戸面原ダム、
杉林。
戸面原ボートセンター。
晴天、無風。
気温15度、水温9度、減水0.32m、澄み。
初釣り。の巻。
今年の釣行記を始めるにあたり、
まずはこの度の東日本大震災により被害を受けた多くの皆さまに心からお見舞いを申しあげます。
そして被災地の一日も早い復興を祈ってやみません。
年が明けてから、ズッと仕事をしていた。
ココで言う仕事とは、ひとりぽつねんと部屋に閉じ籠り管理や事務処理を行うのと違い、現場の第一線に出て汗を流す事だ。
昨年最後の釣行記で、仕事への忸怩たる思いを書き綴ったが、新しい年を迎えるにあたり、スタッフ一名を現場から譲り受け、念願であった直属の部下を持つ事が出来た。
自分は1953年生まれの、57歳。
再来年の夏には還暦を迎える。自営だから定年が無いとはいえ職場には跡取りがいるから、それがちょうどよい区切りとなろう。
今にして思えば、この継投は随分と前から考えていたのだから、もっと身を入れて仕事に取り組んでいればよかったのだが、魚釣りやら野球観戦に走ってしまった。
五年前、少年時代からズッと応援していたニッポンハムファイターズが四十数年ぶりに優勝した。そして、その歓喜の瞬間を見た札幌の夜、野球以外の人生のやり残しを考えて三十年前にヤメてしまっていた、へら鮒釣りの再開を考えるに至った。
そして翌年、再開を果たしてからからというもの、魚釣り中心の生活を満喫していたのだが、段々と元の水が恋しくなってきた。そしてそれが募り、恋しくて、恋しくて、たまらなくなってしまった。
以前にも記した事があるが、自分はイベント等で使われるデザインやグラフィックを制作し、それを生業としている。これは広い意味で広告物制作業という事に成る。
前述のスタッフは飛込みのセールスをする為に譲り受けたのだが、彼女が持ってきた物件を手伝っているうちに、体中の血が騒ぎだした。博物館、美術館の裏口から入館した時に感じる重々しい空気。見本市会場の準備中に鼻を刺激する経師糊の匂い。
そう、自分は若い頃からズッとこんな中で仕事をしてきたのだ。
今、まさにあの頃の夜討ち朝駆けの生活に戻れた。
釣りは楽しいが、暫くは脇に置いておく。
残された時間は二年半。禍根を残さないように頑張る。
午前四時十五分。
ナビゲーションに目的地を入力し、この日の為に買っておいた中森明菜の歌姫伝説をオーディオにセットして準備完了。
そしてエンジンを駆け、待ちに待った今年初の魚釣りに出発。
館山道をヒタヒタと南下して向かうは、戸面原ダム。
これまでケジメの釣りは三島湖、と頑なに通してきたのだが今年、戸面原ダムを選択したのには訳があった。
二月の某日の事、戸面原ダムの管理人である相沢さんから電話をいただいた。内容はホームページを開設するにあたり、この釣行記をリンクさせて欲しい、というもの。
嬉しかった、身に余る光栄だ。
こんな取るに足りないモノでよければどうぞどうぞ、と二つ返事でこちらからもお願いしたのだが、よく考えてみれば、相沢さんのホームページ経由で来てくれた方が目にする最初の記事が他の釣り場であったとしたら、折角のご好意を裏切る事になりはしないか。
別にたいした事ではないと思うが、オレは昔から妙にこういう事にこだわる。という訳で、今年の第一回目から数回の釣行は戸面原ダムに草鞋を脱ごうと思う。
今、戸面原は絶好調のようだ。数日前に羽田の名人が前宇藤木で140枚も釣っていたから自分も今日は其処に入ろうと思う。名人の四分の一としても35枚釣れる事になるのだから夢は広がる。
午前五時二五分。
現地着。
例会は無い、と聞いてきたのだが結構な賑わい。
ザッと十名程度の釣り師が楽しそうに会話を交わしている。そして、朝食をいただいている間にも続々とやってくる。こんな光景を見るにつけ前宇藤木で竿を出す夢は、露と消えた。
定刻(六時)の十五分前に、桟橋集合。
