快晴。
水温不明 減水推定1.28m 澄み。
三名湖 中央ロープ 金市田。
三名湖 光月。
故.麦舟会長を偲んで2009。
関越道を長駆.三名湖へ。の巻。
どうしても三名湖に行きたい。
先週、直前で三名湖をヤメて三島湖へ新べら釣りに行った事。それはそれで良かったのだが、矢張り禍根が残ってしまった。よって今回は鉄の意志でこれを完遂する。
石にかじりついても、三名湖へ行くのだ。
釣りを再開した時に、毎年、故.麦舟会長を偲んで釣行をする事を己に課した。これを今年は未だ実行していない。
一昨年と昨年は横利根川で施行したので、今年は場所を替えて実行するつもりだった。
では何処にするか。
当時.月例会が行われていたのは、佐原水郷.手賀沼水系.印旛沼周辺水路と関越道周辺に群がる準山上湖と呼ばれているダム.用水群だ。
前者の川系を書き出すと、横利根川.新利根川.新八間川.手賀川.稲荷川.それに道神前水路.物木水路.旧長門川.将監川・・・・。こんなところだ。然し、今ここに釣りに行こうと思っても現実的ではないだろう。釣場の事、道具の事・・・・。浦島太郎が釣りに出掛ける様なものだ。となると後者の準山上湖系の三名湖.円良田湖.宮沢湖・・・・と成る。そこで自宅からこれらへの道程を計測し、遠い順に並べると三名湖.162km、円良田湖.140km、そして宮沢湖120kmだ。
更に、仕事を休む事に後ろめたさを感じている、今の心境を加味すると日帰りで決行する事に成る。だから最短の宮沢湖が最適なのだが、今年実行しないと三名湖へは以後ズッと行けない様な気がする。三時に出発して、162kmを運転し六時から十五時迄舟釣りをする。陸に上がって.また162kmを道程を経て帰宅をする。
こんな超人的な事が出来るのか?。
考えただけで気が遠く成りそうだが、男なら行かねばなるまい。
午前三時、予定通り自宅を出立。
162kmの間、想いを30年前に馳せる。
故.麦秋会長の事は、前年の第28回釣行記に書いたので、今回は悲しく成るから書かない。
最近、当時のいろいろな事が思い出される。
所属していた「つつじ野べら会」に入会させてもらったのは、埼玉県狭山市在住だった1.976年の四月。名前の由来.つつじは狭山市の市花からとの事。そして人数も十名前後の若くて小さな会だった。
最初に連れて行ってもらった例会場所は印旛水系の道神前水路。狭山市の某所に集合してから国道16号線をグルッと廻って野田のコカコーラを左折、後はよく覚えていない。
そしてデビュー戦の釣果はと言うと、こちらはハッキリと覚えていて、二枚。確か六位だった。
序でに言うと、これが自分にとって、初めて経験した野釣りで、初めて釣った、へら鮒だった。
閑話休題。
当時の例会はこちら方面主体で行われ、釣果は一貫釣れば優勝の時代。その頃の自分はと言えば、概ね零だった。
そして浮子が動かずに退屈なので、兎に角よく寝た。草ムラで、和舟の上で・・・・、と寝た思い出は尽きない。そんな事だから成績は常にビリだったが、それを気にする事は無く、長閑で和気あいあいとした会だった。
然し、そんな会にも変革が訪れた。例会の場所が、釣れる場所である準山上湖主体に移行していった。当時、会長に「何故.場所を替えたのですか?」と尋ねたら「いつもいつも.みんなが釣れなかった。と言うのを聞くのが辛くてね・・・・」こんな答えが返ってきた。あの時はバツが悪かった。オレは寝てばかりで、いつもオデコだったし・・・・。
例会場所が準山上湖主体に成ってからは、多くの新会員が入会してきて会は大きくなっていった。すると自然の成り行きで、長閑な例会は兢釣会へと変貌していった。
然し、自分はそんな事とは関係なく、いつも釣れなかったから、完全に落ちこぼれてしまった。そして、それ迄はビリでも笑っていられたが、段々、居場所が無くなってきた様な寂寥感に陥り、いつの頃か、例会も欠席する様に成り、会からも離れていってしまった・・・・。
