戸面原ダム。
向田突端。
戸面原ボートセンター。
天候/晴天時々くもり、酷寒。
備考/小濁り、満水。
「狙った場所で竿を出すも、そこは上級者の場所だった」の巻。
あいも変わらず、面白くない日が続いている。
事務所へは週に二日ほど出向く。
しかし、スタッフとの接触を避けたいがため、表玄関にあるエレベーターは使わず非常階段をトボトボと昇り裏口を開けて、自室へ籠る。
そこにはわたしの為の資料が集積されている。
売上報告、営業報告、スタッフの勤怠報告、そして今後の予定やらだ。それにざっと目を通し指示書を作成すると、急ぎ、帰宅の途に着く。
これが今のわたしの、会社生活だ。
基本的なことは全て握っているが、なんとも味気ない。
半ば現役を退いたとはいえ、三十代の頃から仕事一筋だっただけに、充実感を得られなくなったことが、寂しくて仕方がない。
そうは思っても跡取り息子との間で、「代替わり」らしきものを始めた以上は、じっと堪え忍ばなくてはならない。
正月明けの、御用始めの日。
わたしは出勤を拒んだ。
拒んだと云えば勇ましくも聞こえるが誰からも、来てくれ、と頼まれたわけではない。忸怩たる思いを払拭できず、拗ねて、勝手に休んだだけだ。
そこで、わたしがやってきたのは競馬場。
千葉県の市川市にある、中山競馬場だ。
競馬場にきたのは五年ぶりのこと。さらに、それ以前にも十年以上のブランクがあるから、浦島太郎に近いものがある。
ここへ来たのには、ふたつの理由がある。
ひとつは前述した通りだが、もうひとつが肝心の理由。しかし、こちらは秘たることゆえ、軍の機密、とにでもしておく。
わたしは競馬経験者だが、赤鉛筆を耳に差して歩くような本格的なものではない。百円券を数枚買うだけの俗にいう、乞食ギャンブラーだ。しかも、競馬場に来ていたのも十五、六年前のことだから、とても趣味と云える代物ではない。
で、開門前に並んだ行列の長さは、わたしが知る頃の数分の一。
可成り短くなったものだ。それを隣に並ぶこの道何十年かと思われるご隠居に窺うと、競馬人口の減少とインターネットで勝馬投票する時代になったことが、行列を短くしたそうだ。
それにしても、ずいぶんな平均年齢だが、これはへら鮒業界とて同じこと。
さて、時間がきて入場。
わたしの競馬場の朝には段取りというか、ルーティーンがある。
先ずは地下の食堂スペースへ向かい、ここでしか食べられない名物のチャーシューワンタン麺を食べる。それを食い終わると次に汁粉やら豚汁、おにぎりが並ぶ軽食売店に行って豚汁を買う。これを朝のガランとしたスタンドですするのだ。
この日もチャーシューワンタン麺までは、いつもの朝だった。
しかし軽食売店の前で、ある異変に気がついた。
いつも店先にいた愛想のよい、オバちゃんがいないのだ。
オバちゃんに声を掛けないと、どうにも競馬場に来たという実感が沸いてこない。五年前には元気でおられたが、はてさて、どうしたものか…。
思い切って近くにいたアルバイトっぽいお姉さんに訊いてみた。すると返事に窮したのか、胡散臭そうな目でわたしを見ていた彼女だが、奥のベテランと思われるスタッフの処へ訊きに行ってくれた。そして戻ってきた彼女の口からは、予想だにしない答えが返ってきた。
「代替わりで、もうこちらには来ていないそうですっ!」
「えっ?」。
不意をつかれたというか、これに言葉を失う、わたし。
競馬場にきて、今のわたしがもっとも神経を尖らせる言葉の、
代替わり。これを訊かされるとは思ってもみなかった。
この後、ひと気のないスタンドで豚汁をすすっていると、思考がオバちゃんに流れて寂しくなってきた。
オバちゃんは確か川越の方と訊いてことがある。
川越から寒風酷暑をついて、長年、通ってきたのだろう。
化粧を直しで昔の面影は薄くなったが、競馬場とはいえば鉄火場だ。負けの込んだ客に絡まれたことだってあるだろう。