集まった釣り師の数は大凡、二十名。
先発を見送って自分が乗舟出来たのは10号艇。宇藤木方面が七名で上郷方面は二名。これなら人口密度からして上郷側に向かうのが良し、という事に成る。事実、相沢さんから寮下竹柵での着舟場所の説明も受けて漕ぎだしたのだが、上郷組は気合い満点。先の方は遥か石田島辺りまで進んでいるし、いま一緒に出舟しようとしている方も、釣るんだっ!との気合いが迸っている。
この気合いに、負けてしまった。
今日の上郷行きはヤメておこう。となると穴場は杉林。
宇藤木方面七名の内訳は、前宇藤木が六名で杉林は一名と聞いていた。ならば今日はココに行って呉越同舟をさせてもらおう。
優しい方だと良いなあ。淡い期待を抱いて到着してみると、先入者の方は杉林の入口の角におられた。
人品骨柄は痩身で、いかにも実直そうな七人の侍に出演していた宮口精二さんを思わせるような方。ご年齢はと言えば自分より可成りの先輩である事は間違えない。
「おはようございますっ!、隣に入りますっ!」と元気に挨拶をすると、うつむき加減で「どうぞ」とひと言。
他にも会話を交わすべく試みたのだが、返答が無い。それに先方からも無いので、何を話せばよいのやら判らなくなってきた。
まあ、いいや。
今日はこの「寡黙な名人」と呉越同舟させてもらおう。
さて、準備をしつつ、お隣が何処に着舟するのかを横目でチラっチラっと観察していたら、何と竹柵の一番端にロープを舟とほぼ平行に結んでいる。うーん……舟とロープの角度が五時三三分って感じだが、あの着け方で舟の揺れは大丈夫なのだろうか?。
初めて目にした着舟方法に戸惑いを感じながらオレも着舟完了。
舟を留めたのは、いつもと同じ竹柵の真ん中付近。頭上の樹木に切れ目がある所だ。
やれやれ、ひと仕事が終わった。
そして更に粗方の準備を終え、トップの餌落ち目盛りを確認をすべく浮子を放置したまま、釣行記の為のメモをとっていたら、とんでもない事に出くわした。
何とっ、竿が竿掛けから滑り落ちていくではないかっ!。
最初はナニが起きたのかが判らなかった。取り敢えず、玉網で竿尻をたぐり寄せようとしたのだが、そうは問屋がおろさず、竿は一気に加速して沖へと走り出した。
茫然自失。何たる事だ。
どうやら空針が魚に掛かってしまったらしい。
思わぬ事態に、途方に暮れる。
オレはいったい、どうすればよいのだ。
この肩身の狭さって、何だっ!。
後から入ったオレは、何と言えばよいのだ。
躊躇っていても仕方がない。勇気を出して寡黙な名人に謝罪をしながら、持って行かれた竿の回収に向かいたい旨を話すと、嫌な顔ひとつせずに、笑顔で、
「随分と早いですねっ」だって……。
嗚呼!、申し訳けないなあ。
名人だって、さあコレから、って時だったろうに……。
後ろめたさで、心が埋め尽くされた。
そして、ロープを解いて沖に逃げる竿を追走するハメに……。
…………。
随分と漕いだ。
そして、やっと逃走劇に終止符が打てたのは対岸との中間辺り。
捕まえた竿を上げようとしたら、まだ魚がついている。然も、竿を担いで遁走した後だと言うのに凄まじい抵抗をしてくれる。
オイオイ、あまり手こずらせないでくれよっ!。
やむなく、グイっ!、と竿を持つ手に力を加えたら、今度は舟が傾き転覆しそうになった。
危ない、危ない、危うく死ぬところだった。
九死に一生を得て釣った魚は、しっかりと針を口に銜えていた。
こいつは空針を食ったんだっ!。
…………。
段々と冷静になってきた。
そして、この事を記録すべく記念写真を撮り、数取り器も動かし釣果「1」を記録させてもらった。
本来だと、これを釣果に入れるのは掟破りだと思う。思うがスレじゃないし、こんなにも苦労をして、尚且つ、死にかけもしたのだから、釣りの神も許してくれるだろう。
午前七時。
