吉右衛門へら鮒釣り2011

  ◎第七回釣行
06月19日(木)

三島湖。
三ツ沢、農道跡。
ともえ釣り舟店。
晴れ、無風。
気温/25度、水温/22度、水色/澄み、減水/満水。 

「三ツ沢農道跡、先人の開拓史に触れた…」の巻。

不覚にも玉網の枠を踏んづけてしまった。
この道具は七年前に釣りを再開して以来、戦友のように歩んできた愛用品。それだけに泣きたいような衝動にかられた。
そこで、渋谷のサンスイ釣具店さんに窮状を話すと、枠の再生は不可能だが、新たな枠を購入すれば網の再使用は可能だという。
朗報だった。
この玉網は網の意匠を気に入って買い求めただけに、安堵することができた。そしてさらに、このことが新たなポイントとの出会いに繋がったのだから、災い転じてなんとやらだ。
後日、サンスイさんへ玉網を持参した時のことだ。
修理の依頼を済ませ、三島湖のダムサイドで放水に出くわした話をすると、武重店長が満水時のポイントを教えてくれた。
そのポイントは三ツ沢の中にあって、「農道跡」と呼ばれているという。
私は直ぐに反応した。
先ずは何より、名称を気に入った。
(農道)もさることながら、(跡)なる呼称は、私の釣行意欲をかきたてるには充分だった。
そして話を訊いていて、ハタと思い出したことがあった。
それは、昨年、穴䆴(あながま)で竿を出した折り、偶然にもこの場所の写真を撮って、釣行記にも掲出していたことだ。
早速、鞄からiPadを取り出し、該当の釣行記から写真を探し出すと、武重店長は更に話の続きをしてくれた。
農道跡は過去に幾多の釣り人が訪れ、突端の抉れている場所があるから、すぐに分かること。
風に強く、強風の日の逃げ場になっていること。
右はドン深だから、舟は左に向けた方がよいこと。等々。
これらのことを店長独特の語り口で話すものだから、話が終わる頃には、私の小さな胸はワクワク感で埋め尽くされていた。

六時半。
三島湖、ともゑ桟橋。
天気晴朗、べた凪。
この季節の三島湖の出舟時間は五時。
いつものことながら大きく遅れての出航となった。
しかし、私が向かうのは初めてとはいえB級ポイント。それだけに、遅れたところでどうということはない。
そんなわけで慌てることなく、そろりと出航。
今朝の湖面は平穏で美しい。汚れのない鏡のようだ。
そこへ釣り場へ向かう高揚感も重なって、気分は昂なる。
私がいつも感じるのは、何処のダム湖に行っても、この時間の、この光景が一番美しいのではないかと思うことだ。
柄にもなく、そんな光景に見惚れていると三ツ沢へ到着。

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朝の、三ツ沢方面。

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同、遠くダムサイド方面を望む。

七時。
三ツ沢。
予想外の光景が、私を待っていた。
B級ポイントと思って吞気にやってきたが、沢の中ではすでに先釣者が竿を振っていた。短い竿で浅い棚を狙っているようだ。
場所が松の木だったからいいようなものの、ここは唯の避風場所と思っていただけに驚きは隠せなかった。
松の木は私が入釣する場所とは離れている。それゆえに迷惑は掛けないと思うが、後釣者としての仁義だけは切っておいた。
周囲を見渡すと武重店長の話通り、釣り人の痕跡で突端が抉れている場所があった。
そこが農道跡だと、直ぐに分かった。
農道跡は想像通りの場所だった。
このような場所に舟を結ぶのかと思うと、胸が踊らずにはいられなかった。そして、これから始まることを想像するに、笑顔と緊張が入り交じった変な顔になっているのが自分でも分かった。
その顔で舟を結び始めると、舟を固定する左右の舟縄の位置はすんなりと決められたが、舳先の結び相手がないのには戸惑った。そこで応急的な措置として初釣り(戸面原、道跡)で世話になったサーベルを、力任せに岩盤へ叩き込んだ。
こうして舳先は固定できたが、最後に難関が待ち受けていた。
舟の向きだ。助言通り左へ向ける努力はしてみたが、それをするには私の技術では難しかった。
どうしたものか…。
思案に暮れていると、そんな私を見かねたのだろう。
先釣者が貴重な助言をくれた。
正面を向くなら頭上に樹木があるから16尺が限界であること。
さらに正面には掛かりがあること。
右はドン深で、左はかけ上がりになっていること。
昨夜来降った雨の影響か、今朝は不調で、もじりは上流の方でしか散見できないとのこと。等々だった。
話の内容は武重店長と重複していたが、同じ内容でも釣具屋の店内で訊くのと、現場で訊くのとでは臨場感が違う。
図々しいと思ったが、質問もさせてもらった。
正面の掛かり具合についてだ。
直ぐに返答がきた。
そう大したことはなく、掛かる相手はオダではなく岩盤とのことだった。
ありがとうございます…。
丁重にお礼を申し上げたあとに思った。
あの方は誰だろう…。
釣友会の方ですかと訊いてみたが、それは否定された。
人生の先輩であるように感じられるが、声は明瞭でかくしゃくとしておられる。そして何よりもこの辺りのことに詳しい。まるで生き字引のようだ。
きっと知る人ぞ知る、歴戦の強者なのだろう…。
今回はこの名人。
名付けて、「三ツ沢名人」と呉越同舟することになった。

