三島湖。
ダムサイド、梅の木R(大湾処前)。
ともえ釣り舟店。
晴れ、無風。
気温/24度、水温/22度、水色/薄濁り、減水/満水。
「ダムサイド梅の木R。今年もひとり例会の日がやってきた」の巻。
小高い山を、墨色の雲が覆っている。
これはいつ降り出してもおかしくないだろう。
偶然だろうか。去年もそして三十三年前も同じ空模様だった。
私はこれから、この山へ登坂する。
三島湖のダムサイドで竿を出すためだ。
今回の釣りは一昨年の秋に古い写真を見つけたことに端を発する釣りの続編であった。
http://www.kichiemon.info/fishing/2013/01-29.html
http://www.kichiemon.info/fishing/2013/07-30.html
七時。
三島湖、ともゑ桟橋。
墨色の空の下。最果てのダムサイドに向け静かに出航。
今朝は大名人こと、山田さんがお見えになっている。
一昨年の春。大変お世話になっただけに、ご挨拶をすべく先釣者の背後をそろりと進む。
果たして、何処におられるか…。
豚小屋には五名が並んでいたが、おられない。三ツ沢岩盤R(ロープ、以下同表記)にも二名いるが、こちらでもない。
これは上流に向かわれたのではないか…。
そう諦めて下流域を見やると、鳥小屋RとポンプRの狭間で泰然を竿を振っておられて方がいる。
最近書かれている記事からして、あの方に相違ない…。
そうは思っても近づくわけにはいかない。邪魔にはならぬよう、対岸の一本松Rに沿いながら声をかけさせてもらった。
「山田さん。岩村(私の名)です。これからダムサイドに向かいます!」
「はーい。いつもブログを読んでますよ」
ありがとうございます…。
この言葉は声には出せなかったが、僅かの会話でも挨拶が出来てよかった。
◯本日のデータと予定。
・目標/二十枚。
・竿 /朱門峰凌、11尺。
・浮子/忠相グラスムクトップ、10番。
・道糸/1号。
・鉤素/0.5号、450粍+600粍。
・棚 /天々。
・餌 /凄麩+PBH(パウダーベイトヘラ)。
・納竿/十五時。
八時。
ダムサイド、大湾処前梅の木R。
昨年は故越岡麦舟会長のご遺族から頂戴した竹竿を振ったが、今年は工業製品の赤い竿。
目標は三三年前と同じ、二十枚に設定した。
昨年は達成できたが、今年は難しそうだ。
先ずは環境が悪い。
真正面の堰堤からは滝のような音を立てて放水がされている。
私は放水と釣果の因果関係については知る由もないが、放水が好影響を与えるとはとても思えない。その証拠に魚の気配がまったくない。昨年はあれほどあったもじりがない。
これからの釣りを思うと今朝の空模様と同様に、暗澹たるものを感じられずにはいられない。
それだけではない。
ここに書いて告白するのも恥ずかしいが、不覚にも麩餌の作り方を忘れてしまっていた。これは信じられないことだった。
先ずは買った筈の(ガッテン)が餌箱に入っていなかった。
凄麩と混ぜて作るつもりだったが、その替りに何故か(GTS)が入っていた。これは単純に買い間違えたのだろう。いつも釣具屋に行っても女将さんと話ばかりをしているからこうなる。
それでも何とか作ろうとガッテンの代替に混入したのが、これも何故か餌箱の入っていた(PBH)だった。
酷い餌が出来た。触っただけで大失敗だと分かった。
それでも針に付けてみると、トップは餌落ち目盛りより下へはもぐらない。湖面に投げ入れても、ぷかりと浮かんだままだ。
これはセンスもあるが、魚粉でばかり遊んでいたツケだと思う。
頼りない記憶をもとに、最後に麩餌を調合した日までを遡ると、辿り着いた日は、なんと去年の今日だった。
その間はマッシュポテトも使ったが魚粉でばかりで遊んでいた。そうなると一年間のブランクが招いた結果とも言えなくないが、それではその前の六年間は一体なんだったのかとさえも思った。
いやはや、何ともはや、呆れるばかりだ。
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本日の入釣場所の、周辺図。
堰堤からは滝のような放水がされている。
帰路に撮った。 |
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八時半。
どうにかまともな餌が出来たが、それには三十分を要した。
これから本格的に餌を打ち始めるが、前途は暗かった。
餌を作り直すたびに試作品を湖面に投げ入れてみたが、ブルーギルさえも寄ってはこなかった。
こうなるとまだ始めたばかりだというのに、思考の方が仕事に流れてしまった。
これは今日の釣りの意味を考えると、あるまじきことだった。
年の初めのことだ。
本日、六月十日は三島湖に釣りに行く日。とカレンダーに印をつけておいた。それがひと月ほど前のある日、取引先のひとつである元請けよりイベント開催の報せが届いた。それは毎年恒例となっているイベントで、とても勉強になる意義深いものだった。