抜き足、差し足、忍び足……音を立てぬ事に全神経を集中し、まるで忍者のように元の場所へと戻る。
「ご迷惑をかけましたっ!」。
寡黙な名人に陳謝して、一人芝居の幕をおろす。
…………。
大捕り物を終えて、やっと今年一回目の釣りを始める。
そして第一投を投入出来たのは、午前七時十五分。
◯本日のデータと予定。
・目標/35枚、既に釣果1枚。
・竿 /神威.21尺。
・浮子/忠相グラスムクトップ.15番。
・鉤素/100粍+600粍。
・餌 /宙バラ.2+ミッド.1+オールマイティ.1+水.1。
(数字の1は200cc)
アルファα21.1+新ベラグルテン1+水2。
(数字の1は50cc)
・予定/納竿、14:30。
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本日の入釣場所の正面図。
ココに着舟するのは、通算で四度目だ。 |
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開始三投目で早くも浮子が動いた。
あんなにも水面をバシャバシャやったのにだ。そして、次の四投目で本日の二枚目が釣れた。この目の覚めるような魚信で釣れたのは、玉網の枠に写真判定で届かないヤツ。
…………。
十五分経過。さっき始めたばかりで、もう六枚。
然も、魚信は誰にでも判る明確なヤツ。
浮子がどっぷりとなじんでからの強い魚信。そうそう、以前からこういう釣りをしたかったのだ。
もしかしたら今日は大台(五十枚以上)に届くかもしれない。
初釣りでこんないい目に逢えるなんて、嬉しくてしょうがない。
然し、好事魔多し。
そう思った途端、またも不幸に見舞われた。合わせた瞬間に道糸が切れた。そして残骸が空をヒラヒラと舞っている。
仕掛けを作り直すか、竿を替えるか、二択の答えは直ぐに出た。魚が濃そうだから、竿を短くしても大丈夫だろう。
午前七時四五分。
17尺にして再開。
この棚でも直ぐに浮子は動いたが、21尺の時とは確実に動きが違う。明確な魚信が無いのとなじみ幅が物足りない。
まったくハッキリしない展開に成ってきた。合わせる魚信がわからないから、空振りの山を築く。道糸が切れた段階で21尺の仕掛けを作り直せばよかった、と後悔しつつ思いついたのが、力玉。これで魚が釣れた事は無いのだが、何でもいいや、とやってみた。
力玉に挑戦。
三十分頑張ってみたが、敢えなく撃沈釣果零。甘くはなかった。
…………。
再び元のセットに戻したのが、午前九時。
あまり期待もしていなかったが、予想通りのウダウダした展開。
これじゃ駄目だ、埒があかない。
次なる一手は、両グルテン。
昨年もこんな困った時、これが功を奏したのを思い出した。
今度は成功、次から次へと釣れてきた。
何と言うかエサ落ち目盛りの辺りで、フッと浮子が浮き上がる。この食い上げっぽい動きに合わせると的中率が大幅アップ。
この大漁の最中に、自己記録タイの六連荘を達成。
然らばと、新記録の七連荘に挑むがダメ。たった一人のどうでもよい釣りなのに、緊張が極に達し、手が金縛りにあって動かなかった。
午前十時。
カウンターが示す数字は、三〇。
滅多に味わう事が出来ない、大漁ペース。
目方はと言えば、17尺にしてからサイズが小型化したので、3枚1キロ級が10枚と6枚1キロ級が20枚といったところか。
こんなにも沢山釣れていて文句を言ったら罰が当たりそうだが、矢張り、浮子をドップリとなじませてからの釣りがしたい。お隣の寡黙な名人の釣りがそう。浮子をなじませてから息を殺して魚信を待つ、これに徹している。オレも朝の21尺の時は、そうだったのだが……。
浮子をなじませる釣りに挑戦。
なじみ幅は、エサのバラケを締める事によって確保出来る。然し、それだと浮子の動きが鈍くなる。鈍くなると釣れなくなる。釣れなくなると思考が釣りから離れはじめる。
