吉右衛門へら鮒釣り2015

  ◎第三回釣行
2月19日(金)。

戸面原ダム。
光生園下。
戸面原ボートセンター。
天候/晴天、強風。
水色/澄み、水位/満水。 

「幕が開く前に芝居が終わった」の巻。

東京の南西部に位置する世田谷。
その世田谷のなかでも南に在る用賀。
わたしはこの用賀で育った。幼少期から成人式を過ぎるまでをここで過ごした。
生まれは高知県、本籍地は土佐山田町。
母からは高知の市内で過ごしていたと訊かされたことがある。
三歳の時に家族で上京。
用賀へは杉並を経由して移り住んできた。今でこそ、東京の南の玄関口といえば用賀の隣にある二子玉川だが、わたしが暮らしていた頃は、東京のはずれの田舎町といった感が強く、いつぞやの釣行記で肥溜めに落ちたことも書いたが、そこらじゅうに田畑が点在していた。
主な交通機関は二子玉川と渋谷を繋いでいた路面電車の通称玉電(東急玉川線)。現在はその玉川線も地下に潜り、首都高速三号渋谷線も走るほどに利便性も増したが、当時の大人たちはこれに乗って通勤通学をしていたのだから大変だったと思う。
余談であるが、わたしが北海道日本ハムファイターズの熱狂的なファンであるのも、用賀で過ごしたことに由来する。球団の前身である東映フライイヤーズが、隣町の駒沢に本拠地を置いていたからだ。
そして、魚釣り。
今にして思えば、魚釣りを始めたきっかけも野球と同じく、用賀に由来する。
小学校の低学年の頃。
祖父によく多摩川へ連れて行ってもらった。
これは昭和三十年代の半ば頃の話で、玉電の二子玉川駅を降りると駅前には釣具屋が競うように軒を並べていた。釣具屋と云っても現在のようなものではない。軒先に釣り竿、四つ手網、玉網を並べていた簡素な店だ。
こうして今、その当時の様子を書いていても、少年だったわたしには、余程、楽しかった思い出らしく、あれから半世紀以上が経った今でも、その時の映像がぼんやりと蘇ってくる。
祖父は魚釣りに興じていたわけではない。
興じていたのは魚捕り。漁具は前述の釣具屋から購入した四つ手網。これを小脇に抱え河原へでると、テトラ状の出っ張りが幾つもあって、その下に潜む魚を捕っていた。捕まえていたのはクチボソとアメリカザリガニ。いわゆる、雑魚の類いで、鯉や鮒、そしてタナゴが捕れた記憶はない。
こうして川遊びを覚えたわたしは、小学校の高学年になって初めて釣り竿を手にするのだが、この続きは、いずれまた。

わたしの釣りの朝は決して早くない。
それゆえ、常習的に遅刻をする。今朝も大遅刻の朝となった。
出舟が六時半だというのに、目が覚めたのが六時前。あわてて、猫のように顔を洗い家をでた。
そして館山道に突入する前のこと。
戸面原ボートセンターへ遅れる旨を連絡すると、池主である相沢さんの奥さんが出られて、(あんこうさん)が試釣に来られていることを告げられた。
あんこうさんは、わたしの釣行記へ一番最初にコメントを入れてくれた方。それ以降も釣り方を書いてもらい、わたしが大病を患った時には激励してもらい、また釣りに行けない時期にと、房総三湖のポイント図のコピーを送ってくれた、心優しき方だ。
一度お会いして御礼を申し上げようと思っていただけに、朝から吉報が舞い降りた。
今回のわたしのテーマは、石田島の底釣り。
しかし、そんな些末なことはどうでもよくなった。あんこうさんとの初対面に心がときめいてきた。

