吉右衛門の営業日誌、常磐道を日立へ、の巻。
私の生まれは、1.953年の初夏。
先週、満59歳の誕生日を迎えた還暦の一歩手前だ。
趣味は営業。
そう、仕事でありながらもこの営業なるものが、趣味なのだ。
運がよかったと思う。
それは、趣味と仕事がイコールで結ばれたからだ。
27歳の時に営業を稼業としてから、そろそろ32年。
最早、老兵の部類に入る。
長引く不況と産業革命による若返りで、今も尚、
昔の名前ででている先輩は、私の知る限りにおいて、二人しかいない。
これは、そんな老兵の営業マンの、日誌である。
2012年7月10日、
今日これから目指すは、常磐日立。
この出張を前から楽しみにしていた。
というのは珍しく、相棒の恩田スミレが同行を求めてきたからだ。
彼女を傍に置いて一年半。最近は随分と力をつけてきたので、
ピンで営業を遣らせているが、なんの問題もない。
それと、体調を崩しているオレへの気遣いもあるのだろう。
気丈な性格も手伝ってか、何でも自力解決で済ませるようになり、
甘えてくることなどはなかった。
そんな彼女が、オレを頼ってきた。
嬉しかった。
這ってでも、行こうと思った。
その為、この日に照準を合わせて体調を管理し、
主治医に安静を解除してもらった。
今回の出張の経緯は、こうだ。
過日、日立市に在る新規開館の記念館から商談が舞い込んだ。
それをスミレが上手く纏めて、お座敷に呼んで貰えた。
しかし、事務所からの道のり150km。単独での運転はキツい。
それに安静も解除されたばかりで、不安もある。
このように書くと、それなら電車で行けばいいじゃないか、
との声が聞こえてきそうだが、それは許されない。
何故なら、オレの営業法度には、移動はベガ、相棒はスミレ、
との鉄の掟がゴシックで書かれているからだ。
11時、
愛車のベガ号で出発。
スミレも上述の不安は心得ていて、話題を沢山提供してくれる。
「九州の大雨をみていると、
家康が幕府を江戸に開いたのが分かる気がします…」
「オマエ、教養があるな」
「へっへっへ、それほどでも…」。
「なあ、先週、ネプチューンの番組を視たんだけど、
彼らは漫才もやるのか?」
「やりません。コント師ですから…」
「原田泰造はいい男だな、気遣いができて笑顔がよくて…」
「名倉潤も、ああ見えてボケもこなすんですよ」。
「あのお、それと前から言おうと思ってたんですけど、
今度、ふたりで漫才やりませんか」
「いいよ。『どうも吉右衛門でーす』、って出ていけばいいんだろ。
オマエは、出来るのか?」
「やりますよ。本さえ、書いてくれればっ!」。
……、
懸念することなど、なにもなかった。
取るに足りない会話を交わしていたら、いつの間にか現地に着いた。
13時半、
気合いを入れ姿勢を正し、理事長と事務局長にご挨拶。
早速、設立の趣旨と開設までの経緯、苦労話を拝聴する。
そして現地調査に入り質疑応答。最終的なリクエストも受ける。
厳かな雰囲気であったが、優しく語りかけて貰えた時間は素敵だった。
そんな先方に当方からも、ご利用の御礼に制作物の寄贈を申し出て、
一件落着。
いやはや、いい時間であった。
これだから営業はやめられない。
中略、
「海がみたい」、なんてくさい科白を吐いたのは、オレ。
「いいですよ」、と頷いたのは、スミレ。
16時、
海が見えてきた。太平洋だ。
ひと仕事を遣り終えた、スミレからは安堵感が漂っている。
オレも昨秋から続く闘病を思うと、
えも言われぬ満足感がこみ上げてきた。
爽快な気分だ。
そんな思いを胸に、ヒタヒタと海岸線を南下する。
90分も走っただろうか。
日立港を過ぎ那珂川を渡ると、大洗だ。
大洗に入ると適当な公園があった。
そこに車を停めベンチに腰掛け、海を眺める。
蒼い海と碧い空のハーモニー。潮風が心地よい。
そんな潮風に髪をなびかせて、スミレが照れながら告白する。
「最近、私、モテ期なんです。今日も上手くいったし、
先週の赤坂も無事納めました。多摩のプレゼンも取れそうだし、
調布の競争にも勝てました…」
「オマエ、凄くなったなあ」
と言ったきり、次の言葉が出てこない。
スミレが輝いてきたことは限りなく嬉しいが、反面、
何故か寂しさも感じる不思議な感情に支配されたからだ。
松林では、ニイニイ蝉が鳴いている。
「……、スミレちゃん、遅くなるから帰ろう」
やっと当り障りのない言葉を見つけて、背中を押す。
営業の夏、主役はスミレだ!。
お仕舞い。
弐阡壱拾弐年柒月壱拾壱日、大洗海岸にて。
吉右衛門。
次回は前回、割と好評だった回想記の続編を掲載します。
それと来週、ひこうき雲が飛込み営業デビューです。
応援してやってください。
写真キャプション、
上、相棒の恩田スミレ、
中、照れながらモテ期の告白をする、スミレ。
下、関八州を疾駆する、愛車ベガ号。