……いやはや、参った。
冒頭では、仕事への熱き思いを綴ったが、あれを書いたのは三月上旬の頃。
ところが震災を境に状況は一変。世の中の自粛ムードで確保していた全ての仕事が中止と成り、職場から仕事が消え失せた。
今年の職場は過去最高の勢いで、てんやわんやだった。
この結果に大入り袋の支給まで考えていたのだが、今は夜逃げの算段をしなくてはならないような有りサマ。
逃げて見知らぬ土地に行きついても、オレの手には職が無い。唯一の資格が第一種運転免許では温かいメシにはありつけない。
先日、市橋達也の逃亡記を読んだ。
所行は善し悪しはさておいて、彼は無人島に潜んでいた時、建物の周囲に生えていた植物を図書館で勉強して食し、淡白不足も過去に未経験だった魚釣りをして満たしていたようだ。そうそう蛇も鉈で殺して食べた、とも書いてあった。
なんと言うか、すごい生命力。
それに引替えオレときたら……情けない。
閑話休題。
無理をするのはヤメよう。
今日の状況下と己の実力では、両グルテンにしか道がない。
両の針にグルテンを付けて再開すると、またもお祭り騒ぎが始まった。蓮荘有り、大口バス付きのリャンコ有りで大賑わいだった。
正午。
本日ただ今の釣果は、四四枚。
釣果は充分満足。依って、
よせばいいのに性懲りも無く、力玉に再度の挑戦。
なんとか、力玉を魚が食うのを見てみたい。
然し、駄目だった。チッとも見せてくれないのでギブアップ。
…………。
十三時。
予定の納竿時間までは、一時間半。
目標を六十枚に上方修正して挑む。
そして時は流れて納竿予定の、十四時半。
ココ迄の釣果は、六二枚。
修正目標は達成したのだが、なんだか中途半端。
ココは一番縁起を担いで七〇枚迄、釣ってしまおう。
気合いを入れて、延長戦に突入。
十四時四七分、これもあっさりと達成。
然もリャンコで〆めて、一件落着。納竿と相成った。
桟橋に帰還。
相沢さんと歓談をしていたら、朝の気合い満点の方が上郷から戻って来た。なんでも180枚も釣ったらしい。驚き桃ノ木……オレの去年の総釣果は382枚(釣行回数19回)だったから、気が遠くなるような数字。当然、今日の圧倒的竿頭だ。
そして、相沢さんからヒーローインタビューを受けている間、オレは奥さんに本日の釣況を報告して、一件落着。
…………。
ひと息ついた後、帰路に就くべくエンジンを駆けていると、奥さんがオレに向かって何やら言っている。窓ガラスを開けて聞いてみると、
「お気をつけて、お帰りください。今日はありがとございましたっ!」だって……。
すごいよね、この愛情ある気遣い。
来るたびに思うのだが、ご夫婦の地道な努力には頭が下がる。
オレも、なんだかんだ能書きを垂れてないで頑張らないとっ!。
最後は大いなる刺激を受けて、富津中央へと向かう。
お仕舞い。
21尺天々・準備中 1枚(06:45〜07:00)
21尺天々・グルテンセット
6枚(07:15〜07:30)
17尺天々・グルテンセット、両グルテン、力玉セット
63枚(07:45〜14:47)
合計 七〇枚。
六寸五分〜壱尺零寸零分。
○この日の釣果。
◯2011年データ。
・釣行回数/1回。
・累計釣果/70枚。平均/70枚。
・次回は四月十一日 戸面原ダム。
後期
お陰さまで今年も無事、吉右衛門の釣行記、を送り出す事が出来ました。早いもので当サイトも立上げから四年目に成りますが、
ご覧の通り、魚釣り同様なかなか文章が上達しません。
それにも関わらず多くの方にご来訪いただき、感謝感謝深謝深謝でございます。
そして、この取るに足りない釣行記も残り20回で通算100回を迎えます。事故無く順調にいけば、年末年始の頃には区切りの回が訪れると思っております。
図々しい事、ここに至れり。でございますが、
今後ともよろしくお願いします。
2011年4月08日(金)
吉右衛門。 |