「板前への旅立ち、お粥を作った」の巻。


来世では板前になりたいと思う。

いろいろな食材を勉強して献立を作る。

それを客に出して喜んでもらう。

そして夢を語れば、

その料理を食べに遠くから足を運んでもらうのだ。


毎月、通っている鮨屋がある。

完全予約制なのだが、評判が評判を呼びすごい事になってきた。

通い始めた去年の春頃は二ヶ月待ちであったが、

今は半年待たないと、そのカウンターには坐れない。

自分は運がよく、何度も接待の席を設けさせてもらっているが、

お連れした誰もが喜ぶ。

接待してよかったと思う。

そんな風に誰からも喜ばれる仕事をしたいのだ。


白状するが、実はオレ。調理が出来ない。

しかも、まったく出来ない。

所帯をもってからというもの台所に立ったのは、

女房が入院をした時だけだ。

スーパーで隣り合わせた奥さんからレシピを訊いて味噌汁を作った。

人生初の味噌汁作りであった。

酷い味だった。

この世のものとは思えない味であった。

当時小学生だった子供たちも呆れていた。

以来、自分に調理は不可能と思い、台所からは遠ざかった。


それから数年後、魚釣りをするように成った。

へら鮒を釣りに行くのだ。

この釣りの妙味は餌の巧拙が釣果に影響を及ぼすことだ。

餌には麩餌を使う。

何種類もある餌から釣具屋で数品を選んで釣りに行く。

この魚は生意気にも日によって、好みが違う。

それを麩の配合と水加減で、その日の好みを探るのだ。

そして一番のよい餌を作った釣り師が、竿頭となる。

竿頭になった快感といったらない。翌日の新聞にも載るからだ。


女房が病気に成った。

オレの出番がやってきた。

釣りの要領でお粥を作ってみたくなった。

女房もへら鮒も、たいしてかわらないだろう…。

そう高をくくって、数年の時を経て台所に立った。

冷凍してあったご飯に味噌と玉子を加えた。

出汁も投入したかった。

鰹節を削りたかったが、そんな気の利いたものは我が家にはなかった。

仕方なく、パックの振りかけ状のものを使った。

加減はわからないが、まあいい。

お粥を食って死んだ話は訊いた事がない。

材料のすべては几帳面にメモに残した。

計量はカップも匙もすり切れで計った。次からの資料にする為だ。

本来は何度も試作をしたかったが、ぶっつけ本番で作った。

彼女はオレを気遣って、美味しいとはいってくれたが、

ホントはどうだったのだろう。

次回は肉を焼いてみたい。


写真、キャプション。

今回世話になった、お粥くん。

目と頬っぺのグルグルは、

カッティングシートを貼って顔に仕立てた。


























お仕舞い。


吉爺。



コメント / トラックバック2件

  • ニコタマゴロウ:

    吉右衛門さま

    へー!!お料理男子に目覚めたんですか。
    次回が楽しみです。

  • 吉右衛門:

    歌姫さま
    姫が病気の折は、お粥くんと駆けつけます。

    吉爺。

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