それを堪えて、頑張った何十年かと思う。
最後の日にはスタッフから花束を贈られ、拍手のひとつもしてもらえたのだろうか。
二十歳の頃には六十歳なんて、遠い未来の他人事と思っていた。しかし、過ぎてみれば未練ばかりが残る。
もうオバちゃんの闊達な笑顔をみることはできない。会うことだってないだろう。オレのことを覚えてくれているかはわからないが、お疲れ様でした、と言いたい。
どうか、いつまでもお元気で。
南の島にも雪が降らせるような、大寒波が襲来してきた。
その寒波をついて、わたしは釣りに行く。
何が悲しくてこのような日に出掛けるのだろうか。
それにこの着膨れた、無様な格好。まるでダルマにでも変身したかのようだ。これに大きな鞄と長い竿ケースを持っていくのだから、知らない人が見たら何事かと疑われそう。案の定、共同住宅の駐車場で朝の早い住民に尋ねられ、房総のダム湖へ魚釣りに行く、と応えたら目を丸くしていた。
そして今日もまた、主戦場である戸面原ダムへとやってきた。
今日のわたしには、珍しく目的がある。
前回釣果にめぐまれた前宇藤木の対岸である、向田(むかえだ)地区で底釣りをやるのだ。尤も、わたしがやるのは底釣りではなく、底釣り擬(もどき)であるが…。
こちらを選んだのには、明確な理由がある。
ひとつは前回、対岸から眺めたこちらの釣りが、とても魅力的に見えたこと。そして幸か不幸か、今年から冬場も魚釣りをすることになったゆえ、いつまでも長い竿の底釣りから逃げられなくなったことにある、
わたしが過去の底釣りで用いた最長竿は、十五尺。
それだけに不安は大きいが、いつまでもそんなことには構っていられない。
大袈裟に云うと、今後のわたしの人生。
魚釣りの比重が可成り大きくなりそうだから、四の五の云わずに挑んでみることだ。
そんなこんなで道具を下ろしていると、池主の相沢さんから思いがけない助言を受けた。
とにかく長い竿を出さないと釣れないこと。しかも、期待できる釣りは(宙)に限られているそうだ。それゆえ、宙層の魚を追うことを強く薦められた。
相沢さんはいつも釣れないわたしを、案じてくれている。
それだけに無下にはできないが、前回の釣りで望外な釣果に恵まれたし、長い竿での底釣りに挑まなくてはならない心情を吐露して桟橋をでた。
|
|
|
|
マークした地点は大まかです。
正確性は欠如しております。
Yahoo!地図より。
|
|
☻本日の予定。
・目 標/一枚。
・釣り方/底釣り。
・釣り竿/朱門峰神威、二一尺。
・浮 子/忠相パイプムクトップ、十五号。
・釣り糸/1号。
・鉤 素/0.4号、350粍+420粍。
・釣り針/アスカ針 7号+5号。
・持参餌/ペレ道、つなぎグルテン、α21。
・納 竿/十四時半。
九時。
戸面原ダム。
向田突端。
わたしは今、中木(直径壱尺前後)の根株に埋没するような形で治まっている。
そこから窮屈そうに投げた餌が、静かな湖面に波紋を起こした。
どうにか第一投を軟着陸(水)させることができたようだ。
実はわたし。
今回も大きな失敗をやらかした。
前述したが、前回、わたしはこの場所の対岸で竿を出していた。
その時に眺めた景色に釣り人がいて、底釣りを楽しんでいるように見えた。そして、その姿がとても面白そうで、魅惑の場所に見えたのだ。
今度はあそこで底釣りをしよう…。
そう思ったわたしは納竿後、この辺りを下見にきた。そして景色をしっかりと頭に刻み込んだつもりだった。が、今朝、ここへきてみると、この前の景色が何処であったかわからない。
なんとも間抜けな話だが、ここか?、と思われる場所には前述の中木があって湖心に向かって樹木を延ばしている。そして、その枝々が生茂って天を塞いでいるのだ。何度もシミュレーションしてみたが、仕掛けが捕られそうで近づけない。
こんな場所であったか…?