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本日の入釣場所の、正面図。

 
地図。

◯本日のデータと予定。
・目標/五枚。
・竿 /朱門峰嵐馬、14尺。
・浮子/浮子/忠相パイプトップ、13番。
・道糸/1号。
・鉤素/0.5号、300粍+360粍。
・棚 /底。
・餌 /団子の底釣り夏+団子の底釣り冬+バラケマッハ。
・納竿/十五時。

八時十分。
土が匂う。
雨上がりの朝だ。
よい朝に来れたと思った。
深呼吸をすると、爽快な気分を味わえた。
気分が高潮したところで、釣りを始める。
今回の底は凹凸を含んだ湖底でもなければ、緩やかなかけ上がりでもない。どちからと言うと急な斜面だ。これについては、昨年に撮った写真(後ろに掲出)を見ながら、幾度となくイメージをしてきた。
難攻不落と思った。
私が餌を打つとどうしても浮子よりも遠目になる。それがトップのもぐり具合に少なからずの影響を与える。理由は技術の稚拙さにあるが、今回はそれに加えて斜面の高低差も影響してくる。
また、下手をすると餌が斜面をコロコロと転がり落ちるような気もするが、餌を付けた針には糸が結んであるから、さすがにそれはないだろう。
しかし、写真を見れば見るほどに、とても私のような低級釣技者が来る場所ではないと思った。
それでも、のこのこと釣り竿を担いでやって来たのは、名称と景観に惹かれたのもあるが、そこに途轍もない魅力を感じているからだ。
そしてフタを開けてみると、それは想像した通りの釣りだった。

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本日の入釣場所の、湖底図。
この斜面に餌を落とすイメージだ。
写真は昨年の今頃、減水5m 時に撮った。

九時半。
このワクワク感は何だ。
餌を打ち出して八十分を経過したが、魚は釣れないし浮子が動く気配すらもない。それに懸念されていたトップのもぐり具合もままならない。そんな有り様だが、何かが起きそうな雰囲気で満ち溢れている。
この場所で竿が曲がったら、どんなに気持ちがよいだろう…。
それを想像しながら浮子を眺めていると、浮子が湖面から消え失せるような幻覚にとらわれてくる。
そんな想像やら幻覚を楽しんでいた時だ。
突然、名人が舟縄を解き移動を始めた。
なんでも今度はダムサイドの大湾処で底釣りをされるそうだ。
朝からの御礼を申し上げると、私の舟の前を通過しながら下流域の幾つかの底釣りポイントも教えてくれた。
三島湖の知識はこの附近だけかと思ったが、それだけではなかった。湖全湖についても詳しい方だった。
名人を見送った直後に、最初の根掛かりがあった。
私の針には先人のものと思われる、古びた針がくっついてきた。
この針は過去にこの場所で竿を出した方が失ったものだろう。
針の主は、この場所で優勝を狙ったのだろうか…。
風に追われて落ち延びてきたのだろうか…。
いつも世話を焼いてくれる、ともゑ釣り舟店の女将さんがよく昔の話をしてくれる。
若旦那が幼児の頃は負ぶって店を切り盛りしていたという。
その頃、店は寝る暇もないほどに賑わい、休日には三島湖全湖で千艘以上の舟が出て釣果を競ったそうだ。
先ほどの名人も可成りの人生の先輩とみた。
三島湖には何十年も通われている大ベテランの風だ。そうでなければあれほどの知識を貯えている筈がない。
それらのことから考えると、三島湖でへら鮒釣りが始まって半世紀近くが経ったのではないか…。
半世紀か…。
その間、多くのへら師が三島湖の隅から隅までを開拓、研究し、凌ぎを削ったことだろう。
今、私が陣取る農道跡でも竿を出したへら師の数は、十日で一人としても年間で三十名、五十年では千五百人になる。これは途方もない人数だ。
そんなことに思考が流れると、三島湖の(へら鮒開拓史)にでも触れたような気になった。