報せを受けた時は今回の釣行の延期を決め、すんなりと出欠表の(出席)に丸印を付けて返送したが、それがそうもいかなくなってきた。以前は普通に対処出来ていたことが出来なくなってきたのだ。
これは私のタガが外れてきたのだと思う。
これ迄は幕府が締結した不平等条約ではないが、元請けからくる多少の無理は、私もご多分に漏れず下請けとして甘受してきた。
しかし、それがここ数日間に起きた事には対処できなかった。
今までおとなしくしていた、五分の魂が騒ぎだしてきた。
彼らが過当な競争を強いられているのはわかる。取引を始めてからの十年余、世話になってきたし、業績を支えてもらった恩もある。それでも自分を抑えることが出来ず、釣りの予定を復活させてきた。これは自分なりに熟考した結果だった。
しかし、こうして場所を替え静かに振り返ると、悲喜こもごもの十年が頭のなかに押し寄せてきた…。
こんなことを竿を振りながら考えていたが、今日は釣りに来ていたことに気がついた。
こんな貴重な時間に仕事を考える。
これはとても寂しいことだと、つまらぬ思考は断ち切った。
十一時。
相も変わらぬ状態が続いている。
あと三十分で時報が鳴る。そこで対処方法を考えよう。
考えると言っても、おなじみの浮子下を短縮するか、本日持参の最長竿である17尺を引っ張りだすかだが、根本的にはこの場所から移動でもしない限り、釣果にはありつけないだろう。
しかし、今回は自分にとっては貴重な日。
昔の釣りでお世話になった方々との接点の日。
「ひとり例会の日」なのだ。
それだけに、この場所を移動しては今回の釣行の意味すらを失ってしまう。先ほどは不覚にも思考が仕事に流れたが、これからは納竿まで、襟を正して取り組んでいこうと思う。
そんな姿勢が幸を呼んだのだろうか。思いがけず浮子が動いて魚を釣り上げる事ができた。
この魚は私の撒いた餌に寄ってきたのではない。通りすがりに食いつただけに相違ない。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
初魚信が釣果となってよかった。
三三年前のこの日。
故越岡麦舟会長が背後の大湾処で竿を振っていた。
その会長に、玉で掬った魚を見せて、
「会長。やっと釣りました!」と呟いてしまった。
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本日の第一号。
サイズは、玉網の直径(壱尺)と少し。 |
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十三時。
本日ただ今の釣果、三枚。
あの後、放流べらを二枚釣り上げた。
竿の交換を悩んだのは二時間前。
その直後に初釣果を得たから、竿も仕掛けもそのままだ。
しかし、こうも難しい状態が続くと、再び竿の交換が頭にチラついてきた。
そんな時、目の前にブラックバス釣りの青年がやってきた。
「こんにちは。釣れましたか?」
「いや、今来たばかりです。そちらは如何ですか?」
「朝からやって、三枚です」そう応えるや否や、突然、舟が進路を変え、私の方へ向かってきた。
オイオイ!。こちらに近づいてくるんじゃない!。
声には出さなかったが、声を掛けたことに後悔をしていると、
「魚は16m(10mと言ったかもしれない)の底に沢山居ますね。それと5mの辺りにも居ます」
彼の舟は私が乗っている手漕ぎのボートとは違い、近代装備だった。魚群探知機が装備されていた。
彼は私の周辺を探索してくれたのだ。
文句を言わなくてよかった。
ありがとうございます…。逆に礼まで言って彼を見送った。
5m 附近に魚がいる…。
これは貴重な情報だった。
魚の棲息層は先ほどから出そうとしていた、17尺と一致した。
それが分かれば迷うこと等ない。
急ぎ竿袋から17尺を取り出し、準備に掛かった。
納竿予定の十五時までは、まだ二時間近くある。
頑張って、五、六枚、釣り上げよう。
状況打破を夢見ての17尺だったが、結果はあえなく凶と出た。
改善のつもりは改悪となり、偶にあった魚信すらもなくなった。
17尺が敗北に終わった今では、ギブアップするしかなかった。
そろそろやめようか…。
がっかりしながら、引き際を考え始めたときだ。
さすがに気の毒と思ってくれたのだろう。殊勝な魚が現れて、浮子を動かしてくれた。
ありがとう…。
その魚を解き放すと、ちょっと早いが納竿とした。
道具を仕舞いながら、今日の釣果をお浚いしてみると、釣れたのは壱尺玉サイズが一枚と放流べらが三枚の、合計四枚だった。
いつも通りの貧果に終わったが、今日の釣りの意味を考えたら、それはいいだろう。
そして道具を片付け、背後の大湾処に向かって、
ペコリと頭を下げると、一件落着。
今年の六月十日が終わった。
お仕舞い。
○本日の釣況。
・08:00~13:15、11尺天天/3枚、両団子。
・13:30~14:40、17尺天天/1枚、両団子。
○2014年データ。
・釣行回数/6回
・累計釣果/49枚。
2014年06月22日(日) 。
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