七時半。
戸面原ダム。
戸面原ボートセンター。
ボートセンターに着いた。
早速、相沢さんに挨拶をすると、あんこうさんからのメッセージが届けられていた。それは十四時から桟橋で待つ、とのことであった。そして御本人はキャンプ場方面へ出掛けられたそうだ。
さて、釣り。
前述した(石田島の底釣り)は、相沢さんからの説明で、そう甘くはないことがわかった。
わたしが目論んできたのは、島裏での底釣り。
これは今日の風向き(南西の風4m、Yahoo! 天気予報)を考えると難しいそうだ。この風は島裏を直撃するらしいから、薦められたのは、島表(桟橋側)。但し、条件がついた。
その条件とは、舟を落合の方向に向けての、かけ上がり狙い。そして適正の竿サイズは、十八尺。
これは難題であった。
わたしの乏しい着舟技術では舟を斜めの方向に着けられないし、かけ上がりを狙うような高等技術も持ち合わせていない。さらに不幸なことに、本日持参した竿群のなかに十八尺の姿はない。
竿ケースに入っているのは、二一尺と二五尺。それゆえ、どうしてもとなれば、二一尺で代替するしかないが、この竿が適正より三尺長いことも、更なる難問として立ちはだかる。
困ったことになった。
わたしは振込みが下手だから、穂先と浮子の間隔が長くなるほどに難しくなってくる。そのこころは、餌の着水点が左右にズレるからだ。
相沢さんにこの泣き言を訴えると代替地として、中島岬を薦めてくれた。こちらも適正竿が十八尺であることに変わりはないが、着舟は正面向きでよいし、底も平坦で易しいそうだ。どちらにしても厳しい条件ではあるが、悩むことなく、中島岬に決めた。

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本日の入釣場所の、正面図。
先鋒、二一尺。


 
マークした地点は大まかです。
正確性は欠如しております。
Yahoo!地図より。

☻本日の予定。
・目 標/十枚。
・釣り方/チョーチン、グルテンセット。
・釣り竿/朱門峰神威、二一尺。
・浮 子/忠相パイプムクトップ、十五号。
・釣り糸/1号。
・鉤 素/0.4号、100粍+600粍。
・釣り針/アスカ針 7号+5号。
・持参餌/バラケマッハ、ガッテン、天々、α21。
・納 竿/十四時。

十時。
戸面原ダム。
光生園下、上郷橋寄り。
光生園下の片隅で竿を出した。
中島岬に向かったわたしが、何故、ここで竿を出しているのか。
情けない話を告白するようだが、桟橋を出てからも不安を払拭できずにいた。浮子を穂先の四尺先に落とす釣りを、だ。
それでも中島岬に向かって櫓を進めていると、光生園下の一級ポイントに陣取る釣り人から声を掛けられた。高いトーンのよく通る声の持ち主で、何処に行くのか、と尋ねられ、中島岬、と応えると、一緒に並ばないか、と誘ってもらえた。
とにかく、魚が沢山いて、入れ食いになっているそうだ。
この言葉にグラっときたわたしだが、見ず知らずの方のご厚意に甘えるわけにも行かず、辞退して進んでいくと、ここに着けなさいよ、とでも云わんばかりの立木が目に入ってきた。
そこが今、わたしが陣取っている、この場所だ。
宙釣りの餌を取りに戻る愚もあったが、とにもかくにも、餌を打てる状況にだけはこぎつけた。
可成りのロスタイムが生じたが、気を取り直して第一投。
隣は入れ食いだし、放流べら相手の宙釣りだし、十枚くらいは釣れるだろう…。
そんな甘い夢を見たわたしだが、今日の天は意地が悪い。
わたしの開始を待って、狙い澄ましたかのように、左前方から風を吹かせてきた。予報の風が到来したのだ。今は振込めるが、吹き荒れるのは必至の状況となってきた。
これはまずい…。
その前に片を付ける必要がでてきた。
あんこうさんとの予定は十四時だが、風が酷くなる前に数匹でも釣っておこう。
そこでお隣の絶好調氏に竿を窺うと、二四尺とのこと。
然らば、二五尺を出そう…。
焦るように二五尺を出す、わたし。
しかし、ここで慌てて勝負にでたのが、凶とでた。
風が思ったより早く、勢いを増してきたのだ。
竿を替えた途端、風に煽られてどうにもならなくなってきた。
餌を針に付けながら視線を竿掛けに乗った竿に向けると、本来は直線である筈の竿が、風に流されて、穂先に向かって曲線を描いている。
それに舟も、どんぶらこ、と揺れだした。
滅入るものがあった。
お隣の人はというと、一投ごとに立ち上がって振り込んでいる。
ここで続けたければ、わたしもそうすべきだが、そのようなアクロバットな釣りは、出来かねる。
数投ならいざ知らず、一日となると、間抜けなわたしのこと。必ずや何処かで水落の憂き目にあう。
開始して僅か、四五分。
途方に暮れる展開となってきた。