当時の仲間に連絡をとって見ると、鬼籍に入られた方もいるが、ひとりを除いて全員が竿を置いていた。そんななか一番釣技が劣り不熱心だったオレが復活したのだから、当時を知る人間が聞けば驚くだろう。人生はわからない。
午前五時半、三名湖に着いた。
早速、光月さんで乗舟券と弁当を購入し大まかな説明を受ける。独立愚連隊は例会の後らしいので「例会は百人位ですか?」と聞いてみると「百人来るのは日曜日。今日は十二人です」だって・・・・。
此処迄、この池へは初めて来たかの様に記してきたが、そうではない。昨夏は大土手桟橋で110枚釣った。一昨年は.つつじのべら会の例会に便乗させてもらって33枚。其の前はズッと昔に成って四回程来た様な気がする。釣果は、零はなかったが十枚釣った事もない。そんな時代だった。
昨日、埼玉の釣具屋さんから助言をもらった。
ご推奨の場所は水神で、竿は水位が回復しつつ有るので11〜13尺で良し。との事。ありがたい事に自宅に電話迄もらってしまった。ありがとうございました。
出舟迄に時間が少々ある。そこで辺りをブラブラしていたら、三名湖で釣りをして半世紀っぽい人に声をかけられた。
「何処に入るのですか?」「初めてなのでよく分りませんから、適当に空いてる処に入ります」「では水神が良いですよ。竿は増水中で冷たい水が入り食い渋っていますから、長めでやるのが良いでしょう。」「???」 ―――11尺〜13尺ではないなか?。マズいな、釣具屋さんと話が違う。股割きに成ってしまったぞ・・・・。
こんな会話をしていたら、出舟の時間に成った。先ずは例会組が出舟。行き先を見ていたら、驚くなかれ、何と全員が水神。アッと云う間に目的地が売切れてしまった。
さて、オレの番と成ったが、何処へ行けばいいのだ・・・・。仕方が無い、運否天賦。無人の中央ロープの金市田の入江前へと向う。そして揺れ止めロープを探して此処に着舟。本日の入釣場所が決まった。
六時三十五分。
釣果目標を五十枚の半束にして、準備が出来た。
天々.ベーシック系の両団子。竿は情報が異なったので地元の方からの助言を選択して17尺にした。
周囲を見渡すと、水神が十名ちょっと。桟橋は堰堤側と本湖の向う側を合わせて大凡十名位か。背後の金市田の入江の奥は零名。中央ロープはオレひとり・・・・。
釣具屋さんの言葉を思い出した。―――いいですか、吉右衛門さん。魚が濃いですからね。ひとりでポツンと釣ってたら魚を全部引き受ける事に成って大変ですよ。餌も軟らかくすると最初は良いですが、魚が集まって来ると釣れなく成るので硬めで調整して下さいね。・・・・。
この言葉は頭にあったのだが、先ずは小手調べと、鉤素は尺半と二尺にして結ぶ。
魚が沢山生息しているので、釣行記に何投目に釣れたのかを記そうと思って、打込み回数を数えていたが、釣れない。何だか期待はずれ・・・・。いや、そんな事はなかった、直ぐに浮きが動いて八寸半位の魚が釣れてきた。
ココからは適度に釣れてきたが、直に浮子がなじまなく成った。
◎なじまない浮きへの対策.其の壱。
鉤素を400ミリ+500ミリに短縮。…駄目効果無し。
再度短縮300ミリ+400ミリ。…これは効果はあったが
直ぐに元の木阿弥。
苦悩は続く・・・・。
八時半。ココ迄釣った魚は八枚。
竿替えを決意。13尺では同じ事に成りそうなので11尺迄短縮。―――こんな亊に成るなら、最初から素直に釣具屋さんの助言通りにしておけばよかった。・・・・、
流石に6尺も縮めたのだから効果は覿面。なじみが確保出来た。然し、これも束の間。またも駄目になってきた。
◎なじまない浮きへの対策.其の弐。
餌に重量感の有る粉を混ぜる。…なじみは確保で来たが
空ツンばかリに成った。
十時。悪戦苦闘の末の釣果は十五枚。
