわした。
そのブレスレットがお気に入りでその日から毎日、寝るときもずっとつけていた。本当に毎日、毎日、お台場で灼熱の太陽の下でバイトしていたときも、イギリスで課題に熱中していたときも。でも、イギリスを去る年にある日突然ひもが切れてしまった。青い目の模様は散り散りに床に散らばって全てかき集めたけど元には戻らなかった。
あのブレスレットのおかげで、僕はイギリス滞在中に特に大きなトラブルに巻き込まれたり大病を患うことも無かった。いつか、トルコに行ったときに買いに行こうと思っていたのだけど、この機会に「もう一度送って」とセイハンに頼んでみた。
それから数日後、僕の家に一つの小包が届いた。
小包というか、15cm四方の絵本に出てくるクリスマスプレゼントの箱みたいなサイズの段ボール箱が届いた。ガムテープがぐるぐる巻きにされていて所々へこんでいた。
僕はそれを丁寧に開けると、中には5,6個のメーカーの知れないチョコレートと僕が欲しかったナザールのブレスレット、そして一通の手紙が添えてあった。長くはないので、その全文をここに紹介しよう。
親愛なる友、ロビンへ
この度の震災と津波によって多くの命が奪われたこと、そして放射能漏れの被害にとても深い悲しみを覚えています。
僕は毎日、日本のショッキングなニュースをチェックしているし、君や君の家族、そして愛する人々へ深い同情を表現したく思っている。この悲劇を通して何よりも僕が感じたのはあなた方日本人が驚くべき秩序だった姿勢で立ち直ろうとしていることだ。
食料不足にもかかわらず、人々はちゃんと並んで順番を待っているし略奪も暴動も全く起きていない。トルコの日本領事館は僕らトルコ人のサポートに感謝しているとテレビで言っている、でも僕らは何もしてあげてない、だって日本政府は僕らに援助すら頼んでないんだもの。
僕は日本が偉大なる国家であることをもう一度証明することと信じている。
ほんの少ししか君を励ますことができないかもしれないけど、僕の大好きなチョコレート、そして君がほしがっていたブレスレットをトルコの思いと共に送ります。ブレスレットは君のサイズにあわせられるように余裕を持たせてある、でもまた壊れたらいつでも言ってくれ。
そして最後にどこかで調べ手のか、丁寧な日本語でこう書かれていた…
「お体を大切に。お返事お待ちしております。」
セイハン
僕はこれを読みながら涙が止まらなかった。我慢が出来なかった、涙腺を通じて涙が目から溢れ出して胸が熱くて…
セイハン、君はなんて良いやつなんだ、たった六ヶ月くらいしか一緒にいなかったのに、海の向こうから僕のことを本当に心配してくれてる。
チョコレートってのがなんだか、泣けてくる。これじゃあお腹はふくれないけど、彼の優しさは充分に伝わってくる。
友達は人生の財産だ。僕は良い友達に囲まれているんだなあ…
全世界の日本を心配してくれている優しい方々へ、
心を込めて「Thank you」を捧げます。
シルバニアファミリーと母の優しさ
おひさしぶりです。ロビンでございます。
さて、今回は僕(一応男なのでこれからは一人称を僕とさせて頂きます)のイギリス生活の話しを少し。
しかしながら、あまりダラダラと出発の時から話しても退屈なので、今回は留学時代に書いていたブログの中から抜粋して、親愛なる読者の皆様へ公開しようと思います。
それは、ちょっと孤独で切ない気持ちの昼下がりでした…
2010年03月08日
どーも、ロビンです。
学校の課題が怒涛のように押し寄せ、四苦八苦の今日この頃です。
この前、学校の課題用にどうしてもシルバニアファミリーのおもちゃを使いたくてタウンセンターのおもちゃ屋さんへ行きました。
このお店は去年までは1ポンド均一のお店だったのに、今ではおもちゃ屋さんに変わってしまった。前のお店、好きだったのにな。
シルバニアファミリーコーナーへ行くとあったあった、僕が欲しいのはバスルームセットなのだ。見事ドンピシャでそれがあった。値段は14ポンドくらい。うーむ、悪くないだろう。
早速それをレジまで持って行き会計を済ませる。店員は若い男と女で客の前で平気で大声でくっちゃべっていたが、僕はスマートに買い物を済ませる。イギリスの接客は本当に日本のそれとは違い携帯電話で喋りながらレジを打つ人もいる。
「どうも」と軽く本当に軽く頭を下げて僕は店を後にした。町へ来ると決まって僕はとあるカフェに入り浸る、僕はすっかり常連でポイントカードも作ってあるのだ。「カプチーノでしょ?」といつもの女の店員が僕に微笑む、彼女はどうやらイギリス人じゃないようだ、ネームプレートにどこかの国旗が書かれてる、あれはどこの国だろう?
