「いつでも夢を」の巻。
小学校の三年生になって、少年漫画週刊誌を買うようになった。
買い始めた週刊誌は、少年サンデー。
楽しみにしていた連載ものは、伊賀の影丸とおそ松くんだ。
発刊日は毎週水曜日だったような気がする。
その水曜日が楽しみで母からもらった50円玉を握りしめ、
自宅から10分ほどにあった商店街の本屋に買いに行ったものだ。
書き出しから脱線してしまったが、
この本屋の往復で、すれ違った幾多の大人が口ずさんでいたのが、
「いつでも夢を」だった。
なにせ、みんなが歌っていたものだから、
ひとり、ふたり…と歌っていた人を、指折り数えたことも覚えている。
家に帰ると母も居間と台所で、所構わず、いつも歌っていた。
そんな時代と環境だったから、私も自然と覚え口ずさむようになった。
紹介が遅れたが、この歌を歌唱したのは言わずと知れた、
橋幸夫さんと吉永小百合さんだ。
歌唱力があって清潔感溢れるお二人が歌っただけに、
大ヒットは当然であった。
小学校五年生の時だった。
この年の春の遠足は潮干狩りで、行き先は千葉の稲毛の浜だった。
干拓前の稲毛の浜は潮干狩りのメッカであった。
またも脱線するが、
当時の私は、後年まさかこの地に移住して愛犬の吉右衛門と、
この浜を散歩をするようになろうとは夢にも思わなかった。
閑話休題、
この頃、私が住んでいたのは、世田谷の用賀。
今でこそ、首都高速と東関東自動車道を使えば用賀から稲毛までは、
100分ほどで走れるが、
当時は高速道路のような気の利いたものは存在しなかったから、
気が遠くなるほど遠かった。
その遠さといえば国境を越えてお隣の国にでもいくのではないか、
と思ったほどだ。
それを紛らわせてくれたのが歌であった。
バスガイドさんの名調子合わせて、
前の席から順番に好きな歌って賑わった。
私の番になった。
私はひとりでは歌わなかった。
隣の窓際の席にいた、○子ちゃんと歌った。
○子ちゃんが隣り合わせていたのは偶然ではない。必然だった。
この○子ちゃんとデュエットしたのが、「いつでも夢を」であった。
前述で○子ちゃんと書いたのは、
意図的に名を伏せたのではない。不覚にも忘れてしまったのだ。
私と彼女は相思相愛で、将来を約束した仲であった。
そんな大切な人の名前を忘れてしまうとは、
そこまでヤキが回ったとは思いたくないが、
哀しくて涙が溢れてくる。
あらから、ちょうど五十年が経った。
そんな、ある日のこと。
あまちゃんで、「いつでも夢を」が流れるシーンに出くわした。
夏さんが東京に出てきて、橋幸夫さんとデュエットしたシーン。
病に倒れた夏さんを見舞い、病院の待合いにいた仲間が、
夏さんに届けとばかり、この歌を熱唱したシーン。
どちらも感動のシーンであった。
そしてそれを視た私は、あの潮干狩りのバスを思いだした。
今月の終わり、
ニコタマゴロウが私を浜松に連れて行ってくれるという。
私と彼女は相思相愛の仲ではないが、行きの道中で、
彼女と五十年ぶりにデュエットをしてみようと思う。
それにしてもだ。
彼女の名前は何だったのだろう…?
ゆみ子ちゃん、くみ子ちゃん、れい子ちゃん…。
ダメだ。さっぱり思いだせない。
やっぱりヤキが回った。
お仕舞い。
2014年03月19日(水)。
吉右衛門。
次回は「瑠璃ちゃんとの再会」の巻です。
なつばっば〜!!!
素敵な思い出と共にドラマが見られるなんて羨ましいです。
私もそんな風に何かを見たいです。
稲毛は潮干狩りが有名だったのですね…!
千葉に住んでいたころ、私も潮干狩りに連れて行ってもらいました。
懐かしいです。
ナント!!
浜松行きにそんな思惑が隠されていたとは。