ライムライトの巻、中篇。
2.009年の年明けであった。
会社は業務拡張の為、求人をしていた。
前年の暮れにリーマン・ショックがあったせいか、
求職者の数は過去最高の269名を数えた。
この中から、私が選んだのが彼女だった。
私が面喰いだからではない。
気弱そうな中にも、凛としたところがあり、
そこに惹かれ、ひと目見て決めた。
文化チームの将来を担わすべく人事であった。
そこから彼女の事務所での生活がスタートしたわけであるが、
決して順風満帆というわけにはいかなかった。
2010年秋。
彼女を営業デビューさせた。
最初は意気軒昂だった彼女だが、
その意気込みは長く続かなかった。
不幸が彼女を襲い、意気消沈した。
前任者の不始末やら制作の失敗やらで、
いきなり窮地に立たされた。
内情を知るものには理解を得られるかもしれないが、
世間は窓口である彼女の失敗だと、誤解をするだろう。
それを恐れていたが、案の定であった。
あちこちから叱責が飛んできて、袋にされた。
六本木へ向かう車中、彼女は声をあげて泣いた。
号泣であった。
こんな筈ではなかった。
このままでは、資質が開花する前に潰れてしまわないか…。
そんな映像が私の、網膜をかすめた。
それからというもの毎朝、彼女を部屋に呼んだ。
大した事は出来ないが、勇気づける言葉をかけ続けた。
ちょうどその頃のことだ。
尾張に出張があった。
尾張は彼女が一時期を過ごした地だ。
連れて行き、気分転換をさせてやろう…。
そう思い。彼女を誘って、清洲城、徳川美術館へと出向いた。
これがよい転機になってくれたか、彼女に笑顔と生気が蘇った。
蓬萊軒に連れて行ってくれたり、
女学校時代の後輩の制服を見つけては、はしゃいだ。
友人との旧交を温めるとかで、彼女とは名古屋駅で別れたが
帰路の車中、私は安堵した。
暮れ。
私は彼女を日本橋人形町の飯屋に呼んで、
直属の部下にしたい旨を告げた。
私自身、営業生活の集大成として
もう一度飛込みの営業がしたくなったのだ。
即答で快諾を得る事ができ、私は喜んだ。
年が明けるのが楽しみであった。
明日は、後編です
2013年04月02日、
吉右衛門。