「名古屋で三遊亭画伯と会った」の巻、後篇。
2013年10月08日(火)。
起床9時半。
ベットから起き上がった。
よくは眠れなかった。
枕が替わったせいとも思えないが、小説を片手に眠れぬ夜を過ごした。
そんなことが祟ってこのような時間になってしまった。
帰路の運転を思うと、少しでも身体を休ませたい。
再びベットに戻り天井を見上げていると、
姫と清洲城へ来た時の事を思いだした。
営業の種蒔きであった。
あらから三年が経った。
それが結実して来春、大きな物件が受注出来そうな気配だ。
そう言えば、清洲城の後、徳川美術館へ行ったのだが、
姫に案内されてひつまぶしを食べたのを思いだした。
鰻でも食って帰るか…。
(あつた蓬莱軒)にやってきた。
11時の開店に合わせて来るつもりが出遅れてしまった。
15分しか遅れていないのに、待合いには20人以上が列をなしている。
時間潰しに姫へ蓬莱軒に居る事をメールで報せると、
いいなあ…。
こんな返事が戻ってきた。
よく考えてみたら今、彼女は繁忙期たけなわだ。
不謹慎なことをしたと後悔が浮かんだ。
しかし、このメールが今日の予定に大きな変化をもたらせた。
三遊亭画伯からもメールがきていた事に気づいたのだ。
内容は昨日の礼で、どこまでも律儀な画伯であった。
そして気づいたのだが、文末には住所が記してあった。
彼女は今、屋外で働いている。
仕事中だから声を掛けるのは憚られるが、額に汗をしている姿を遠くから覗いてみたくなった。
13時。
姫への罪滅ぼしに彼女の分もと大盛りで食ったのが失敗であった。
鰻で腹が膨れてしまった。
それでも、ナビゲーションをセットして画伯の根拠地に向け出発。
濃尾平野といえば、肥沃な穀倉地帯が頭に浮かぶ。
そんな田園風景を思い描いたが、立体の国道からはハンドルにしがみつくのが精一杯で、景色を拝む余裕などはなかった。
小一時間も走っただろうか。彼女の居住区域に着いた。
しかし、何処が何処だか分からなかった。
ふらふらしているのを彼女に見つかりでもしたら、また気を遣わせてしまう。
せっかく来たけど、退散しよう…。
僅か数分の滞在での、とんぼ帰りと成った。
その帰路の事。
この空の下で汗を流す、画伯を想った。
13年前の春。
日本橋小伝馬町の片隅に小さな会社を興した。
それが縁と成って、彼女と知り合う事が出来た。
そして彼女を訪ね、この見知らぬ土地に来れた。
人生の縁とは不思議だと思った。
吉爺。
この写真は帰路の新東名道の浜松SAから撮ったものです。
近代的な道路ですね。