二階へ上がるがやはり誰も知ってる人はいない。時々、みんな一体どこで何をして過ごしてるんだろうと不思議に思う。学校にいる友達は本当は全部幻影で僕が見てる夢なのかな?こうして周りで楽しそうに話をしながらコーヒーをたしなむ人々も本当は幻で僕が大きく目をつぶってパッと開けば一瞬にして消えてしまうようなそんな不思議な感覚に襲われた。
今までのことが全部、夢だったら僕はどうなってしまうだろう?嬉しいかな?それとも悲しいかな?本当は僕が蝶の夢を見てるのか、それとも蝶が僕の夢を見てるのか?不思議な気持ちだ。
カフェに一人でいる人間は孤独で何かしらの安らぎを求めている人だ。もしかしたら誰かと会うかも、出会いがあるかもという期待を胸に一人でやってくる。でもそれらはたいてい期待通りにいかない、期待はいつでもあなたを裏切るのだ。
カプチーノを一口飲み、白い口ひげをベロで舐めとると僕は蜂蜜色の陽光が差し込む夕暮れ時のカフェ内をぐるっと見渡した。いろんな人がいた、誰もが楽しそうに話をして、笑い合ったり、ふざけ合ったり、キスをしたり、それらがまるでスローモーションのように見えた。僕の世界は通常の速さより半分近く遅く見えて、まるで処理速度が追いつかないテレビゲームみたいにゆっくりと人々が動いて見える。
一人でいると時間が経つのが本当に遅く感じられる。僕はちゃんと生きてるのだろうか?ちゃんと規則的なリズムで僕の心臓は鼓動を刻んでいるのだろうか?体内ではちゃんと細胞のそれぞれがその役目を果たそうと一秒たりとも休まず働き、僕の体温をなんとか36.5度を保とうとしてくれてるのだろうか?僕は不安になった。
「脳髄はやはり物を考えるところに非ず」だ。人間の脳は全部を司ってるところじゃないと思う。体全体がそれぞれの事象に対応した部位で反応してるだけだろうな、同じ1時間のこのコーヒータイムも、ほら、僕とこの周りの人たちでは感じる長さが違いすぎる。
ふと我に帰って何を考えてるのだということに気がつく。いけないいけない、孤独になると自分と向き合わざるを得なくなる、考える時間が圧倒的に増えると究極的なことを考え始める。自分と他人との関わりや世界のこと、そしてそれらは必ずいつも絶望的な結論が出されるのだ。「孤独は知識の母乳だ」と昔ドイツの哲学者が言っていた、あながち間違ってない。
気分を紛らわそうと僕は早速さっき買ったシルバニアファミリーのバスルームセットを開けてみた。僕はこの小さくて可愛い白いバスタブのミニチュアを使って作品を作りたかったのだ。思っていたより小さいがまあこれでいい。にしてもどれもこれも小さい。石鹸のミニチュアなんてビオフェルミンSみたいだ。こういうのはたいてい苦いコーティングがされてる、子どもが口に入れたときに苦さでぺっと吐き出すように細工されてるのだ。
僕はそれら小さなバスカーテンや鏡台セットなどを眺めながら僕は懐かしい気持ちを覚えた。それは僕が3歳くらいのころだ。まだ隣に住んでいたおじいちゃんもおばあちゃんも生きていたあの頃、僕はよくこのシルバニアファミリーで遊んでいたんだ。本当はもっと男の子らしいおもちゃで遊びたかったが、母親が大きい山小屋のセットを買ってくれたのだった。
僕にはお兄ちゃんがいる、たぶん母親は娘が欲しかったのだと思う。お兄ちゃんには男の子っぽいおもちゃを提供していたが母親は僕に女の子っぽいおもちゃを提供してくれたのだ。僕はそれでも構わなかった、夕飯が終わると必ず母親は僕とそのシルバニアファミリーで一緒に遊んでくれたから。「やあ、こんにちは」「君はだれ?」母親はわざとらしい高い声で人形にアフレコをして僕の操る人形と一緒に小さな話を展開するのだった。