十一時。
本日ただ今の釣果、零。
釣果がどうのという問題ではない。湖面を流離うことになった。
とにかく、緊急的に避難先を確保せねばならない。
しかし、すっかり意気消沈していて、何の展望もない。
風を避けたい一心で、光生園の対岸付近を彷徨いてみたが、舟の着け場所がわからずに退却。
もはや、風さえ背にできれば何処でもいい。
ヤケっパチの天使になって、次に向かった先は、石田島。なんということはない、朝の目的地だ。
相沢さんは舟を斜めに着けて、かけ上がりを狙えと云ったが、正面はドン深らしい。ならば正面を向いて宙釣りをしよう。
最後の砦に籠るべく石田島へ向かうと、一艘の舟がボートセンターの岸に沿って移動しているのが目に入った。
あの舟は何処から移動してきたのか…。
考えるまでもない、下流からだ。下流といえばキャンプ場。
朝、あんこうさんが向かった先だ。
それを見て、急ぎ、進路変更。
キャンプ場へ向かう、わたしだった。

十一時半。
わたしは、あんこうさんに会ったことがない。
それだけに、顔もわからなければ、風体すらわからない。
しかし、わからなければ、昔、東映フライヤーズの応援団で鍛えた大音声で、「あんこうさーッん!」と叫ぶまでだ。
そこであんこうさんに出会えれば、隣に並ばせてもらえばよい。そんな思惑でキャンプ場に入ると、竿を出していたのはふたり。しかも、ひとりは既にロープを樹木から解き始めている。それに構わず近づいて行くと、振り向き様にこう言われた。
「吉右衛門さんですか…?」、と。
「ハイっ!、そうです」。この方が、あんこうさんだった。
早速、挨拶をさせてもらうと握手を求められた。
よかった、よかった。
念願だった、あんこうさんにお会いできた。
そう思って安堵したが、あんこうさんは早上がりするらしい。
わたしはその後釜に坐って続けようと思ったが、この機を逃しては、今度、いつ、あんこうさんお会い出来るかわからない。
もうやめにするか…。
撤収が頭に浮かんだ。
しかし、わたしの今日の目的は釣りに来たこと。
それによく考えてみると、朝から正味、四五分程度しか釣りができていない。しかも、その四五分すら風に煽られ、この釣りの喜びである、浮子が沈みゆく姿を眺めていない。ここでやめれば、幕が開く前に芝居が終わったようなものだ。
ずいぶんと悩むところだが、わたしもやめることにした。
続けたいのはヤマヤマだが、釣れないのは毎度のことだし、今さら、悔しがることでもない。それに続けたとしても、釣れるのは精々、一枚か二枚。それであれば、あんこうさんとの時間を優先させよう。
そうと決まれば、一件落着。
あんこうさんの後を追う。

戦いすんで日が昏れて、
日溜まりのボートセンターの縁側。
相沢さんにも加わってもらって、あんこうさんとの楽しい時間を過ごす。あんこうさんは、お生まれからへら鮒釣りを始められたきっかけ。そして引退されてから現在の晴耕雨読の日々までを、わたし共が飽きさせないように語ってくれた。そして最後に桟橋で記念写真を撮らせてもらい、本日二度目の、一件落着。
魚は釣れなかったが、とても温かい気持ちで戸面原ダムを後にすることができた。
附記。
今回のことでは、相沢さんご夫妻にとてもお世話になりました。
相沢さんは、あんこうさんとのセッティングから日溜まりの素敵な場所の提供まで、ずいぶんと世話を焼いてくれました。
また訊けば奥さんは朝の電話の後、わたしが遅れてくることを桟橋にいた、あんこうさんに伝えるべく走ってくれたそうです。
ありがとうございました。お陰さまで大願成就できました。
感謝感謝です。謝謝。

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あんこうさん(右)と。

お仕舞い。

☻本日の釣況。
・10:00~10:20、21尺 チョーチン/〇枚、
・10:35~11:00、25尺 チョーチン/〇枚、

☻2016年データ。
・釣行回数/3回
・累計釣果/20枚。

※お断り。
この釣行記はMacintoshでは、GoogleChrome。
Appleの端末では、iPad等に合わせて編集しています。 。

2016年02月28日(日) 。
吉右衛門。



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