吉右衛門の回想記(1975-1985)、の巻。
この夏、孫が生まれる。
初孫だ。
この報せが長女から届いたのは、桜の花が満開だった頃。
嬉しいような照れくさいような、何ともいえない気分であった。
あの娘がねえ…。
娘の幼少期に思考が流れると、結婚当時の事までも思い出した。
私が女房と所帯と持ったのは、1.975年の春。
私も女房も二十一の時であった。
町の公民館で篠やかな式を挙げ、練馬の上石神井に在ったアパートの一室で新たな生活のスタートをきった。
あの頃、街には、南こうせつとかぐや姫の「神田川」が流れていて、私も小さな石鹸をカタカタならしながら、風呂屋へと通ったものだ。
その時の私の職業は、池袋に在った町工場の、工員。
そんな年端もいかない工員が何のビジョンもなく、共働きで適当にやろうとしたが、青すぎた。
直ぐに子供が二人も生まれて、家計は火の車に陥った。
大変であった。
然し、一家団欒は楽しく、笑いが絶えることはなかった。
今、思い出しても、あの頃が一番楽しかったような気がする。
私は浅学非才の典型だが、家族を守る為、頑張って体を張った。
賃金に釣られて職を二度も変えた。
工場勤務では残業に汗を流し、営業職では少しでも多く売り歩いた。すべて家に金を持って帰る為だ。
こんな事を書き並べていると、悲惨な生活を連想されそうだが、この時代が幸運であったのは、私のような出来悪も、体さえ動かしていればなんとかなったし、飯が食えたことだ。
然し、これから誕生する子供たちは、この難解な二十一世紀を生きていかねばならない。
それを考えると忸怩たる思いもするが、女房と娘がハシャギ廻る姿を見ていると、そんな思いは消し飛んでしまう。
それにしてもだ。
「おじいちゃん」と呼ばれたら、何と答えればいいのだろう。
感激して泣かないようにしないと、笑われる。
吉右衛門。
今回の回想記は今週末に更新を予定しています、
釣行記から引用しました。
はー。
素敵な記事でした。
それにしても吉右衛門さまが
「おじいちゃん」と呼ばれているところ、
早く私も見たいですねー!
人に歴史あり…ですね。
たった数十年で本当に色々なものが変ってしまうんですね。
しかしとても楽しみですね!お孫さん!
元気で可愛いことは間違いなしですね。
想像しただけで、震えますねえ。
とてもあたたかい気持ちになりました。
吉右衛門様、練馬の上石神井に住んでらしたのですね!
そして池袋の町工場・・なんだか場所に親近感が。
それと、江東区の団地で川の字で寝ていた事を
ふと、思い出しました。楽しかったです。
スミレちゃん。
コメント、ありがとう。
孫に、「おじいちゃん」と呼ばれるのは仕方ないとしても、
オマエは言うんじゃないぞ。
吉。
激写さん。
コメント、ありがとう。
写真展に行かせてもらって思い出したんだけど、
オレ、1.970年頃、銀座のニコンサロンへ毎週通ってたんだ。
だから懐かしくって、ね。
うまくいってよかった。
また、機会があったら頑張って。
吉。
ひこ坊。
コメント、ありがとう。
短く纏めたコメントから、オマエの心情が伝わってくる。
段々、巧くなってきたね。
次回の投稿を楽しみにしています。
吉。