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対岸から見た、本日の入釣場所。
帰路に撮った。

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側面から見た、本日の入釣場所。
同上。

十一時。
あれから何の進展もない。
浮子は一度足りとも動かない。
それに朝からこの辺り一帯で魚が跳ねたのも見かけないから、魚影の密度も稀薄そうだ。
餌は底にある。
それは針が時どき、釣り針やら落ち葉など湖底に沈殿しているものを拾ってくるから間違えない。
しかしその状態の適正を問われると、いつも以上に自信はない。
それらの状況から考えるに、釣れるとしたらまぐれの一発しかないだろう。
そんなまぐれ頼みの釣りにも関わらず、真剣勝負の眼差しで浮子を凝視していると、女神が湖面に舞い降りてきた。
ツンっ!。
突然、浮子が力強く、ひと節沈んだ。
待望の初魚信だ。
空かさずその動きに合わせると、針に魚が掛かった。
型は壱尺弍寸程度だろうか。多少の抵抗は受けたが、無事、玉に納めることが出来た。
いつぞやの釣行記で、「私の釣りは突然釣れる」と書いたことがあるが、今回もまさにそうであった。
まぐれだろうが、なんだろうが、釣れたのは嬉しかった。
兎に角、真剣に浮子を凝視していてよかった。
難航不落が予想された農道跡でも、本懐を遂げることが出来た。

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記念すべき、農道一号。
型は、壱尺弍寸。
背景は、対岸の岩盤。

十三時半。
本日ただ今の釣果、三枚。
本懐を遂げてから二時間が経った。
ポツンとポツンともじりも散見できるようになって、魚も二枚追釣することができた。一枚を巡っての攻防と思っていただけに、これは予想外のことだった。
そんな釣果に満足して浮子を眺めていると、三ツ沢名人が引き揚げてきた。
小舟の最前部に陣取り、櫓を交互に動かしながら進んでくる。
そして着舟作業を窺っていたら、なんと樹木の中にもぐりこんで舟縄を結び始めた。
こんな結び方もあるのだ…。
唖然として見守っていると、次の瞬間にはもう竿が出てきた。
凄い…。
それはまさに名人芸であった。
シロウトがクロウトの技を見ても、圧倒されるばかりだった。
よく考えてみれば、私が舟を結ぶのは過疎地ばかりで出航時間も遅いから、これまで人様が舟を結んでいるのを見たことがない。
それだけに折角の機会だから学ばなければならないが、レべルが違い過ぎてとても参考にはならなかった。
名人の技術に驚きながらも、浮子に目を戻すと魚信が出てきた。
幾度か空振りをした後、またも二枚を追釣することが出来た。
これで合計釣果は、片手の五枚となった。
五枚も釣れるとは思わなかっただけに、嬉しさは格別だった。
まぐれ当たり中心の釣りには変わりはないが、案外、百点満点で六十点くらいの釣りが出来ていたのではないか…。
そう考えると、自信にもなった。
自信が生まれたところで、納竿時間が迫ってきた。
面白い釣りが出来ただけに、今後も通って来ようと思った。
漠然とそんなことを考えていた時だった。
いつの間にか片付けを終えた名人が私の方に向かってくる。
なにやらメモを渡してくれるらしい。そして受け取ったメモには底釣り餌の配合が記されていた。
さらに私の舟に横付けをしてくれ、いろいろな話をしてくれた。
餌の配合、付け方、等々。あまり書くと迷惑を掛けそうなのでやめておくが、見ず知らずの私などに、ありがとうございます。
改めて名人に、お礼を申し上げると、一件落着。
農道跡での釣りが終わった。

お仕舞い。

○本日の釣況。
・08:10~14:35、14尺底/5枚、両団子。

○2014年データ。
・釣行回数/7回
・累計釣果/54枚。

2014年07月05日(日) 。 
吉右衛門。



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