僕はこうやって母親が一緒に遊んでくれるならシルバニアファミリーだろうがキティちゃんのおままごとキッチンだろうが喜んで受け入れた、ただ一緒に遊んでくれる母親が嬉しくてずっとそばにいて欲しかった。でも、母親はいつもその遊びを5分ほどですぐに切り上げてしまった、夕飯のお片付けがあるからだ。僕はいつもそれがたまらなく嫌だった。もっともっと遊んで欲しかった、僕のことをかまって欲しかった。いつも僕はそれが嫌で嫌で仕方なく駄々をこねて泣いては母親を困らせた。このときの5分間など光よりも早く過ぎ去ってしまったというのに。
日本を離れてイギリスでこうして留学生活を送っていると年に2ヶ月ほどしか母親と一緒にいることができない。彼女ができたことのない僕に取って母親と一緒にいるときだけが幸せだった。その母親にすぐに会えないのがとても寂しい。僕はビートたけしさんよりももっとマザコンなのだ、でも男はたいていマザコンだ男にとって面倒を見て着せて食わせてくれる最初の異性が母親なのだ。
そんなことを考えていたら喉の奥がわなないて、少し涙が溢れそうになった。もうすぐイギリスでは母の日だ。この前The Body Shopで買ったボディバターセットを贈ろう、気に入ってもらえるだろうか?二ヶ月間、年に一度だけ日本に帰ると母親は僕を暖かく迎えてくれて当たり前のようにおいしいご飯を作ってくれる。僕はどのおかずにでも舌鼓を鳴らしてそのおいしさに涙が出そうになる。食後には僕は感謝の意を表して必ず母親の肩を揉んでやる、そうすると母親はとても喜んでくれてまだ揉んで欲しいはずなのに「はい、ありがとう」とすぐに僕を切り上げさせる。
僕はどれだけ親孝行できるのだろうか?
初めまして、ロビンマスクです。
皆様、どうもお初にお目にかかります、「ロビンマスク」でございます。
親愛なる読者の皆様はまず「なんでロビンマスク?」と困惑していると思いますが、「イギリス」がキーワード。
私の自己紹介をさせて頂きますと
…私、生まれも育ちも葛飾です。どこかの病院で産湯をつかい、姓は「ロビン」名は「マスク」、人呼んで「フーテンのマスク」と発します…
なんてできたら格好いいのですが、葛飾以外、あのお方と共通点は全くございません。
話しが大幅にずれてしまいましたが、小生は普通に進学し、専門学校を卒業しその後、渡英。
イギリスにて4年間ほどのグラフィックデザインの留学を終えて、日本に帰って参りました。
…といささか簡単ではございますが、細かい事については追々当ブログにて綴って行こうと思っております。
私の趣味はイラスト、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞(主に洋楽)、アニメ鑑賞(筋金入りのオタク)、ギターなどなどですね。
好きな本は三島由紀夫の「仮面の告白」。
好きな映画はソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション」。
好きな音楽はRadiohead、アルバムで言うと「OK Computer」。
好きなアニメは「新世紀エヴァンゲリオン」。
好きなギタリストはJack Johnson。
好きな食べ物はホットケーキ。
以上で、だいたいの私の像が掴めましたでしょうか?
現在は大震災の影響で日本全体に活気が失われている状態ですが、こういう時に共に助けて支え合って行く優しさが大切だと思います。
海外のメディアが「日本人はどんな窮地に追い込まれても秩序と礼儀を忘れない」と報道していました。どんな時もお互いを思いやる心を忘れない日本人の素晴らしさに私は胸を打たれました。人を傷つけたり物を盗んだりするよりは困難に耐える道を選ぶ、自らの食物を「ほら」と言ってお腹をすかしている高齢者の方々や子供達に分けてあげるその優しさ。
この優しささえあれば、また日本は立ち上がれると信じております。
みなさんも頑張りましょう。被災地に赴くことだけではありません。
今あなたのとなりにいる家族、そして愛する人、その人たちを何があっても守ろうとそばにいてあげるだけで周りがそして世界が幸せに包まれて行くはずです。
長くなりましたね、それではこの辺で。
またお会いしましょう。