ニッチもサッチも行かなく成ってきた。
然し、ココで大きな間違えに気遣く。
「目的は浮子をなじませる事ではない。魚を釣るのが目的だ」。
当たり前の事に気がついた。
斯くなる上は、抜本的に餌を替えてみよう。
集魚効果の希薄な粉に重量の有る粉を混ぜて撹拌を多めにした。そして、シットリした餌を作ってみたものの、何だか、後ろめたい気分・・・・。餌の師匠からは、執拗に練り込むと麩を壊す、と教えられていたのだ・・・・。
まっ遊びの世界だし・・・・いいか。と何とか自分の行為を正当化して、ウシロメタイ気持ちを振り払う。
出来た餌を、魚が沢山集まらない様に人差し指の爪くらいに小さく丸めて投入。
やった!。これが図星と成った。誰にでも分る明確な魚信を演出.出来て釣れだした。
然し、この餌だと何れ魚は居なく成るだろう。
居なく成ったら、其の時にまた考えればいい。
気楽で刹那的に続けていたら六〇分で十二枚も釣れた。
十一時。一気に半束迄行こうかと思っていたら、御主人(?)が弁当を配達に来てくれたので休憩。お待ちかねの三名湖名物の鳥弁当。
・・・のんびりし過ぎた。食事が終わり、職場に電話をしたり写真を撮ったりしていたら昼に成ってしまった。
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毎度お馴染みのカット。
堰堤の並びに有るのがお世話に成った光月さん。 |
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正午。残り時間は三時間しかない。
一服が長過ぎて半束は難しく成った。それならばと、先週の豚小屋で名人がやっていたグルテンのセット釣りとやらの練習をしてみたく成った。
思い立ったら吉日。
早速、竿を17尺に戻してグルテンのセット釣り(?)で再開。
餌打、約十分。イキナリ大きな消し込みで釣れた。史上最大の消し込み。この強烈な魚信はマグレ、と思いきや違った様だ。ココから十四時迄に釣った魚十二枚の大部分が消し込み。この仕掛けは夏の角麩の様な魚信で釣れるのか?。仕掛けはこれでといのか?。
疑念だらけだが、兎に角釣れた。
十四時。本日只今迄、釣りあげた魚の数は三十九枚。残り時間は六〇分。ここから再度半束を狙うべく勝負に出る。
角麩用のバラケ.炭団君を作ろう。・・・と言っても違うメーカーの粉しか持ってきてないから、擬しか出来ない。・・・そうしよう。この際、擬でいいや・・・。
炭団擬が出来た。コイツを使って最後の勝負に出る。
そしてコレが吉と出た。スポン、スポンと浮子が湖面から間断なく消えて、大願成就。納竿と成った。十四時五十五分。
十五時。道具の片付けが終り、吊り下げ金具を外し桟橋へ戻るつもりが、何だろう。なんだか去り難い気分に成って来た。会長の笑顔と会の当時の風景が思いだされてきた・・・・。―――三〇年前、オレも若かった。なにせ二〇台の半ばだった・・・・。
十分位経過しただろうか、やっと落ち着いてたので桟橋へと戻り、光月さんに謝礼を述べて一件落着。
162キロの道程を帰路につく。
お仕舞い。
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お別れに堰堤より撮った。
ちょうど写真の中央辺りで一日過ごした。 |
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17尺天々両団子 8枚(06:35〜08:30)
11尺天々両団子 19枚(08:45〜11:00)
17尺天々グルテンセット 23枚(12:00〜15:00)
合計 五〇枚。
八寸〜尺。
次回は十月二十六日、戸面原最終戦。
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