三遊亭画伯がやってきた 。
昨年の晩秋のことであった。
音信不通であった、三遊亭画伯から突然の便りが舞い込んだ。
何だろう…。
首を傾げながら開封してみると、
──消息不明状態になっていたのでお忘れになられたかも…
から始まる文章は、紛れもなく懐かしの画伯のものであった。
直ぐに引き込まれて目を通すと、
そこには消息不明であった原因が熟ゝと綴られていた。
画伯が退職したのは、2009年の初春。
それから直ぐに挙式を挙げハネムーンに出掛けたらしいのだが、
その長さたるや、足掛け三年半にも及んだことになる。
その間の出来事を尋ねると、
北米から中米を経て、
旅の最後に立寄った泊国の農場に暫し滞留していたとのこと…。
何と壮大なスケールの旅行であろう。
オレなんか箱根より西には行ったことがないのに…。
今、彼女は縁があって濃尾平野の隅っこに居を構えている。
そんな彼女が、だ。
態々、
オレの馬鹿面を拝みに新幹線に乗ってやってきてくれるという。
有り難いよね…。
在職中は大したことなど出来なかったのに…。
そんな思いで、日めくりカレンダーを捲って迎えた日であった。
16時半。
彼女がやってきた。
約四年ぶりの再会であった。
感激で目頭が熱くなりそうになったが、
そんなことはおくびにも出さずに平静を装う、オレ。
やあやあやあ、と固く握手を交わし、
ペンキ屋と歌姫も呼び旧交を温める。
そして座を隣の蕎麦屋に移して、ちょっとした宴を催したのだが、
昔話に花が咲いた、咲いた。満開であった。
あんなこと、こんなことを、アハハと笑いながらすごしていたら、
無情にも時間はアッという間に過ぎてしまった。
いやはや楽しい時間であった。
事務所を開いてこの春で満十二年になる。
この期間を四分割すると、
彼女はスリークォーター期に活躍してもらった世代だ。
ココで披露してよいのかわからないが、
華子さんは昨夏のお嬢さんを出産された。
そして福田う太郎さんも今夏に続くという。
みんな幸せになったなあ…。
在職中は沢山働いてくれて有難う。
そして立派に家庭を築いてくれている。
吉爺は、嬉しいぞ。
画伯のお陰でとても楽しい時間が過ごせた。
次回は春に開催しようと思う。
この記事をご覧になったOGの方で、
我もっ!
と思われる方は一報くださいませ。
ココまで一気に記事を書いたのだが、
感慨で胸が詰まってきたので、もうヤメる。
あとは写真を並べたいと思うので、見てやってください。
キャプション。
上から、
宴会終了後の記念写真、歌姫、オレ、画伯、ペンキ屋。
写真を撮ってくれた、激写。
幾多のファンにサインをする、画伯。
欠席された福田う太郎さんへ、メッセージ。
会心のポートレート。
この写真群を掲載するにあたって肖像権の許可はとっていません。
何かと問題を感じる方は申し出てください。
速やかに撤去します。
2013年02月11日、建国記念日
吉右衛門。