ほかに有力な場所が見当たらないだけに、ここは相沢さんに訊くしかない。そう思って問い合わせてみた。目印がある。ポイント上の生活道路に設置されているミラーだ。それを伝えると、そこで間違えない、との答えが返ってきた。
やはりそうであったか…。躊躇いが生まれた。
しかし、宙釣りを薦めてくれたのを辞退してきた以上、危険を承知で、ここに舟を結ぶしかない。
そして案の定、舟を仮留めして正面を向くと、頭上の右半分が樹木ですっぽりと覆われている。それを子供の頃の算数で使った分度器で示すと、90度から180度にかけては、竿を立てることができない。それにわたしは右利きだけに、尚更都合が悪い。
それなら舟の向きを変えて、少しでも状況をよくすべきだが、わたしにはそのような名人芸はない。
それでも頑張ってみたが、やはり上手くはいかなかった。70度くらいに転回させたのが精一杯だった。
諦めて舟を固定して思う。
この姿勢から餌を投じるとなると、可成り窮屈だ。
餌の打ち始めはまだよい。緊張感もあるし期待感もある。
しかしその気持ちを持続させられるかとなると、可成り難しい。怠惰なわたしのことだ。釣れないとわかると、途端に竿の扱いがぞんざいになる。その時に危険信号が灯って、頭上の樹木に捕まりかねない。
エラい場所で魚釣りをするハメになってしまった。
そんな窮屈感満載で、今季二度目のへら鮒釣りが始まった。
多難が予想されるが、落ち着いてみると、そう悪いことばかりでもない。よいこともある。
なによりも風情があって長閑だ。
家畜の嘶く声が訊こえるし、正面の前宇藤木を中心とした南郷岬から宇藤木橋までの景色も悪くない。
その景色に心を休めていると、異変が起きた。
生活道路に見慣れぬ車輛が列をなして進んでいる。
一台、二台、…、合計五台の車が通り過ぎて行く。なかにはジープもいるから周辺住民の匂いはない。
何処に行くのであろうか…。
その姿を追うと宇藤木橋を渡った辺りで障害物が邪魔になって視界から消えた。あれは多分、山崩れの現地調査にきているのかもしれない。とすると、いよいよ工事が始まるのか。
十一時。
寒くて仕方がない。
冷凍庫にでも、引き込まれたかのようだ。
「もうわしらの時代は終いで。口が肥えてきちょって、こう寒さが堪えるようになってはのぅ」
青春時代に夢中になっていた映画、「仁義なき戦い」が思い出されてきた。吹きすさぶ裁判所で菅原文太と小林旭が交わしたあの台詞と、あのシーンだ。
わたしも若い頃にしていた昔の釣りでは、印旛沼の名も無い水路の氷を叩き割って釣りをしたことがある。あの頃身に纏っていた防寒着は今と違って各段に粗末な物だった。それでも一枚の魚を追い求めて頑張ったものだ。
しかし今は、あの映画の文太兄いの台詞がわかり過ぎるほどにわかる。これで浮子が動きだせば勇気も湧いてくるのであろうが、視線の先の浮子の挙動に何の気配もない。
しかし、もうひと頑張りだと思う。
前回、ここで竿を出していた釣り人によると、午前中、ダメだったのが、午後から状況が好転し七枚の釣果を得たそうだ。
そうなると、わたしが丹誠込めて拵えた餌を魚が食べに来てくれるかもしれない。その為に朝から充分すぎるほどに餌を撒いた。今日があの日と同じであるわけはないが、それにでも縋らないとやっていられない。
頑張ろう…。
滅入る気持ちを奮い立たせたが、好事魔多し。
朝の危惧が現実となって、仕掛けを樹木に絡み捕られた。
十二時半。
待望の午後になったが、状況に変わりはない。
いや、寧ろ悪くなったような気さえしている。
昼を報せる鐘の音が聴こえた頃から、太陽が雲に隠れて湖面を墨色に染めはじめた。さらに風が湖面を揺るがすと、肝心な浮子がその姿を消す。
一度浮子から視線をはずすと、見つけるのが困難になる。
それゆえ、沈みゆく浮子の姿を見失わぬよう追いかけていると、これが思わぬ期待を呼んだ。浮子が沈みだす瞬間、グッグッと段階を踏みながら沈んでいくように見えるのだ。それに幾分か沈下の速度が遅くなったようにも見える。
これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。
この日初めて期待らしきものがみえてきた。
十四時。
本日のただ今の釣果、零。
太陽が顔をだし風もやむと、ただの幻想を追いかけていたことがわかった。浮子の沈下に変哲がないのも確認できた。
現実を突きつけられたのだ。
こうなると今日の釣りも、風前の灯火だ。
もはや続けても、わたしが期待をしているようなことは起こらないだろう。
そろそろ、仕舞いにするか。
釣果はおろか、浮子が動くのさえも見れずに終わった。
何とも寂しい釣りであったが、こればかりは仕方がない。
何度もため息をついて、今日の釣りをあきらめる。
そして仕掛けを穂先のへび口から外して、一件落着。
中木に結んだロープを解く。
戦いすんで日が昏れて、今日の釣りを想う。
何よりも場所の選択を間違えた。
舟を固定した時点でハズレを引いたような気がしたが、案の定、常に窮屈な思いを強いられた。ここはまぎれもなく上級者が竿を出す場所だった。わたしのような下級者は、のびのびと竿を振れる場所を選ばないといけない。
しかし、宙層の放流べらか、湖底に潜む地魚かの選択は負け惜しみではなく、間違っていなかったと思う。信念をもった選択に悔いはない。
寒さが沁みて何度も弱音を吐いたが、まだまだ続くであろう、厳冬期の釣りを楽しみたい。
お仕舞い。
☻本日の釣況。
・09:00~14:30、21尺 底釣り擬/〇枚、
☻2016年データ。
・釣行回数/2回
・累計釣果/20枚。
※お断り。
この釣行記はAppleの端末・Macintosh・GoogleChrome、iPad等に合わせて改行してあります。
2016年01月26日(火) 。
|